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具体的ヒグマ対策―――防除と教育





Stage3.対策

A.防除
―――農作物・コンポスト・燻製小屋などをクマに食べさせない法

 従来的に北海道ではクマを怖がったり迷惑がったりしつつ、何かあれば即捕獲という安直で因習的な、いわば捕獲一本槍のクマ対策が漫然と続いてきたが、開拓期から100年それを続けて何か解決したかというと、ほとんど何も解決していないばかりか、近年では新世代ベアーズやtrap-shy、あるいはシカ用の電気柵下の掘り返しなど、混沌と問題が慢性化しお手上げ状態の地域も増えてきた。見るべき現実はそこに尽きる。
 ハンターの高齢化・空洞化・減少が言われはじめて久しいが、現実問題、すでに問題グマを確実に捕獲することが道内多くの地域で困難になっており、今後さらに猟友会に依存した捕獲一本槍は破綻必至の状態にある。つまり、問題を起こすクマが生じるのを放置して、問題を起こしたら殺して排除という手法自体が今後ますます通用しない、だからこそ捕獲以前の「防除と教育」の重要性が増している。問題を起こすヒグマの数自体をまず十分な努力で減らし、それでも問題が起きる場合にバックアップとして捕獲という最後の手段を持っておく。そうでなければ、もうもたないのだ。仮に今、辛うじて何とかなっていても、10年後20年後に大丈夫であることを期待できる地域は、道内でもごくごく限られている。

 ちょっと寄り道:ハンターの高齢化・減少・空洞化
 丸瀬布の事例では、すでに猟友会ハンターの数が10名程度で、「新人ハンターです」と紹介されつつ60歳台だったりする。そして、クマ撃ち不在の状態がもう20年以上続いている。空洞化というのは、札幌のようにハンターの人数は多くても、実際に特定のクマを追って確実に仕留められるクマ撃ちがいない状態のこと。
 ヒグマの正確な捕獲能力の低下―――これは猟友会に責任があるわけではない。猟友会というのは基本的に趣味の団体で、釣り同好会やテニスサークルと同様、行政の政策的に何かの義務を負うわけでもなく、ただ単に殺傷能力の高い銃器を扱う動物捕獲が趣味のため、シカやらクマの有害駆除をボランティアでやってくれている。もちろん、猟友会のハンターすべてがシカやクマを撃ちたくて銃器の所持許可や狩猟の免許をとったとも限らない。カモ撃ち・ヤマドリの猟が目的でただただそれを美味しく食べるのが好きな人もいるし、居ていい。だから、仮に駆除ハンターがヒグマをよく知らないとしても、そこを責めたりもできないのだ。ちなみに、警察や消防は趣味の団体ではない。
 責任は行政にある。その主体が各地の市町村なのか道庁・振興局なのかはわからないが、現在、ガバメントハンター(行政お抱えの公的な専従ハンター)の導入が必要視されている。つまり、ボランティアとして猟友会に依存したシカやヒグマの捕獲駆除(=有害捕獲・許可捕獲)から、きちんと専従の業務としてその作業をおこなうよう、そしてその専従のハンターには賃金も補償もきっちおこなおうという方向性だ。そうなれば、その駆除ハンターはもちろん銃器に関しての高い技術を持たなくてはならないが、ヒグマの習性や生態などももっと正しく知る義務が生ずる。
 もちろん、理想的なガバメントハンターと同等の責任感と技術・知識を持ってヒグマ対策をおこなってくれている猟友会支部も北海道にはある。本当に頭が下がる。が、一方、実力もないのに既得権益にあぐらをかいて行政の首根っこを掴んでやりたい放題の地域もある。後者では、気に入らないことがあれば実際にシカ駆除のボイコットなども平気でおこなわれるし、あたり構わず手負いグマを生じさせ、行政に報告もしない。今後の被害防止のための駆除ヒグマの試料の提出も一切しない。こういう不謹慎なこともガバメントハンター制度のもとでは起きなくなるだろう。後者の地域の行政は随分助かると思う。
 ただ、ガバメントハンター制度が導入されたとしても、上述の本筋は変わらない。「ヒグマの問題行動自体を行政・市民・観光客などすべての人のの努力で十分なレベルまで減らし、それでも防げない特殊なケースに対して捕獲のスペシャリストに確実に問題グマの捕獲をおこなってもらう」―――この方向性しかないのだ。



a)電気柵
 高知能なばかりでなく社会性・文化性まで持っているヒグマの防除というのはなかなか奥が深くそう簡単に言い尽くせないが、原則的には「対策ベーシック/被害を防いで暮らす/Type1中山間地域・農地帯 編」で記した「クマ用の電気柵」の基本形(20-40-60㎝・一重三段張り)が基本になる。あれこれ試しはしてみたが、農地をはじめ家庭菜園・燻製小屋・養蜂箱などクマの好物となるようなものの防除には電気柵以外にはなかなか確実な方法が見当たらず、一度何かを食べることを覚えてしまったクマを防ぐには、電気柵抜きにはまず困難と思われる。
 通常はクマ用電気柵の基本形で100%に近い確率でヒグマの侵入は防げるが、シカ用の電気柵のみを張ってすでに柵下の掘り返しをヒグマに学習させてしまってヒグマ間に蔓延している地域や、作物の誘因度が非常に高い場合、あるいはヒグマの侵入が人身被害に直結しうる場合などは、臨機応変に変則的な電気柵の資材・設置方法を選択し、さらにバッファスペース(緩衝帯)の併用をおこなう手順になる。

 クマ用の電気柵を設置しきっちりメンテナンスすることによって、その農地がヒグマのエサ場から外されるため、もちろん農家にとっての経済被害が解消することに加え、地域が団結してクマを寄せ付けない暮らしをめざし電気柵を導入すれば、人里内の農地とその周辺にヒグマが恒常的に歩き回る状況が解消するためその地域全体の安全性が格段に増す。わかりやすい例を言えば、保育園や小学校・町営住宅の隣が無防備なデントコーン畑でヒグマのエサ場になっていていいかどうか?という、その住民による住民のための町づくりの価値観の問題なのだ。「別に小学校がヒグマのエサ場に囲まれていたって俺には関係ない」とエサ場の持ち主がそれぞれ言ってしまえば、地域としてのリスクマネジメントの話は残念ながら始まらないし、そういう性質の地域が出来上がる。
 またあるいは、町の運営するキャンプ場に隣接しクマのエサ場が広がっている場合に、膨大な観光客・キャンパーを一生懸命宣伝して呼び込んでいる町自体が見て見ぬふりをし放置していいのかどうか?そこも、その町の価値観や良心・行政センスの問題で、技術的・経費的問題ではない。

 ちょっと休憩:女々しい言いわけ
 私はヒグマに関して事実を伝えることや技術的なアドバイスはいくらでもできるが、地域の価値観を説得によって変えるなどというほどの大それた能力を持っていないし、今はそのつもりもない。私が10人いれば普及も何ももう少しできるのだろうが、ヒグマの調査・対策そしてベアドッグの育成・訓練から始まる「若グマの忌避教育」に取り組んでいる限り、神経をほかに回す余裕がなく、時間があまりに足りないのが現状だ。ただヒグマとヒトの境界線上でクマに対峙し手を尽くしている私は、クマが侵入しているデントコーン畑の脇を毎日通学する小学生らを心底案ずるし、クマの生息地の真っ只中にろくなヒグマ対策も考えず作られ、クマ情報の開示も注意喚起もほとんどおこなわず運営されるキャンプ場に反駁を感じつつ、自分にできる範囲の、あるいは自分にしかできない領域の作業に専念するしかない。
 私にもこれまでの経験や勉強で培った価値観なり感覚なりがある。が、それを現代の北海道、いや日本で言い出したら収拾がつかなくなることがわかっている。そのアラスカの原野由来の価値観・感覚はさておき、このサイトに書かれているほとんどのことは「科学的な事実」「科学的な理路に沿ったセオリー」もしくは「ドライで客観的な現実」と受け止めてもらえばいいし、それぞれの地域のそれぞれの立場の人がその現実なり事実なりをどうしていくかをそれぞれの良心の元で考え具象化していってくれればと願うものである。



 口直しに、クマの防除に成功している電気柵の例をここでもう一度紹介しておこう。

10-20-30-60㎝
 もうかれこれ15年以上前になるが、私が道南で電気柵に出合い、その後、道内各地で電気柵の設置と防除効果を調べているときに発見した秀逸なクマ用電気柵(上川町)。もともとヒグマのエサ場となり出没が頻繁だったこのコーン畑は、この電気柵設置以降ヒグマのエサ場から完全に外され、周辺の安全も確保された。 

20-40-70㎝
 丸瀬布の「いこいの森」に設置された基本的な電気柵だが、これには説得に5年もかかった。道南で学んだ電気柵やバッファスペースなどの考えをほぼそのまま総合的に移入してあるが、農業用の電気柵ゆえにキャンプ場の人身被害防止用としては不十分な面もある。が、周辺のヒグマの存在を黙殺することをやめ「防ごう」と合理的方法に移った意義は大きい。近年、この電気柵は形骸化してきていて、クマ用の設置になっていないこともあるので、そろそろ釘を刺し直さねばならないかも知れない。

15-30-50-80-110㎝
 名寄市で講演をおこなった直後、ある農家から助けを求められ提案、というか最後は「とにかく騙されたと思ってやってみて」と強く勧めた電気柵。私自身、道南で電気柵のヒグマへの防除効果はすぐには信じられなかったのだから、農家が半信半疑なのも仕方ない。この農地では、その年200万円のヒグマによる被害があったが、このタイプの電気柵で翌年以降被害を完全に解消することに成功した。上2段の電気ワイヤーでシカのほうも防いでいる。翌年の秋になって、一通の手紙が入ったダンボール箱がうちに届いた。この農地で収穫された野菜があれこれ詰まっていた。成功の証を食べるのは嬉しいもんだ。
    

b)バッファスペース(緩衝帯)
 バッファスペースはバッファゾーンとも緩衝帯とも言われるが、要するに、見通しのいいこざっぱりした空間のことだ。ヒグマの生きる戦略として警戒心を持ちやすい性質の野生動物ゆえ、もともとは北海道でもヒトとオオカミに対して最も強い警戒心を持っていたが、現在、オオカミはヒトが絶滅させてしまったためヒグマの警戒すべき相手はヒトのみとなっている。嗅覚の動物ヒグマは、逆に言えば視覚で不利があるため、「見通しがいい」という環境を避ける性質が根強くあるのだ。そこで、農地や人里あるいは市街地への接近経路となる河川敷などの薮や小径木・草を刈り払ってその空間を一定幅でつくってやる。
 私が道南を視察した2005年あたりの検証では、国道沿いにヤマグワのちょっとした群生があって、その付近でたびたびヒグマが目撃されたことから、ヤマグワの下草を刈り払った。その結果、ヒグマの目撃数が3/4に減ったという結果が出た
(環境研・道南野生生物室・釣賀)。この3/4という数字は、その後丸瀬布であれこれ私が試した結果とも符合し比較的一般化できる数字だと思うが、要するに「てきめんに効果がある、しかし100%ではない」というものだ。
 したがって、バッファスペースはそれのみでヒグマを完全に防ぐ手段というより、電気柵の補助として、あるいはヒグマの移動ルートを変える際の一つの有力な方法論としてある、と捉えるべきものだろう。上にあげた三つの電気柵成功事例の共通点は、大なり小なりバッファスペースが併設されていることだ。
 「クマ用電気柵のヒグマ防除率はほぼ100%」というのは私の経験上でもその通りなのだが、私が提案し実現した幾つかの電気柵の現場では、狭いながらに電気柵に沿って2~5m幅のバッファスペースが必ず設けてあり、「ほぼ100%」という結果を電気柵のみで出しているのか、バッファスペースとのコンビネーションで出しているのかが、じつは定かでない。が、電気柵沿いのバッファスペースがプラスに働くことはあっても決してマイナスにはならないため、電気柵のチェック・メンテナンスも安全にしやすいよう電気柵とバッファスペースはセットで考えるのがいいと思う。メンテがしやすいということは、電気柵にとってとても重要なことだ。

 例えば、人里内にクマに対して無防備で食べ放題のデントコーン畑があればヒグマがそこに到来し周辺を歩き回るのは止められない。しかし、その周辺で「どうしてもここは通って欲しくない」という場所が存在する場合がある。その場合、まず周辺のヒグマの移動ルートをしっかり調査し、その場所に通ずるルート上にバッファスペースをつくる。それだけでヒグマがその場所を通らなくなることも多いが、そのバッファスペースにもかかわらず移動ルートを変えない場合に、次なる手段でバッファスペース中央に電気柵を張って移動を遮断する、という手順になる。
 私の場合、ベアドッグに加えHigh%の狼犬の糞・尿をバッファスペースに加えるので、ヒグマの移動ルートのコントロールは電気柵なしでもほぼ成功するが、ヒグマへのストレスを幾つかの方法で複合的に加え、心理的にそのストレスが累積するように仕向けるのがヒグマのルートコントロールのコツでもある。


c)ヒトの活動・活性
 一定レベル以上にヒトを警戒する性質をすでに獲得したクマに対しては、バッファスペースの効果も高く、そもそもそのクマが市街地や商店街などヒトの活動が活発な場所に姿を現すことは起きにくい。ヒグマの出没しているデントコーン農地でも、私が調査でうろつくだけでヒグマの出没が止まってしまうことがある。それほどヒグマの側ではヒトの動向に注意深く感じている証拠だ。つまり、過疎化によってヒトのエネルギーが減じている地域、あるいは別荘地などでは、地域全体でヒトとクマの境界線を想定・合意し、人里内ではできるだけヒトの活動を派手におこなうようにするのがいい。
 私の調査対策エリア内にある町営キャンプ場では、そこから続く空間があまりにクマの往来があるため「立ち入り禁止」にして人の活動をゼロにした。その後の対策をとらないため、そのキャンプ場に隣接したエリアはますます多くのクマが利用するようになり、危険な状況に陥りはじめた。行政自らクマをわざわざキャンプ場脇に呼び込んで明け渡してしまった形だ。これに関しては見るに見かねたため、多少強引な方法で「立ち入り禁止」を解除させてもらい、クマ1頭1頭を把握し制御・教育する空間として現在は利用している。
 ちなみに、ヒグマではないが軽井沢でどうしてそんなにツキノワグマが山から降りて歩き回るのかというと、ツキノワグマの生息地に隣接し広大な別荘地があるからだ。別荘地なので、都会の人が休暇だけ利用したりでふだん一般の住宅地ほどヒトの活性がない。ツキノワグマは北米のブラックベア同様もともとヒグマに比べてヒトへの警戒心が低く「ヒトとの距離が近いクマ」のため、閑散とした別荘地ではやりたい放題の状況も生まれやすい。ヒトの活性欠如を補うようにツキノワグマの意識に働きかけ、不用意な到来を押し返して軽井沢全体の安全を確保しているのがNPO法人ピッキオのベアドッグとそのハンドラーのチームだ。



B.教育―――ヒトへの警戒心を植えつける法
 食物によるヒグマを餌付けの問題は電気柵で防止していくしかないが、特に近年、食物誘因がないのに若いクマがフラフラと好奇心で人里や街を歩く事例が道内各地で増えている。上述で「一定レベル以上にヒトを警戒する性質をすでに獲得したクマに対しては」と何度も添えなければならなかったのは、警戒心が一定レベルに達していない無警戒型若グマが、特に近年道内で増加傾向の一途にあるからだ。これに対しては、ヒトやヒトの活動に対するクマ側の意識を変えなくてはならない。が、それには電気柵ではどうにもならず、「ヒトへの警戒心を植えつける」ことに特化した教育手法が必要でそれに頼ることになる。学術的には学習行動というが、ヒトにとって好ましい行動をとれるようにヒトがクマを一定レベルで学習させなければ、特に成長過程の若いクマは軽率で不用心な行動をとって迷惑な存在になりがちで、そのクマへの甘やかし状態が慢性化すれば、いわゆる新世代ベアーズが徐々に地域全体に蔓延していくことにもなりかねない。羆塾では、このクマへの積極的・意図的なクマへの働きかけを「教育」という言葉で明確に位置づけ「若グマの忌避教育」と呼んでいる。
※「忌避(きひ)」:警戒し嫌がって避けること

 ヒトへの警戒心を植えつけるという点に関して、電気柵や箱罠・バッファスペースではほとんど効果が得られないため、ヒトがもう少しダイレクトに関与する形でヒトへの警戒心をヒグマに学習させる必要がある。ヒトへの警戒心を一定レベル以上持ったクマは、自然な結果としてヒトの活性が高い人里・市街地・住宅地などに接近することを避けて行動するようになる。「攻撃は最大の防御」という考えがあるが、ヒグマ対策では「教育は最大の防除」と言えるかも知れない。

    


若グマの忌避教育
 「若グマの忌避教育」は概ね威嚇と威圧に大別できる。「威嚇」とは、現に目の前のヒグマに対してベアスプレー、轟音玉(ごうおんだま)、怒鳴りつけやにじり寄り・突進などによって威嚇的行動をとりヒグマを山側へ追い払うこと。「威圧」とは、威嚇を前提としたパトロール・マーキング・追跡などでヒグマを遠ざけること。簡単に言えばそうなる。
左・轟音玉/右・ベアスプレー

a)威嚇/追い払い
 2004年のヒグマの大量捕獲を引き金に捕獲リバウンドが起き始めた2006年から「いこいの森」を中心とした半径5㎞程度のエリアで「若グマの忌避教育」に取りかかり、轟音玉(ごうおんだま)・威嚇弾・ベアスプレーからロケット花火まで各種資材による若グマの追い払いのほか、落ちている枝を振り回して躊躇する若グマににじり寄ったり、眼から血が出そうな音圧で怒鳴りながら突進したり、いま考えてみれば原始人のような方法も使って若グマを追い払ったりもした。特に2006~2008年は顕著な無警戒タイプが「いこいの森」周辺に次々に現れたため、ベアスプレーの消費量も年間3本程度(回数で4~5回)と異常な事態に陥っていた。ベアスプレーの射程は4m以内、つまりその距離にヒグマが接近する事例が「いこいの森」を中心とした比較的狭いエリアで毎年4回以上起きていたということだ(※1)。そこは観光エリアだったため、観光客が遇う前にかたっぱしから無警戒タイプを探し出して、ヒトと遇った場合の逃げ癖を若グマの側に叩き込んだ。澄ました顔でクールに追い払いなどおこなえる状況ではなかったため、ときどき原始人にもなった。当初はとにもかくにもヒトから威嚇され逃げるという体験を若グマにさせることから始まった。
※1:捕獲リバウンドでヒグマ不在となった空間に複数の若グマが周辺のエリアから流れ込むように到来し低年齢化・高密度化が起きるところまではわかったが、捕獲リバウンド初期にどうして無警戒タイプが続出するのかについて、そのメカニズムがまだ説明できていない。



 ところが、どの資材を用いても追い払いをおこなうヒグマとの距離が限られ、状況によって弱点を抱えていた。それを感じ始めていた2008年の夏、白滝の刈り取りが進んだある農地で1頭の若グマの追い払いに失敗し、待機していたハンターに射殺をお願いしたところから私のクマ教育の技術的な方向性が大きく変わった。その一件のあと考えあぐねたあげくベアドッグの導入に踏み切ったのだ。

 

 それからしばらくの期間をベアドッグの育成に投じ試行錯誤の連続で2頭のベアドッグチームをつくったが、いったん信頼できるベアドッグチームができあがってしまうと、若グマの追い払いどころか、クマの調査・対策のすべてのステージで期待をはるかに越えた能力を発揮した。ベアドッグによるヒグマの追い払いのレンジはオンリーシュの数mから、最も遠い距離では1㎞先の稜線筋までで、ベアドッグに追われ逃げ切れないと悟った若グマが樹上高く登って糞尿を漏らすほど震え上がることさえたびたびあった。私はもう原始人になることなく、信頼できるベアドッグを伴うベアドッグハンドラーに生まれ変わったわけだ。羆塾のベアドッグは相棒で息子・娘のような存在である。が、高度な作業をこなす使役犬・作業犬という点において最も優れたヒグマ対策のツールであることに間違いはない。

b)威圧/ヒグマの行動・移動ルートの制御
 威嚇が比較的アクション映画的な派手さを持つのに比べると、威圧によってヒグマの行動を変える方法は推理小説かサスペンス映画的な静かさと繊細さ、そして面白さを持っている。威圧とはその行為にあるのではなく、様々な布石を打つことによってどんな行動もヒグマにとっての威圧行為になりうる。
 丸瀬布上武利地区には夜中になるとデントコーン畑周辺に現れる飼い犬がときどきいる。昔ながらの放し飼いなのか逃げたものかはわからない。その犬が歩いた跡を、そこに到来するどのヒグマも頓着せずまったく無視して警戒行動をとらない。ところが、ベアドッグ一頭を同様に歩かせトレイルカメラで観察してみると、ヒグマはベアドッグの跡に対して尋常でない警戒行動をとりなかなかそこから立ち去らない。警戒心が高じて右にも左にも動けなくなってしまうのだ。どうしてこの違いが生まれるか。二つの可能性があり、一つは常にパトロールなどをおこないときに追跡や追い払いをおこなっているベアドッグを個体識別し、そのベアドッグに特別な警戒を示した可能性と、もうひとつ、うちのベアドッグが狼犬であることによりオオカミ由来の独特のにおいに過敏に反応したか。ほかのいろいろなテストから、どちらの可能性も真であるとわかってきている。つまり、ベアドッグに狼犬をチョイスし、のべつ幕なしに周辺のヒグマにストレスをかけることによって、ベアドッグは最大限の効果を発揮することになる。

 北海道でも北米同様オオカミとヒグマは食物を競合し、奪ったり奪われたりを太古の昔より繰り返してきた。遺伝子にはお互いに警戒し忌避する要素が刻まれていて、要するに、オオカミとヒグマは互いに互いを警戒するようにできた野生動物なのだ。ベアドッグに狼犬を採用した理由のひとつはそこにあり、ヒグマは狼犬のベアドッグを自ずと警戒し、狼犬のベアドッグはヒグマに対してイヌ以上に用心深く振る舞う。そのベアドッグがヒグマの生息地内をヒトとともに闊歩し、ときどきで遇ったクマを追い払ったり、執拗に追跡をおこなったりしているので、ヒグマ側のベアドッグに対する警戒度は非常に大きなものになっている。

 オオカミに関する対ヒグマの検証ではさらに興味深い結果がある。
 現在までに世界ではヒグマに対する忌避剤は見つかっていない。2010年、もしそれがあるとすればオオカミ由来の何かであると考え、尿と糞に関して2010年~2017年までテストをおこなってきた。正確にいえばオオカミに極めて近い狼犬の尿と糞によるヒグマに対する忌避テストである。世の中には「ウルフピー」というオオカミの尿だとされる忌避剤が出回っているが、出どころがわからないため内容物の真偽が不明で研究目的でテストに使うには適していない。「ウルフピー」で効かないからオオカミの尿は効かないと結論できないわけだ。
 そこで私は、ブリーダーに99.9%以上といわれるオオカミ率を持つ個体の尿と糞を採取し、それを丸瀬布においてヒグマの忌避テストに用いてきた。私自身、アラスカでトラッピングの孤児となったと思われる子オオカミを二度ほど育てて森に返したことがあるが、この個体は気質・身体特性ともにオオカミに酷似し、糞と尿に関係する消化器系に至っては犬のようには穀物を消化できない。この個体がオオカミなのか狼犬なのかは誰にも判らないが、少なくともこのオオカミに限りなく近い個体の糞と尿がヒグマに対して強い忌避を抱かせ行動を変化させうることは確認できていて、2017年の検証では、複数のヒグマが移動のみを目的に往来する林道上にこの糞を置き、4頭に対して3頭のヒグマをUターンもしくは進路を90度以上変更させることに成功した。その確率はちょうど道南のバッファスペースの防除確率と同じだが3/4の意味が若干異なる。また、進路を変えずに進んだ個体はその年に無警戒タイプと分析されマークしていた個体である。つまり、特別無警戒な個体でなければ、オオカミの糞でヒグマを止めることができることが示唆された。
 また、あるポイントには2009~2015年の7年間、毎年複数のヒグマが出没していたが、2016年そこへの移動ルートを調べオオカミの糞を二週間おきに配置したところ、その地点へのヒグマの出没をテスト期間の4月~11月完全に消すことができた。
 この他、2010~2017年における各種検証から、「オオカミの糞に対しヒグマが先天的(生得的)に本能として強い警戒心を持ち、その糞のみによってヒグマを止めることできる」ということが、ほぼ立証されたと考えていい。先述したようにヒグマのルートコントロールは幾つかの方法でヒグマの持つストレスを累積させておこなうのが基本だが、かなり効果の高いヒグマに対する忌避物質が発見できた可能性がある。今後とも可能な限り検証を続けつつ、狼犬のベアドッグと純粋なジャーマンシェパードのベアドッグに関して、その活動形式や追い払いの状況と、それらの糞のヒグマに対する忌避効果(撃退効果)の相関を調べながら検証をおこなっていく。
(添付・動画)

 さて。若グマの忌避教育における威嚇と威圧に関して、ともにベアドッグが非常に優れた能力を多岐に渡り発揮することがわかったが、調査の際にも信頼できるベアドッグを伴うことによって安全性を犠牲にせず二歩三歩踏み込んだ調査が可能なため、得られる情報の量も格段に増えた。ベアドッグなしでクマに対峙し山を這いずり回っていた経験、そしてベアドッグを得て安全かつ数歩踏み込んでヒグマの調査をおこなえるようになり得られる事実も増えた経験から、現場のヒグマ対策ではヒグマの専門家(対策官)一人に対して一頭のベアドッグのチームを最小単位とし、2チーム以上で調査から追い払いまですべてのヒグマ対策をおこなうのが理想的な態勢であると現在確信するに至った。

 
Paradox―――ベアドッグ不在となった翌2018年初夏


 実際に毎年どんなふうに何をやっているのか。最近整理したばかりで記憶に新しい去年の例を、できるだけ臨場感が失われないよう写真・動画も少し多めに用いて書いてみようと思う。

 2017年初冬にベアドッグ2頭を失ったが、正直、引退を考えた。決心はどちらにも即座にはつけることができなかった。ベアドッグの有用性、その犬たちにどれだけ頼ってクマ対策をできていたかを、私自身が痛いほど理解していたため、「もし仮にこのエリアのクマ対策を続けるとすれば」」という前提なら、何が必要となるかはわかっていた。魁と凛を失って1ヶ月後には世界中からジャーマンシェパードを探しドイツの名門犬舎からサラをここに迎え入れる手はずを整えた。
 ただ、一つ懸念というか、ほとんど確信に近い「悪い予測」をせざるを得なかった。つまり、それまで無警戒な若いメスが子育てをする場合、いち早くマークし、その仔熊が将来問題を起こすと判断できれば、集中的に追跡・追い払いなどの働きかけをおこなって親子共々ヒトへの警戒心を上げてトラブルを事前に回避してきた経緯がある。そしてまた、2010~2012年の無警戒メスの「放置実験」では同様の予測が的中し、そのメスの連れた子のうち1頭は親離れ直後に日中の上武利集落を徘徊し丸瀬布でも前代未聞の騒動となった。つまり、2017年のベアドッグ不在の影響は翌2018年の6月以降に出る。そして恐らく、その影響とは非常に無警戒に振る舞う親離れ後の若グマのトラブルだ―――それが確信めいた悪い予測だった。2017年、このエリアでは5頭のメスが当歳子の仔熊を連れて活動していた。仔熊の数は8月の段階で一頭減り8頭確認できた。その仔グマのうち一部が2012年級のトラブルを起こすだろうと。
 私の昔の畑・物理学と異なり生物学の世界では何故か理論・仮説が軽視される傾向が強い。理論や仮説の確からしさは、もちろん検証済の科学的事実に符合しているかどうかがあるが、その理論なり仮説なりで未来を予測可能かどうか?という評価方法がある。ある条件で未来の予測ができる仮説・理論は、私自身は十分科学的と認知している。

 問題の2018年が明けた。サラは輸入のトラブルで別所に預けた。が、幸運なことに、オーストラリアの警察犬の犬舎でアメリカの訓練士へ行くはずの優秀なメスの仔犬が一頭行き場を失っていることがわかり、即座にそのメスをここに引っぱった。それが「皆に愛されるよう」と願って名をつけた愛(AI)だった。真夏のオーストラリアから北大雪に愛が送られてきたのは厳寒の2月初旬だったが、愛はほとんど何も訓練されていない素材の状態でここに来た。私はそれまで狼犬に学んだあれこれを駆使して急ピッチに愛を訓練し、5月までにはヒグマの追跡をできるように仕上げ、いよいよ前年に予測していた問題の6月を迎えた。やれることはすべてやった。もともと、ヒグマのにおいを感知するとクルマに飛び乗り2度と降りてこようとはしなかった愛が、実際にヒグマを前にしたときにどこまできっちり動くことができるか、それはやってみなくてはわからなかった。私は私で、2006~2008年の自分に戻り、無警戒な若グマににじり寄ってでもベアスプレーをお見舞いする腹づもりを整え、ベアドッグを連れるようになってから持たなくなったベアスプレーを2本腰に差して臨戦状態をつくった。
 
 2018年6月、無警戒に歩き回る親離れ直後と思われる個体(1歳半)が私の対策エリアのあちこちに出始めた。うち2頭は同胎と思われるが、大型のオス成獣が交尾がらみで到来したのを機に稜線と集落方面に追い出されるような形で出没を開始したようだ。6月に的を絞ったのはコレがあるからだ。捕獲リバウンドによって若グマが増えたエリアでは、少なくとも一時期急な低年齢化を伴いながら数年以内にメスの性比が増える。若いメスが多いということは、トラブルを起こしやすい若グマが産出されやすいとともに、交尾期に奥山からこのエリアに到来するオス成獣の数も多く、このエリアがヒグマの生産エリア化することを意味する。交尾期に入り奥山から交尾目的のオスが到来した場合、通常、仔熊を連れたメスの戦略は「オスを避けて行動する」なのだが、到来するオスの数が一定レベルを越えると、「仔熊を早期に親離れさせて、オスの交尾を受け入れる」という戦略にシフトするようなのだ。近年、丸瀬布の私の調査・対策エリアでは後者のタイプが圧倒的に多く、子育て周期は2年・2頭ずつ、つまりメス一頭に対して「1頭/年」に近いヒグマの繁殖率をもたらしている。
 さて、奥山から到来した遠征組のオス成獣は基本的にヒトへの警戒心をすでに獲得した個体で、比較的用心深く行動するため私以外に目撃されることはまずなく、ヒトの活動域に踏み込んでくるようなこともほとんどない。なおかつ、若いメスといえど、オス熊への警戒心は仔熊に十分教えていることが多い。主に教えるその現場は皮肉なことに8~9月のデントコーン農地周辺だ。したがって、交尾目的のオスの到来が引き金になって親離れをした若グマがこのオスを避けようと思えば、必然的にヒトの活動するエリア周辺に移動するパタンとなりがちだ。つまり、若い母グマに育てられた仔熊あるいは親離れ直後の若グマは、オス熊への警戒を学びつつヒトへの警戒心を学んでいない場合が多く、交尾期が引き金となって親離れした直後にヒトの活動域でトラブルを起こす率が高い。

・A個体(観光道路中腹~稜線方面)
 観光道路脇のフキとアリを食べに出てくるが、最初に確認した時点でヒトへの警戒心がゼロに近かった。ヒトが大声で会話する10m先に出てきて低い笹藪の中をこちらに接近してきた。ベアドッグを揃える以前の2006~2008年の状況に酷似している。ひとまず怒鳴りつけて退散させたが、マーク個体とし、翌日より威圧・威嚇によってヒトへの警戒心を叩き込む対策をとった。何度目かの遭遇でこちら側に接近しbluff chargeの兆候を見せたためスプレーで一気に決着できると思ったが、スプレーの射程(4m)に入る前に逃げられ、長期戦を強いられることになった。魁と凛がいてくれればこれは一発で出没を止められるだろうケースだが、訓練中の犬と私で状況に応じて追い払いをおこなうしかなく、警戒心を徐々に累積する方法となった。


6月9日・A1地点
 例年、このフキ群生の派手な食痕がオス到来の合図のようになっているが、特に2018年はクマと私の大活劇の幕開けになる予感がした。こうしてベアドッグにヒグマへの意識を集中させるが、この行動で周辺への出没をやめてしまう個体も多い。逆に言えば、こうしたベアドッグと私の徘徊にもかかわらずフラフラとここを歩き回る個体があれば、「無警戒タイプの可能性アリ」との評価をでき、マーク個体になる。(写真手前が竜(RYO)、奥が愛(AI))


6月21日・A2地点
 上写真の合図から10日経ってA2地点のトレイルカメラにオス成獣が写ってきた。例年この時期に限って現れる大型オス成獣だが、コイツがこのエリアの親子離れの引き金の一因となったと推察できる。この個体自体は十分な警戒心と用心深さを持ち問題を起こす個体ではないため無視。焦点は親離れをさせられた若グマのほうだ。


6月28日・B地点(観光道路B区間)
 若グマのほうの痕跡データは徐々に蓄積していったが、一週間後の27日、観光道路中腹のB地点で現認した。従来この若い個体が暮らしていた斜面は、母グマと到来オス成獣のいわば交尾の空間となっているのだろう。交通量の少ない観光道路沿いに大規模なフキ群生地が続けば、そこに若グマがはじき出されるように出没すること自体は致し方ないことで、それをもって問題性がある異常グマとは評価できない。魁と凛がいればこの手のクマは樹上高く追い詰め一発で意識改善・行動改善を達成でき出没も当然止められたが、ひとまずは静観の構えをとった。


6月29日昼・C地点(観光道路B区間)
 道路沿いのフキ群生地にありついた若グマは、当然道路上を歩くこともある。このあたりで静観の構えを変え、働きかけて第一段のチェックをする気になった。


6月29日夕刻・D地点(B区間)
 三つの場所で同様のことが起きていたのでこのクマだけにかまけているわけにはいかないが、他所を回って戻ってみると、今度はアリを食べているところに出くわした。チェック敢行。つまり、不用意な観光客を装って50mほどの距離でクルマを降り、カメラを構えてみる。


6月29日(C地点)
おいおい接近するのか・・・それじゃあまるで2006~2008年のデジャブーだ。
懐かしくはあるが、ここが観光道路ということもあり容認はできない。


 私に接近しはじめた若グマとの距離が25mを切ったところで、怒鳴りつけと同時に三歩踏みだし追い払った。が、たぶんこのクマはこれくらいじゃ行動改善は難しいだろう。そして、あまり悠長にもやっていられない。


7月2日夕刻・E地点
 このクマの警戒度・学習能力からすると、少し時間をおけばまた同じ行動をとる。その日最後のパトロールで再び道路脇に現認できたため、まずはベアドッグを使わず、私自身が10年前の方法で追い払いに移った。若グマは比較的速やかにガードロープを越えて道路脇の薮に逃げ込んだが、そのまま潜みに入った。これでは追い払いにならない。「どうせヒトは道路を外れて薮には入ってこない」と舐めてかかっているようにも感じたし、この若グマの学習能力に低さに腹を立て始めていたので、なんとしても至近距離からベアスプレーを浴びせる気になっていた。私がロープをまたぐと、若グマはまたザザッと横に移動して潜みに入った。距離は5mほどだがもう一歩二歩距離を詰めたい。2本目のスプレーを抜いて踏み出したところ、若グマははじめて転がるように急斜面を逃亡した。(CLICK→半ば偶然撮られていたドラレコ動画
 私の定義からすれば、これでもまだ「追い払い成功」とまではいかない。剣道でいえば「一本!」ではなく「効果」なのだ。こういうケースでは一本勝ちできることはほとんどなく、ある程度の時間と回数を重ねて効果を累積させ、最終的にクマ側の意識改善を達成する方法になる。
 愛の待つクルマに戻りながら、急ピッチで仕上げた初めてのジャーマンシェパードのベアドッグ・愛の投入を決心した。


7月6日・F地点
 愛をこのクマに行かせる想定で特に瞬時に止める訓練を中心に最終調整をしていた7月6日、4日前に追い払いを試みた地点のさらに稜線側で問題のクマを発見したため、今回は即座に愛をクルマから降ろし「行け!」の合図とともに若グマに向けて放った。愛は若グマめがけて弾丸のように駈けていったが、若グマを追って道路から薮に入るあたりで私は「愛!トマレ!」と短く発した。ヒグマを追い、距離が徐々に縮まり大なり小なり興奮している犬を瞬時に止めることは、狼犬の場合はかなり難易度が高い。が、愛は私の声と同時にブレーキをかけ薮の急斜面に入る手前で止まった。間髪入れず私は「COME!」と発し、無事愛は私のところに戻った。計画では、愛は秋に母親となる個体だ。ギリギリまで私を助けてもらいたくはあるが、決して怪我をさせたくない。「効果」でいい。私と愛で効果を積み重ねれば、必ずこの若グマの意識が変わり無警戒な行動も改善される。

追記)この数日後、愛の追い払い現場から数㎞離れた場所で、刹那的に入って来たハンターによって1頭の若グマが射殺された。容疑は?というと、それが無かった。ただ「居たから撃ち殺した」というものだった。そして、その射殺された個体が私と愛で行動改善をしている真っ只中のこの個体だと、あとでわかった。行政と合意し行動改善を促している最中の若グマを、フラッと入り込んできたハンターが刹那的に射殺するというのは不合理このうえないし、もちろん、現在の北海道のヒグマ対策に関わる法定計画「北海道ヒグマ管理計画」に明らかに違反する行為だ。


・B個体(観光ホテル周辺)

 若くまだ警戒心の乏しいメスが子育てをおこない仔熊を親離れをさせた場合、平均して2頭の新・若グマはともに警戒心が薄い個体としてフラフラとヒトの活動域周辺を歩き回るケースもある。なので、仮に無警戒タイプの若グマを感知した場合、それが1頭なのか2頭なのか、はたまたそれ以上なのかを把握する必要があるが、1歳半の若グマの外観ははこれと言って特徴がない場合も多く、調査の項で述べたあの手この手の方法を駆使しても個体の同定・識別がなかなか断定的なところまで持っていけないことがある。2018年のA個体とB個体がまさにそのケースで、同じようにも思えつつ反対の疑念を抱き曖昧なまま対策に臨んでいた。まずは、マウレ山荘付近の無警戒タイプをB個体として、A個体とは区別して書いてみる。
 B個体が引っかかって来たのは、A個体が観光道路上に頻繁に現れるようになるのとほぼ同時期だった。マウレ山荘のパークゴルフ場脇に糞や食痕(フキとアリ)が見られるようになって私は感知したが、出没時刻が夜間中心であったため特にマーク個体としては対応していなかった。このB個体がマーク個体となったきっかけは、とある住民がパークゴルフ場脇でこの若グマを日中に目撃し写真とともに行政に通報したことからだ。ところがその通報者に聞き取り調査をしてみると、どうにも腑に落ちない。目撃者への一つの疑念が浮上した。つまり、目撃者が話した方向とは真逆の方向にクマは逃げたのではないか。そして、マウレ山荘を囲む電気柵の中へこの個体を不用意に追い込んでしまう形になったのではないか、という推理のほうが実際行政に上がった通報情報より理に適っていた。この目撃者はクルマからこのクマの写真を撮りたい一心で追いかけ回しているうちに、そんな流れになった。が、それでもしホテルの泊客に人身事故でも起きると責任を問われかねない。それで、出没の通報はしたが逃げた方向に関して、つい逆の方向を言ってしまったというところだろう。いずれにしても、もし推理が正しければ大変危険な状況にある。推理したとおりの前提で私はそのクマの居所を探した。ほんの10分後、目星をつけた林のヤブ際でこのクマを現認できたが、どうやら電気柵に阻まれて外に出られないようだ。電気柵の電源をいったん切ってもらい、このクマをある程度誘導して外に脱出しやすいようにする必要があったため、マウレ山荘側にも事情を説明し段取りを即刻固めた。方法はシンプルで、一時間で私が目星をつけた3ヵ所の電気柵を降ろしクマの出口をつくる。その作業の影響でクマがホテル側に接近しないよう、数名の作業員で草刈りを派手にやってもらう。クマが出たがっている方向はわかっていたので、あとは待つだけだ。
 結構広い林とヤブを含む空間なので一両日かかるとも思われたが、運良く私が電気柵を下げてから2時間後の午後6時半、問題の若グマが3ヵ所の出口のうち1ヵ所から外に出たことが確認され、その翌日、その個体が進んだ方向を追跡しマウレ山荘から十分離れていったことを確認し一件落着としたが、その時追っていった方向がちょうどA個体がウロチョロする方面だったため、二つの個体が同一ではないかとの疑いが強まった。

(↑)内部の踏査から、この個体が出るとすれば恐らくここだろうと有望視した緊急出口から、あっけなく若グマは脱出し、ひとまず観光ホテルの緊急事態は一件落着とした。

左写真)観光ホテルを囲う電気柵内に閉じ込められた若グマ 計画的に穏やかな方法で外に出した(6月18日/観光施設)
右写真)同観光ホテルのパークゴルフ場の電気柵内に侵入した若グマ。施設内に人が活動していたため、その人らをガードする位置取りから追い出し、そのまま山側へ追い払いをおこなった(7月4日/パークゴルフ場)

 このB個体はこの年、6~7月にかけての短い期間に最低4度もマウレ山荘周辺の電気柵内に閉じ込められる形となり私は少々驚いたが、極端な学習能力欠如の個体である可能性も念頭に置く必要を感じた。

・A個体とB個体の同定
 上述したように若い個体は特に目立った外観的な特徴を持たないことが多々ある。仮にあるクマに同じ働きかけを同じようにおこなって反応をチェックしても、その場所や時刻などによってバイアスがかかって異なった反応となる場合もある。また、2018年のA個体とB個体のように、若グマなりの心理とか学習能力とかの点で一般的なクマからかけ離れたような個体の場合には、経験値・過去のデータを用いると的外れな方向に考えがミスリードされてしまう可能性がある。そこで、このケースでは、以前テストしていた一眼レフによって撮影された写真の細かな分析を採用した。正面からそれなりに解像度の高いレンズで撮った写真について、各部位や比率を見ていくが、わかりやすくまとめたのが次の動画だが、離れた2ヵ所で正面から撮った写真を重ね合わせ、透明度を徐々に変えてある。動画の始まりがA個体、終わりがB個体である。毛のまとまり具合まで一致していたため、この一眼レフ画像の分析でA個体とB個体は同じ個体であるとようやく断定するに至った。つまり、7月上旬に刹那的にハンターによって射殺された若い個体は、A個体かつB個体ということになる。

(写真をクリックで動画再生)          動画前半・個体A写真提供:土屋幸子


・C個体(観光ホテル周辺)・D個体・E個体
 A個体=B個体だとすると、前年までの調査で把握していたその同胎(兄弟)の存在に私の意識は向いたが、A(B)個体が射殺されて約一週間後の7月15日午後4時過ぎ、A個体が侵入したパークゴルフ場の脇に仕掛けたカメラトラップに1頭のヒグマがかかってきた。その大きさからA個体同様1歳半と推定できたが、同胎かどうかはわからない。また、それからさらに1ヶ月ほど経った8月、同パークゴルフ場の反対側の電気柵脇で2頭の若グマを間近で目撃したが、夜間だったため撮影には失敗した。この2頭に関しては、この年あちこちで見慣れた1歳半と同サイズで親離れ後しばらく行動を共にする同胎2頭と直感したが、道路脇の暗闇に母グマが潜んでいなかったとは断言できない。たぶんあの母グマだろうな、くらいには判っている。 

7月15日パークゴルフ場脇のトレイルカメラ映像よりキャプチャー画像。2mほど奥の白いヒモがパークゴルフ場を囲う電気柵。

 つまり、もともとこの周辺には最低4頭の1歳半の若グマが活動していたことになる。が、場当たり的に1頭の若いクマを殺して「クマはいなくなった」と町長にまで報告し幕引きにした行政には根本的に問題がある。1頭の若グマ捕殺後、行政の報告でマウレ山荘は行政の助言通りに警戒態勢を解いたが、実際はホテルのパークゴルフ場から5m以内に同じ年代の若い個体が少なくとも3頭接近していたことになり、うち少なくとも1頭(上の立ち上がった写真の個体)はまだまだ要注意の若グマだったのだから。

 

・一方、武利川・道道武利線を挟んだ東側/F個体・G個体・H個体
 マウレ山荘の斜面で「悪い予測」が気持ち悪いほど的中し若グマ相手の調査や対策に駆け回っていた同じ頃、道道・武利川を挟んで東の「いこいの森裏」と呼んでいる斜面では、まだ親に連れられた仔熊2頭のうち1頭がマーク個体になっていた。2017年にマークしつつ何一つ働きかけがおこなえなかった当歳子連れのメスが順調に子育てを終え、じき2頭の仔熊を親離れさせてくると推測できたが、仔熊のうち1頭がどうにも怪しかった。私と比較的近距離(30m程度)で遭遇しても、母グマの指示を聞かず、姿を露わにしたまま興味津々にこちらを眺め、なかなか立ち去ろうとしない。あくまで経験的な「感じ」でしかないのだが、この仔熊が親離れ後どこかで何かのトラブルを起こしそうな気がしてならなかった。

写真)仔グマのうち1頭は、母グマの指示でとっくの昔に上の薮に一目散に駆け込んでいる。(6月16日/キャンプ場裏斜面)

 母グマのほうは前年までにそれなりの面識があり、もともと無邪気で軽率に歩き回る問題児で捕獲判断を考えた時期もあったが、「追い払い」(威嚇)や「追跡」(威圧)で地道に一定以上の警戒心を持たせ、ヒトに対して攻撃側よりほどよい警戒度で逃亡側へ傾くよう教育できているため、よほど観光客・釣り人などが誤った行動をとらない限り危険性が十分低い個体だ。が、子をきっちり育てる成熟度までは獲得していないということだろう。仔熊がつつがなくこの地で生きていくための多少のアシストは必要と考えられた。

 無警戒な若グマに対しては、オスメス問わず積極的に追い払いや追跡の「威嚇・威圧」をおこない、「ヒトの接近→遠ざかる・隠れる」「バッタリ遭遇→逃げる」を教えるが、同時に、手間はかかるが「逃げれば大丈夫」を強く教えることで、ヒトとの遭遇の際にクマ側が過剰に切迫し攻撃側に心理・行動が傾くことを防ぐ効果がある。この母グマは比較的それがバランス良く成功している事例だ。


 この親子を一応マークし何度か合って反応を見つつ、一度は少し積極的に追い払いをおこなったが、8月に入った段階で1頭の仔熊が親離れを果たし単独行動となったようだ。実際は、親の意図で親離れをしたのか、単に迷子になった勢いで仔熊がそのまま単独行動になったのかわからないが、とにもかくにも別行動になり、少なくとも8月上旬から9月末まで別々に行動していた。私の経験的には、このケースでは再び親子で行動を共にするように戻る可能性は低い。どちらの仔熊が親離れをしたかについては、外見・行動パタンからするとできのいいほうが単独行動になった可能性が高い。この事例のように、同胎のうち1頭だけ手元に残し教育を延長するのは、もしかしたら教育の習熟度を母グマなりに配慮してのことなのかも知れない。マークした問題の仔熊を母グマがもう1年連れて教育してくれたら、こちらも手間が省けて有り難い。


8月中旬、私が2008年より「教育林」(教育エリアC)と設定し管理するエリアに入ってきた問題の親子。この時すでに子グマは一頭に減っていた。(8月13日・教育林C)


 単独行動に移った個体は、最近流行の白いヒグマ? まるでパンダのよう。マズルから頭部・背中を中心に白~淡いタンの色で、四肢と目の周りが黒っぽい。こういうタイプの若グマは2~3年前にも同じエリアに出現した。この北大雪では突発的な変異と言うより、比較的コンスタントに生まれているようだ。(8月12日・教育林C脇の林道)


ヒトと遭遇したときの反応は、良くはないが焦ってマークするほど悪くもない。ギリギリ及第点か。

 2018年に親離れが想定された1歳半の若グマに絡むマーク個体を中心にざっと書いてきたが(8頭)、問題性・教育必要性がなく放置・静観個体となると、個体識別が完全にできていないにせよ、単独若グマからオス成獣まで含め少なくともトータルでこの3倍の数がこの年「いこいの森~マウレ山荘」エリアを中心とした半径500m程度の狭いエリアで確認できた。この数は例年と比べて大きな増減はないが、当歳子を連れたメス熊は2017年の5頭(仔熊8頭)から3頭(仔熊6頭)に減った。この減少は自然界のバラツキとして吸収できうる数で、このエリアのヒグマの生産力が減少傾向にあるとは言えない。2019年、この3頭のメスが親離れさせてくる6頭の若グマに加え、上述の2年半親離れ型の若グマ1頭が主たる教育個体となるだろう。


(2019冬・岩井)



さて、ヒグマの教育に関するエッセンスとなるような幾つかの例をお話ししよう。

・お仕置き放獣(捕獲放獣)
 捕獲したヒグマを再び放すことを捕獲放獣というが、その際にベアスプレーを吹きかけるなどして放す方法を「お仕置き放獣」などと呼ぶ場合がある。檻の中でベアスプレーをかけられたヒグマは相当痛い思いをし、その経験全体に負の印象を持つだろう。しかし、この方法では、そのヒグマが何とその痛みを関連付けて学習するか、その点が問題となる。犬の躾でも同じなのだが、犬が何か間違った行動をとったとき、間髪入れず叱れば、その行為を犬はおこなわなくなっていく。が、悪い行動をしてから1時間経って叱っても、犬としては何のことやらわからない。ただ漠然とその飼い主を気にするようにはなる。ヒグマの認識能力がどの程度のものなのかをつぶさに見ていかねばならないが、放獣の際のお仕置きでは漠然とヒトなりそこに捕まった状況を忌避するようにはなるため一定の効果は期待できる。しかし、正確にある行動をやめさせる教育にはつながらず、再犯防止の効果が十分得られない可能性が高い。
 また、若グマの教育は犬の躾と似ており、若グマの学習過程と方向、個体的な性格・能力によってももちろん差があるが、何かを教えても時間とともに薄らいでいく傾向が見て取れ、反復して同じ方法で学習させることにより「学習の強化」が起き、その後「固定化」まで進む。ヒグマの脳の中で固定化された学習はそう簡単に薄らぐことはなく、そこではじめて教育終了ということになる。
 そのため、できるだけそのクマのどの行動をやめさせたいかを教える側ができるだけ明確に持ち、そのことに関してピンポイントでわかりやすく即時性をもって教育行動をとるのが最も若グマの学習の強化と固定化をスムーズに実現できる方法である。
参照LINK:ヒグマの学習行動と教育学


・サイドワインダー
 2006~2008年の3年間、若グマのベアスプレーによる追い払いでは、スプレーの噴射前に私は必ず独特のアクションを付け加えた。ベアスプレーを腰から抜き、右手で持ったそのスプレーをヒグマに見えるよう上下に大きく振ったのだ。ガラガラヘビ(サイドワインダー)は攻撃の前にやはり尾を上げて振り独特の音を出す。あるいは、北米のスカンクも、逆立ちをして独特のポーズをとるが、その直後の攻撃と関連があるためどちらも周りの動物に対しては一種の忠告行動になる。そこで私は、ベアスプレーを噴射する前に大袈裟に振ってその動作を若グマに覚えさせたが、その動作をサイドワインダーと呼んだ。
 上述のように若グマの一部は特に一度の経験ではその効果が時間とともに薄らいでいく傾向があって、一度スプレーを吹きかけた無警戒タイプの若グマが再び暢気に私の前に現れることがあったのだ。二度目のボーッとしている若グマに対して、サイドワインダーをおこなう。すると、はじめて気がついたように慌てて逃げ去ることが確認された。そして、三度目まで進んだ若グマは1頭(全体の数%)しかいない。ベアスプレーを用いた反復教育とは、このように実際にスプレーを吹きかけなくても十分効果がある。恐らく、これらの学習をした若グマに遇ったとき、持っているお茶のペットボトルをシャカシャカ振っても、そのクマはハッとして慌てて逃げると思う。
 ちなみに、スカンクの噴出する強烈なガスの分子式とベアスプレーの主成分カプサイシンの分子式は非常に構造が似ており、私がベアスプレー噴射準備OKの段階で独特のわかりやすいアクションをとっていたのは、自然界の合理性に則す。
 スカンクとヒグマがお互いに歩いて接近した場合、ヒグマの側がサッと道を譲ってスカンクが目の前を通り過ぎるのを待っていたりする。恐らくこのクマはスカンクのガス攻撃を受けた経験があり、内心、あの逆立ちの姿勢をとらないよう祈るような気持で見ていたのではないか。 

・アラスカのスプルースと若グマ
 私が学生時代に自らを人体実験的に放り込んだアラスカの土地はまったくの原野・森林で、ヒトの道がある場所から100㎞ほど河をさかのぼった河のほとりだった。ヒトに遇うことはもちろん店などないため、文明の利器をあれこれ持ち込みはしたがすべてが自給自足で、大きなミスを犯せば人知れず死んでただその場で朽ち果てていくだけの場所だった。そういう森でなければ実験が成立しなかったので仕方ない。
 ある日、自宅を作る材料集めで40㎝径ほどのスプルース(トウヒ)をチェーンソーで切り倒そうとしていた。クサビを何本か打ち込み最後の段で、ついクセで周りの安全確認をおこなったところ、視界30mほどのところにクマが居た。いかにも若くて無経験そうなヒグマ(Brownbear)だったが、ただ興味深そうにこちらを眺めていた。が、こちらはこちらで、そよ風でも吹こうものなら大きなスプルースが傾き倒れそうなところだったので、まともに相手もしていられない。そこで、その若グマを無視し、そ知らぬ顔で斧でコンコンとクサビを打ち、そのままスプルースを地面に倒した。大音響とともにスプルースは地面に倒れたが、ヒグマのほうの目を移したときにはそのクマは姿を消していた。
 それからしばらく、私はそのクマを待ち構えながら暮らした。毎日焚き火を起こしてサーモンステーキやシカステーキやカモのシチューを食べる暮らしだったので、周りのクマやクズリやオオカミにしてみれば私の野営地によだれをたらしながら接近したって不思議でも何でもない。ヒトを間近で見たこともなく変な生きものとしか思っていない若グマならなおさらだ。現れたら、ガツンと追い払って二度と私の食糧を狙わないように学習させたいところだった。
 ところが、待てど暮らせどそのクマはやって来なかった。しまいに、しびれを切らせて私のほうから周辺の森を歩き回ってそのクマを探したが、見つけられなかった。またそいつが野営地に来たらその時はその時で考えればいいと都合よく考え私はあっさりもとの暮らしに戻ったが、いくらアラスカでもこの手の若グマの行動圏などさほど広くはない。お隣さんとして暮らしていくことになるとわかっていた。

 この若グマに対して、じつは、スプルースを倒した一件がこの若グマにヒトへの警戒をかなり強力に植えつける結果になっていたと考えられる。単なる学習行動のさらに上に知能行動というのが高知能な動物にはある。ただ何かの経験で学習するだけでなく、その学習を記憶し、幾つもの経験と学習から類推能力を用いて想像・推理しリスクを回避したり、美味しいものにありついたりする行動だ。この若いヒグマの事例は、ヒグマの類推能力と知能行動の可能性を示唆する、ヒグマの教育ではかなり重要なお話しなのだ。その後、ヒグマだらけの環境で悶着・軋轢を避けながら暮らす最も合理的な方法として、ヒグマの類推に働きかけるアクティブフェンスと名付けた高機能な方法につながった。

・アクティブフェンス
 電気柵というのはヒグマに対して非常に効果的で防除率がほぼ100%というのも確かだが、その条件として、必ず一度はヒグマがメンテナンスが十分な電気柵に触れて驚愕の衝撃・痛みをもらわなくてはならない。その経験によってはじめてそのクマは電気柵に触れることを忌避し、近づくことさえも躊躇するようになる。オペラント条件付け(学習)の一種で、電気柵に触れるという行動によって「苦痛」を伴ったある意味パッシブ(受け身的)な方法である。その学習はリニア(線形関数的)で単純なものの、その学習効果のほかへの広がりに乏しい。
 ところが、上述のスプルースと若グマの例では、まずどこにもクマ側の苦痛が介在していない。上で触れたように、これは単なる経験からの学習ではなく、ヒグマの類推能力に働きかけた知能行動を引きだした方法なのである。
 ヒト一人は、じつは大した実力もなければ、ヒグマを忌避させるだけの能力も持っていない。ヒトが持っているのは、過去から積み上げてきた文明という人類の共有財産である。文明の利器ひとつ持たないヒトが北海道で真っ裸で暮らすこと自体難しいし、ヒグマに怖れを抱かせるなど到底できない。ところがヒトは、文明の衣を着ることによって、とたんに野生動物のおこないとはかけ離れた様々な能力を発揮できるようになる。ヒグマにしてみれば、特異で得体の知れない生きものに見えていることだろう。アクティブフェンスというのは、簡単に言えば、その文明を最大限に駆使してヒグマの類推能力に働きかけ、ヒグマが自ずとヒトを警戒・忌避するように誘導する方法である。

 アラスカの避寒地として選び18年ほど暮らしている私の自宅は、古くからのやまご(きこり)には「クマの巣」と呼ばれるほどヒグマの活動数が多い谷にある。やまごの呼び名は誇張ではなく、暮らしはじめた当初は、しょっちゅう自宅周辺でヒグマを感知できたし、PCワークをやっていても、ふと窓の外を見るとクマが歩いていたり。その場所で、まず私は広めの家庭菜園を作った。そこにはスイートコーンやらメロンやらカボチャやらイチゴやらニンジンやら、ヒグマの好きそうなものをかたっぱしから植えたが、その防除テストに使ったのがアクティブフェンスだ。
 結果から言えば、10年間たった一度もヒグマによる被害は生じなかった。ただし、シカやキツネによって荒らされたり、収穫間際に到来したシカの群れによって作物が壊滅したりもした。その10年で、アクティブフェンスが北海道のヒグマに対しても効果的なことが確かめられ、と同時に、シカやキツネ・タヌキ・ヒメネズミ・ヤチネズミに対しては別の方法が必要なこともわかった。 


 


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