since2004
 
 
 日誌・エッセイなど(読みもの・・・かな) と おまけの報告書・意見書など

 
今年(2011年)、道庁・振興局主催の「ヒグマ捕獲技術研修」というのがあって、私も捕獲判断の話をしてお手伝いさせてもらったが、その際、肩書きに「実践的研究者」と紹介された。私としてはヒグマ対策の「用心棒」か「コンサル」あるいは「コーディネーター」のスタンスでやって来た。もちろん、ヒグマという自然に対する純粋な知的好奇心も働くが、用心棒なら用心棒なりの知識・認識・技術を要するので、必然的に調査研究・勉強をおこなうことになる。大学の生物学畑でそのまま研究職に就いた人とまったく異なる経路で来たため、言ってしまえば、行儀がよくない。北海道およびアラスカでの活動から始まり、ヒグマへの試行錯誤やテスト・観察は、ここ北大雪に来てからさらにきわどい方法となり、そのぶん安全確保・リスクマネジメントは精度を上げたとは思うが、そこにはかなり行儀の悪いトライ&エラーも関与している。フキの沢に入った若グマを尾根からダッシュで追って待ち構えるのはまだよしとして、月夜の晩に樹の上に登って落ちないようにザイルで自分の身体を枝に結びつけ、夜中イタズラをしに来るヒグマを見学したり、クマ相手に「だるまさんが転んだ」を挑んだり、気配を消して木陰からシカの脇腹を指でつついてみたり―――要するに、生粋の研究者からすると、「そんなことはやめましょう」と言いたくなるようなテストや観察を随分おこなってきたように思う。シカの脇腹は無意味だと思うだろう。それがそうでもない。まず、野性動物相手にこうして接近するには、それなりに技術が要る。その技術は、アラスカの原野でショットガンの狩猟を介して学んだ。そして、雌ジカでもそんな異常なことをされれば角もない頭でグリグリ攻撃してくるが、その攻撃は、ヒグマのreal charge(=real attack=PanicCharge)の本質を見事に物語っている。いろいろを有機的に結びつける能力さえあれば、野性動物相手の「やりとり」に無駄なものはない。
 実践的研究者というのは言い得て妙だが、ヒグマ研究者の多様性、つまり、こういう人材もたまには居ていいのではないか?という正当化を密かにして、行儀・作法を手に入れることは、結局放棄したままだ。
 私はいわゆる研究者の出した成果をできる限り吸い上げて理解はするが、では、その科学的に立証された事実のみで、例えばヒグマとのバッタリ遭遇時に対応できるかというと、それはまったく不可能だ。そこまで、まだヒグマの科学は進んでいない。科学的事実でクマが撃てるかというと、それも否。それは、人里のリスクマネジメントでもまったく同様。つまり、現場で起きていることが、科学的立証を待ってくれない現実が歴然とある。それで、試行錯誤・テスト・観察から、科学的に矛盾しないようにいろいろを有機的に結びつけ、仮説・理論を構築し、それに沿って現場で実践していくしかないわけだ。そこに数値がしっかり伴えば、これを検証という場合もある。
 そのあたりを加味して、このページを読んでもらえたら幸いである。




もくじ―――
エッセイ・随筆・覚え書きなど
  神のようなシカに学んだこと―――オビディエンス・服従訓練
  The失敗
  殺したら必ず学べ!
  機転
  フリーズ&ストーク(Freeze&Stoke)
  ぼやき:本当のところ───0.1度の可能性
  共存共栄?―――ヒトとクマのギブ・アンド・テイク
  仮説)山の豊作の翌年、成獣オスの捕獲数が増える?
  銃声とヒグマ
  二人の先生───スカンクとオオカミ(StripedSkunk&GrayWolf)

  100億円・100%助成の電気柵の行方は?

報告書・提起書・意見書など
  「100億円・100%」助成電気柵の顛末
  緊急執筆:2011札幌クマ騒動の分析と意見
  2012年・秋田のクマ牧場事故に寄せて
  オオカミの再導入に関して(問い合わせへの意見・回答)





神のようなシカに学んだこと―――オビディエンス・服従訓練
 

 2009年の11月で魁も一歳になった。
 翌2010年の春先、その年初めてのヒグマの足跡を散歩コースで確認し、抜け落ちたヒグマの足の毛を探していたら、魁が風に何かを嗅ぎとり、サッと走って斜面を駆け上がった。トドマツやマタタビのツルが茂っていて、魁の走った方向に何があるのかが見えない。私は急いで魁を追い雪をかいたが、魁の唸る方向に目を凝らしていると、走る先の木立の影に茶色い大きな影がチラリと動いたのが見えた。「くそっ!」 私は、のどかな冬の散歩に慣らされて、この日クマスプレーも鉈も持ってきていなかった。何たる失態。
 手ぶらでヒグマとやりとりを行うのは久方ぶりだが仕方ない。私は空身で魁の後を追ってトドマツの斜面を手足を使って汗だくになりながらガシガシ登ったが、急斜にとりかかったとき、影の主が大きな雄ジカであることがようやく見て取れた。シカは急斜の斜面の中腹の岩場に追い詰められ、仁王立ちになって首をグッと上にもたげて魁を見下ろしていた。
 私は冬眠開けのヒグマでないことにちょっと安堵の気持ちを抱いたが、すぐに気を引き締めた。雄ジカの角は長靴なら、首の一振りでスパッと切り裂くほど鋭利で、興奮した雄ジカになど、普段の私なら絶対に近づかないだろう。シカを視界に入れた私は、このシカの角が妙に念入りに研ぎ出して尖っているように見えた。魁はオス鹿の危険をまだ知らない。これまで何度かヒグマには正面から対峙した経験があるが、雄ジカには初めてだった。それも、悠に100sを越える大鹿。下手をすると無邪気な若グマよりよほど危険かも知れない。とにかく、40sの魁がまるで小さく見えた。
 私は40mほどまで近づいて、鋭く短く魁の名を叫び、意を決して呼びをかけた。「魁!COME!!」 魁は一瞬シカから目を離し、二〜三歩私の方に戻りかけたが、ダメだった。すぐにシカに戻って再び威嚇する。これで、万事休すだ。しつこく呼びをかけても、通じなければ教育上悪い効果にしかならない。そして何より、魁が躊躇した瞬間にシカの攻撃が来ると危険なため、私はできるだけすぐ飛び出せる距離にまで二頭の動物に接近して、静観することにした。どうせ魁もそのうち飽きるかも知れないと、希望的観測が働いていたこともあった。
 私は魁を呼び戻すことから、二頭の動物の動きと心理の観察に手早く切り替えた。特に間合いだ。魁が、シカの動きをいかに見極め間合いをつかむか、それをつぶさに観察した。どうせ呼んでも戻らないのなら、何か弱点を魁に見出し訓練に生かしたい。そう私は考えた。

 そうして、私は腰を据えて観察に入ったが、かれこれ20分たっても魁は集中を欠くことなく、牽制は収まらない。シカが動こうとすればサッと回り込んで退路を断ち、角をさげて攻撃されれば後ろに飛び退いた。仔犬のくせに、大鹿の動きを見事なまでに封じ込んでいる。私は、ついそのやりとりに見入った。しかし、シカもだんだん焦れてきて足で雪をけったり、角を前に突き出したり、攻撃的な態度が目立ってきた。シカは追い詰められている。そう私が感じた瞬間、シカの動きがにわかに鋭くなり、間合いを誤った魁がシカと錯綜し、急斜面を転げ落ちていった。「魁!大丈夫か!」私は血が逆流し魁を追おうとしたが、次の瞬間、体勢を立て直して斜面を駈け上る魁を見た。それまでの力試しをする若犬とは表情が変わっている。私は急斜の深雪を蹴散らかしてシカと魁の間に無理矢理割り込み、寸でのところで魁を雪面に押さえ込んでリードをつけ、斜面の上3mから見下ろすシカを一瞥し、「こいつは仔犬だ。勘弁!」と残して、魁を引きずり急斜を転がるように滑り降りた。シカの目は不思議だった。全てを見通したように凛然と立ち、私に何かを諭すようにさえ感じた。

 魁は後ろ脚に深い穴を開け、私は私で膝をねじって古傷を再発させたが、魁と私が負ったダメージよりも、それぞれが学んだことの方が大きかったと思う。魁は雄ジカとの間合いを学び、ミスをすると大怪我をすることを知った。そして、私が再確認したこと、それがオビディエンス、服従訓練だ。具体的にはこの時に失敗した「呼び」である。普段の生活でなら、魁に対する呼びは、およそ利く。しかし、野生動物相手に興奮した状態の魁を完全に自分のところに戻すことを、私はできていない。およそでは、やはりダメなのだ。


膨大な失敗と一握りの成功に考察を加えて整理し、複雑に絡み合ういろいろをほどきながら、つなぎ合わせた事実・考えを書いていると、何やらいっぱしの研究者のような風情になるが、膨大なほうを書き出したら、それこそきりがない。『ヒグマ研究・失敗大全』のような本が出来上がってしまう。そもそも私の人生がそういう性質を纏うので仕方がないが、魁を相棒にしてからというもの、失敗に磨きがかかって危うさを増した気配さえある。アラスカのテントで目覚め、木漏れ日を映すテントの屋根に「おお、今朝も生きてるぞ」と感激をもって思ったように、最近、その感情が不意に湧く。寝ぼけた頭で魁の顔を見て、つい「おまえも元気か。今日も一日頑張ろうな」などと、気持ち悪いほど模範的な言葉で話しかけたりする。ただ、今もときどき、皆が感心してくれるような燦然とした成功話を思い起こしたりするのだが、私の経験袋を逆さまにしてどう振っても出てこない。輝かしき成功例はスッカラカンに近い。未来の大馬鹿が生かしてくれたらなあ、などと感じる今日この頃である。


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The失敗

 2009年のシルヴァーウィーク直前。キャンプ場横のデントコーンに付いた例の「最低4頭」相手に立ち回ることになった魁と私だが、3日間の調査・パトロールで、前掌幅16pの一番大きなオスがにわかに動向を変化させ、新しい痕跡が発見できなくなった。こういうことは成獣でときどきある。デントコーン農地などで私がウロウロとしつこく調査で歩き回るだけで、その農地から姿を消すのだ。5歳前後のオスの若グマと推定したこのクマ、じつは、既にかなりの警戒心を持っている個体かも知れない。一方、「いこいの森」の境界を縫うように行動する一番やっかいな小型のクマは、相変わらず不用心な行動をとっていた。
 ここで、ある目論見が浮上した。そのクマは既に単独で動いている当歳子だったが、仔犬の実地訓練としてはもってこいだった。このクマなら、何がどう転んでも私一人できっちり追い払える。クマも当歳子、魁も当歳子。魁のほうが2ヶ月ほど年長だが、お互いを学ぶにはいいチャンスだ。つまり、私のバックアップの元、仔犬の魁にヒグマの動きや攻撃を教える題材になってもらおうと、私は考えた。それまでのように、単にヒグマと対峙し睨み合うのではなく、実際に威嚇や牽制をしてヒグマの動きをコントロールすることを学ばせたかったのだ。この訓練課題は、私の自宅から少し入った作業道で、この年親離れした1歳半の若グマ二頭のうちどちらかで行う算段だったが、必要十分な条件が巡ってきたので、より安全な当歳子で行うことを私は選んだ。
 通常、この手の訓練は、模範となる完成されたベアドッグに付かせて学ばせる。が、そんなベアドッグはどこにもいない。とすれば、次の方法はひとつ。実際の現場でヒグマに当て、ある程度のリスクを承知で学ばせるしかない。山の危険は全てそのように魁は学んできたが、実際、本当に実践で生きる形で身につけるにはそれしかなかった。

 翌日、午後のパトロール。前日までの痕跡調査で見つけたその個体の移動ルートを注意深く進んでいると、前方40mのササ藪がガサッと音をたてた。そこを注意して見ると、辛うじて黒い影が動くのが見えた。しめた!追い払いを行うのに最適な位置関係。クマの向こうには一本の林道が走っていて、それを越えれば山の斜面。私と魁の背後にクマ出没で閉鎖された町道と「いこいの森」があった。風はちょうど横に吹き、魁とヒグマはお互いに相手を嗅げない位置関係だったが、スプレーは十分使えるそよ風。だが、ひとつ、このクマは私が想像していたより、どう見積もっても大きい。もしかしたら、残った二頭のクマかも知れないと感じたが、そのまま行うことにした。
 魁も前方の異変に気がつき、舌の先を少し出して頭を上げ、四つ足を踏ん張ってその方向を注視した。こういう時にうるさく吠えないのが魁のいいところ。私に考える時間を与えてくれる。風はOK。距離も方向もいい。ただ、中途半端に蔓延ったササが邪魔だった。リーシュをどうするか……薮の中ではリーシュが魁の動きを妨げる。私は、何度かの魁の経験を信用し、最終的にリーシュをフリーにして魁にやらせることにした。
 私はリーシュを短く持ち、それで合図を送って静かに歩き出した。魁は既に突進モードに入りかけていたが、まだ相手が何者か把握していない様子だった。10mほど進んだとき、風向きが変わったか、魁が低い唸り声を発しはじめた。私は魁の背中に手をやり、リーシュの金具を外すと同時に、「はい!はい!」とかけ声のようにヒグマにぶつけた。魁はまばらなササに突っ込み、まっしぐらにクマのほうへ走った。
 クマはそれに気付き、山側へ逃亡、そして、林道へ出る手前でこちらに向き直った。これまでのパターン通り。問題はここからだ。魁が左右に動いて牽制しているのが判った。こんな動きは教えていない、この犬の本能か。そう思ったとき、苛立ったヒグマが中腰で立ち上がった。「あっ!」
 私は、ミスを犯した。どうしてこいつがここに居る?と一瞬思ったが、咄嗟にカラマツの幹に回り込みスプレーを手に取った。このエリアから姿を消したはずの16pが、ここにいたのだ。こいつでは、仔犬の練習台にはならない。「魁!Come!」と私は叫び、身体を緊張させた。クマを前になぜか魁の「呼び」が利かなかったことがない。数秒の間をおいて魁がこちらに走ってくるのが感じられた。が、そのあとをヒグマが追ってきているのを見た。魁の動きが速すぎた。「走って逃げる」になってしまったのだ。「Come!」私はもう一度、私の存在をクマに誇示するように鋭く魁を呼び、向こうから見やすいカラマツの横に出て、剣鉈のロックを引いてほどいた。
 魁は私の横でUターンし、そのまま向き直って再びクマを牽制した。クマは数m前方で私を視認し足を止めたが、スプレーの射程に入っていなかった。さすがに少し興奮している。クマはその場所で右へ左へと落ち着きなくウロウロ動いたが、私と魁、二頭の動物に突進をする気配はなかった。「邪魔をするなよ」と念じたが、それを知ってか、魁は私の後ろに回り込むように左右の牽制を行った。ほとんど風は感じられなかった。これならいける。クマがフラリと射程に入ったのを合図に、「動くな!」と怒鳴り、私はスプレーのトリガーを押し込んだ。オレンジの霧がクマのほうに噴射されている間に、もう一度、今度は明らかに魁に怒鳴った。「動くな!!」
 ヒグマは全身の筋肉をはじけさせるような態度をとったかと思うと、そのまま身体を揺らして怒濤のごとく尻を見せて逃亡した。

 クマではないが、魁は私の緊張に同調するように育ててきた。だから、この段階では、言語のコマンドを聞くというより、私の緊張度を伴って感じ、はじめてコマンドが利くというふうだった。この一連で用いたコマンドもほぼ二つ「Come」「動くな」だが、私の動きや声色を魁は常に気遣い、それに応じて動いた。
 「魁。おいで」と呼んだ。私の傍らでクマの逃げ去った方角を警戒していた魁は、何か照れ笑いのような、満足げなような、ねぎらいのような顔をして私を見上げた。私は、少し目が痛く、スプレーを気付かない程度浴びたようだ。カラになったスプレーをホルスターに戻して魁にリーシュを付け、魁の目を覗き込んだ。スプレーはさして浴びていない様子だった。「よーし、よーし」と首をさすってやり立ち上がると、いつも通りリーシュで合図を送って、来た羆道をゆっくり戻った。
 木立の中を歩いていると、急に魁に話しかけたくなった。「おい、さっきの位置関係は逆だろう? ベアドッグのおまえが本当なら前なんだぞ」 興奮冷めやらぬ肩の動きで魁は満足げに歩いていた。「おい、聞いてるか?今のはスプレーのおかげだぞ。……まあ、いいか」 そのまま歩いて町道に出た。
 この事件以来、ついに目的の当歳子はこのエリアに現れることはなく、シルヴァーウィークを迎え、その後まもなくデントコーンが刈られた。恐らく、私らと悶着のあった16pが、魁の代わりに当歳子を追い払ってしまったのだろう。失敗は失敗だったが、これは成功につながる失敗である。魁はまだ生後8ヵ月。これから一回りも二回りも成長する。いつの間にやら歳を重ねた私も、半回りくらいは。

補足)
 その後、毎年、魁は同様の雄ジカ遊びになるが、初めての時と比べ明らかに間合いをしっかりとれるようになり、見ているほうも少し安心していられるようになった。そして、シカと遊んでいる真っ最中にでも「カム!」の一声で私の元に戻らせることができるようになった。
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殺したら必ず学べ!

 何やら緻密な計算のもと若グマの忌避教育を行っているという印象を与えそうだが、現場では決してそのようなことはない。不測の事態だらけで、どれが不測でどれが計画かわからなくなることもしばしば。不測の迷路をガシガシ進んでゆくと、なぜか計画通り終わっていることもある。

 2008年8月の終わり、渡島半島に用があり、自宅を出た私は国道333を呑気に走っていた。ところが、国道に入って5qもゆかないうちに、あっ!と思って道路脇に目を移すと、そこには一頭のヒグマが道路を渡りたそうに、行き過ぎる私のクルマを見ていた。私は首を動かしそのクマを追ったが、クマはクマで首を回して私を追った。あのようなヒグマとのアイコンタクトは、私も初めてだ。
 私はゆっくりブレーキを踏んで、クルマを路肩に止め、その呑気なヒグマがどうするつもりか眺めていた。すると、ヒグマはおもむろにクルマの途切れた国道を渡り、そのまま線路を越えて、その勢いで収穫を半分終えた農地に入ってしまった。
 普段、「若グマは―――」とまあまあ穏やかに話す私の口から、「バカ熊!」という言葉が出てくるのは、こういうときだ。
 「このバカ熊が!そんなところで何やっとる!!」
 私は、積んでいた若グマ教育セットを腰に巻いて国道を降り、バカ熊、もとい若グマの方へ向かった。
 そのまま湧別川へ降りて姿を消したいところだろうが、この若グマはここに入るときに派手に電気柵に触れている。それで、もう一度電気柵を突破して逃げる勇気が湧いてこない。あっちへウロウロこっちへウロウロ、要するに、農地に閉じ込められてしまったのだ。
 こういうケースでは、追い払いのシフトなんてやっていられない。無防備な野次馬が集まり出すと何が起きるかわからないからだ。私は、その時持っていた7発の轟音玉のうち三つをまず遠くから破裂させ、若グマの様子を見てみた。若グマは閑散とした農地の中をウロウロするだけで、一向に向こうの林へ突っ切って逃げる勇気が湧いてこないようだった。
「50mじゃ、遠いか……」
 私は若グマに近づいて構え、轟音玉に点火すると四十肩を忘れて力一杯若グマに向けて投げた。ところが、何の拍子か知らないが、その一投に限り轟音玉は勢いよく飛び、おまけにコントロールまで定まって、若グマの足元近くまで飛んで地面に転がった。
「あっ、マズイ!」
 若グマは、逃げるどころかその得体の知れない物体に興味を持ち、今にも鼻を突き出してクンクン嗅ぎそうな勢いだ。
「あ゛ーーーーーっ!!」
 私は自分の生命のエネルギーを全部若グマに発散しぶつけるつもりで、わけも分からない音を大口から叫び、咄嗟に若グマの方へ怒濤の如く走っていた。
 その形相に驚いた若グマは数歩後ろへ飛び退き、ちょうどその時、轟音玉が炸裂した。寸でのところで若グマの鼻を吹き飛ばすところだったが、それでも若グマは電気柵を越えて逃げようとはしなかった。
 この一発で、私は密かに思った―――このクマは無理かも知れない……

 こんなやりとりをしていると、若グマが突然何かに威嚇の表情を示した。その先をチラリと見ると、この騒動を嗅ぎつけた野次馬らしきがちらほら集まっていた。なぜ若グマが私ではなく野次馬を威嚇をするのかわからなかったが、これで万事休す。これ以上長引かせることはできない。
 私は最後の轟音玉を注意深く炸裂させて射殺可能な農地の隅へ若グマを誘導し、駆けつけ待機していたハンターに頭を下げた。
「射殺を、よろしくお願いします」

 私は若グマが国道を渡ってから50分間このクマと関わり、結局、「追い払い」に失敗した。情けなかった。

 私は、一頭の無邪気な若グマを死なせ、それと引き替えに、自分の「追い払い」の弱点を心底知った。
 立ち樹の一本もない開けた場所での「追い払い」―――この弱点を克服する切り札がベアドッグだ。



「若グマ」と「バカ熊」
 これまで述べたように私の対象は、要するに人里周りの教育過程の若グマだ。山奥の「でか熊」は興味や何やらはあるが、登山者や釣り人と巧く折り合いをつけて山の中でお好きなように暮らしてくれればいい。問題はとにもかくにも若グマだ。若グマは、人里周りでかなり無警戒な行動をとることもあるので、神経を使わざるを得ない。新しい痕跡に対しては、大なり小なり追跡するのが普通だ。
 「これは、例の若グマだな」と澄ました顔で始まって、新しい痕跡類を追ってゆくことがあるが、次第に痕跡と我々の時間差が縮まり、ふと見た先にその若グマが発見される場合がある。雪の急斜を登れず、道道の脇に沿ってウロウロと歩いている。それも、のどかな午後の小学生の通学時間にだ。それまで「若グマ、若グマ」と多少困った様子で言っていた私の口から突如「バカ熊!」と出る瞬間だ。
 本心は、そのバカ熊に駆け寄ってそいつの両側のほっぺたをつかんで無理矢理こちらを向かせ叱りつけ、おまけに呑気な顔の鼻先に噛みついて追い払いたいところなのだが、さすがにそこまではしない。
 若グマに対して怒っているわけではないが、頭にカッと血がのぼり、頭のてっぺんあたりの毛が逆立つのを感じるのは確かだ。
「バカ熊」とは些かひどい言い方のように思えるだろうが、要するに、無知で無邪気で、つまり人の恐ろしさも傲慢さも何も知らず、あまり疑いもせずにただ呑気に振る舞って暮らす、ある意味「若グマらしい若グマ」のことだ。だからよけいに生かしてやりたいと衝動が湧く。
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機転
 ベアカントリーで自転車は危険。犬を連れ歩くのも危険。それは確かで、常々私はそう言っている。自らの経験によるところも大きい。いま3歳となってヒグマの追い払いをこなしている魁でも、小さい頃は、何度ヒヤヒヤしたかわからない。そのうちヒグマにはたかれて大怪我をするのではとか、あまりに無造作にクマの潜む薮に突進していくので、怒ったクマが飛び出てくるのではとか。自転車云々にしても、私自身が自宅からの散歩(サイクリング?)で何度となく体験しているからだ。
 私自身は、危険な犬連れで自転車を使って日常的に林道を走っている。ある時、ハンターの営む居酒屋へ行ったら、「おまえ、あんなことやってたら、そのうちクマに遇うぞ」と親切のような脅かしのような言葉をもらった。どうやら見られたらしい。私は、それを聞いてクスリと笑い、「もう、何度も遇ってますよ」と一言答えた。遇ったらもう人生おしまいだみたいな真顔で言うから、ついクスリと。
 実際、そうなのだ。林道脇のフキを食べていることは普通だが、林道先に通せんぼの形でヒグマが立ちふさがっていたり、道端のすぐ下に若グマが何かをやっていて目がチラリと合ったり。見上げたトドマツに高々と登っていたり、ササ藪から頭だけ出してこちらを見ていたり、脇の水たまりで行水をしていたことも。まあ、いろいろなパターンがある。
 ところが、よく言うマニュアル通りにやり過ごしたことが意外と少ない。

 狼犬というのはストレスを解消するための運動が欠かせない。そして、その量も多い。1回のジョギングで、冬でも夏でも平均10q。調子によって20qを越えることも珍しくない。
 ある日、魁を連れて林道を自転車でジョギングさせているとき、ふと林道脇に目をやったら、10mほど先の林道脇に1頭の若グマが動作を止めて佇んでいた。時速20qほどで走っているから、見る見るうちに近づいて、すぐそこまで来た。当然、クマと私は目が合ったが、風向きがよかったのか何がよかったのか、魁はその存在に気付いていなかった。それで、ラッキーとばかりに私は知らん顔でそこを通り過ぎた。ブレーキもペダルもそのまま。そして、ちょっと行ったところで何かに気付いた魁に「Hike!」と声をかけ、そこから何食わぬ顔で遠ざかった。私と若グマの最も接近したときで、2mほどだっただろう。機転と一言で言ってしまえ簡単だが、最もマズイと思われる選択はブレーキに手をやることだった。ほんの1秒足らずの間に、いろいろを観察し、咄嗟に動く。このケースでは、「知らん顔」だったわけだが、恐らく、それが唯一、悶着を起こさない方法だっただろう。このパターンでは経験的に、興味を持った若グマが私らの帰りを待ち構えていることが考えられたが、帰りには跡形なく消えていたので、ややこしいことをしなくて済んだ。

 魁が1歳を越えた初夏、同じく林道を颯爽と走っていたら、ケツだけ出して林道脇のフキを食べているクマに出遭った。発見した距離はまだ50mくらいあったので、私はブレーキをかけ、「魁、止まれ!」とスマートにコマンドをかけてみた。ところが、この頃の魁は、ちょうど体格だけ大人で頭が子供の時期。「止まれ」と言った瞬間にブレーキ以上の力でグイグイ引っ張りはじめ、クマとの距離がどんどん縮まった。「止まれ!!」「止まれって言ってるだろ!」と騒がしくしたおかげで、クマはこちらに向き直り、やはり目があった。左手でリーシュを持ち、右手でブレーキだが、その頃は、その右ブレーキが前輪のままだったので、20mくらいのところでとうとう派手に転んでしまった。地面に這いつくばりながら、一応、若グマに目をやったら、二歩三歩斜面を登りかけ、唖然としたような表情でこちらの騒動を眺めていた。私は、クマなどどうでもいい感じになって、魁を叱りつけた。ついでに、「こんなに血が出てるだろう!自転車も壊れたぞ。どうしてくれる!止まれと言ったら止まれ!!」と大声で愚痴まで言った。結果、私と魁の悶着のせいで、クマとの悶着は忘れ去られたように回避できた。この事件後、ブレーキを左右入れ替え、右手で後ろブレーキを操作できるようにした。

 こういう数多の事例を拾っていくと、かなりヒグマとの悶着回避の方法は広がるが、どうやってマニュアルに盛り込めばいいかがわからない。臨機応変。これがミソなのだが・・・・一つだけ共通点があるとすれば、出遭ったヒグマの心理にいつも気をつけているということだろう。その心理を半ば自動的・条件反射的に読み、最も安全な方法を瞬間的に選択しているような気がする。
 私の経験からすると、bluff chargeの前兆に「考え込む」ようなしぐさがあることが多い。それまで、比較的動いていたヒグマが動作を一瞬止めて、「何か考えてるのかな?」と思った瞬間に、身を翻して突進開始、なんていうことが意外と多いのだ。つまり、bluff chargeというのは、少なくとも一部に関しては条件反射的ではなく、あくまで考えた末の戦略なのではないだろうか? 「bluff chargeをやってやろう」と考えさせる間もなく、通り過ぎたり、あるいは肩すかしのように無視する形で振る舞ったり、そういう要素が私の常套手段として存在するように思う。相撲でいう「がっぷり四つ」、ヒグマとの間の心理関係でその状態を避けているのだと思う。
 ただ、相手の心理と状況を瞬時に考えての臨機応変・機転というのは、やはりマニュアル化しにくい。
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フリーズ&ストーク(Freeze&Stoke)

 フリーズというのは「止まれ!動くな!」というようなときに命令形でよく使う。ストークは、ストーカーと同じ語源で「忍び寄る」という意味である。私がヒグマに対して行う「フリーズ&ストーク」というのは、つまるところ、日本で言う「だるまさんが転んだ」である。
 じつは、このフリーズ&ストークも、アラスカで必要に迫られて覚えたことだ。

 そもそも私が銃器を手にしたのは学生時代、北米を流れるユーコン川のとある支流だった。その河のほとりで偶然合ったロシア系の移民の息子に「これはおやじの形見だ」と何箱かの散弾とスラッグとともに渡されたのが、「バイカル」という、いかにもロシア的な名のショットガンだった。スラッグはもちろん対グリズリーの護身用、散弾は鳥など食糧確保のためのおまけだ。
 彼自身は少し下流に出没する大型のグリズリーを「でかい顔」と身振り付きで表現し、それを何やらしきりに恐れているようだった。私と相棒が銃なしにフラフラしているのを心配して、おやじの形見を惜しまず貸してくれたのだろう。
 彼のバイカルは昨今の銃にはなかなかない風格を持っていて、村田銃の如く単発式で、実際に当たるのか当たらないのかわからない銃だったが、この銃を撃ちながらブレイクアップ直後のユーコン流域を旅をした覚えがある。
 ライフルの名手なら、通常400m内外のシカを一発で即倒させることができる。ところが、私がバイカル以降アラスカなどで用いてきたのは護身目的がメインの可もなく不可もないRemingtonの870という汎用のショットガンで、その射程は長くても100m程度。護身で30m以内で用いることを想定し、7連射ができるようパーツを選び、当然スコープもつけてはいなかった。
 だから、その訓練も奇妙なものだ。たぶん文章にすると滑稽なのだが、本人は真剣にやっていたことなので書いてみよう。
 まず、立ち樹三本に高さの異なる的を打ち付ける。高さのイメージは、およそヒグマが四つ足状態と立ち上がったときの頭部より少し低い高さ。的は空き缶でも段ボールの端切れでも何でもいい。そして、ショットガンに数発の弾丸を込め、はじめの一発は20〜30mの距離から立射で通常の射撃姿勢で撃つ。二発目以降は、そこから即ポンピング(装填)しつつ樹に回り込んだり、倒れ込んだりしながら様々な態勢から様々なタイミングで別々の樹の的を撃つ。7発だと弾がもったいないので、だいたいは3〜4発。それを5秒前後でそれぞれの的に当てる練習だ。もちろん、イメトレを兼ねるので、的当てをしている意識はない。本当にそこにヒグマが居るイメージで銃を向けるが、調子がいいときは7発を10秒以内に別々の10pほどの的に全弾当てることができた。
 日本ではスラッグを一日10発か20発撃つと肩が痛いとか言い出すハンターが多いが、私の場合はそういう猶予もなかったので、ひどいと一日100発以上のスラッグをこの練習で消費したりした。
 どうだろう。西部劇みたいで滑稽だろう? でも、護身で銃器を使うっていうことは、ほとんどこちら側の理想的な態勢で撃てることはないと思っておいた方がいいのだ。

 私の狩猟の師匠はハンティングガイドもやっていて、アラスカでも希に見る凄腕だったが、その彼とシカ猟に出かけると、彼は自らの射程のシカを見逃して、私に仕留めさせようとし、私は私でライフルに背を向けショットガンにこだわった。ところが、悲しいかな射程は最大100m。それで、とにかくシカに気づかれず接近する必要があり、銃の遠射の精度より、いかに野生動物に近づくかをいろいろな方法で随分訓練した。
 野生動物に近づくには、二つ方法がある。一つは、その動物の行動を読み切って、最適な場所で待ち構える方法。もう一つは、藪や風を逆手にとってこっそりと忍び寄る方法。これを、そのまま狩猟に使うと、それぞれ「待ちの猟」「追いの猟」などという。どちらも、ショットガンでやろうとするとなかなか難易度が高いが、昨今流行のクルマによる「流し猟」に比べれば途方もなく面白い。
 多少キチガイじみた訓練のおかげで私は野生動物に近づくそれなりの技術を身につけたが、現在では、自宅周辺のシカ相手に単に酔狂で、ひどいときは、じっと樹の麓に座ってシカを待ち、目の前を通り過ぎるシカの脇腹を指でつついて仰天させ愉快がるためだけに、このせっかくの特技を行使している。

 シカは目も耳もいいが、完全に動かないものに対して意外と鈍感で、音を立てず風向きとシカの移動ルートさえ計算すれば、樹にもたれかかって静かにボーッと立っているだけで、ほんの数メートルの距離をまったく私に気づかず歩き去ることが結構ある。私の自宅脇にある露天の五右衛門に浸かってただボーッと考え事をしていても同じことが起きる。本州の「木化け」「岩化け」は別にボーッとしているわけではないだろうが、私の場合はこのボーッというのが結構ミソかも知れない。
 逆にこちらから近づく場合は、もちろん風下から、死角を利用しながら音を立てずにちょうど猫の風体で極めてゆっくりとした動作で近づけば、それなりの距離までシカに気づかれず近づくことができる。
 ヒグマの視力はシカよりはるかに悪く、この作業はさらに容易かも知れない。近づくのは容易でも、気づかれたときの対応は容易ではないが。

 例えば、視界の開けた広い牧草地で150mの距離に牧草を食んでいるヒグマを見つけた場合などに、フリーズ&ストークの出番となる。これは、若グマ相手に限ったことではない。
 ヒグマというのは、特に草本を食べるときには、無我夢中では食べない。一定の時間口をつけて食べたら顔を上げ、あたりをグルッと確認してまた口をつけ、また一定の時間で顔を上げ、という具合なのだ。よほど何かに警戒心を抱かなければ、それを律儀にやってくれる。だから、ヒグマが「だ・る・ま・さ・ん・が、転んだ!」とか言うわけではないが、タイミングを見計らって、ヒグマが牧草を食べているときにこっそり忍び寄り、顔を上げる瞬間に完全に静止すれば、ヒグマに気づかれずかなりの距離まで近づくことができる。
 実際は、ヒグマが忽然と立っている私に気づいたときにあまり切迫するような距離まで近づくと危険なため、フリーズ&ストークでヒグマに接近できる限界距離を確かめようと思ったことは、私にもない。条件さえ揃えば、もしかしたら、釣り竿の穂先でヒグマの脇腹をくすぐれるくらいにまで近づける、かも知れない。
 単なるストーキングで、例えば沢のフキを食べ歩くヒグマに尾根筋から回り込んで待ち構え、こっそり物陰に隠れて観察する場合は40m以下まで近づくことがあるが、牧草地などで近づいた距離でヒグマに私を気づかせるときは、いろいろな好条件がすべて揃っても、私の場合はせいぜい80m前後までだ。もう少しヒグマを熟知している人か、もう少し粗野で無謀な人なら、さらに距離を縮めることができるのだろうが。

 80mというのは些か長く感じるだろうが、これにはヒグマの距離感がカラクリになっている。ヒグマの距離感―――例えばヒグマが切迫するヒトとの距離は、視界の開けた場所で長く、藪や木立のある場所では短い。これは経験から見えた一種の法則で、例えば、ツンドラのデンプスターハイウェイ沿いでは長く、ササ藪が蔓延る北海道では概して短い。
 先述のように、北海道のヒグマに特徴的な「潜む戦略」というのがある。ササの蔓延った北海道では、ヒグマがこの戦略を日常的に使うのだが、逆に考えると、その分だけヒグマにとっては戦略の選択肢が多いことになり、有利ということができる。少なくともヒグマは、視界の利かない場所では、ヒトに対して自分が有利と感じている。だから、かなりの至近距離まで切迫してどうこうすることが少ないのだ。
 逆にヒトは、視界の利かない場所では―――例えば夜間とか、ヒグマに対して自分が不利だと何となく感じている筈だ。不利だと思うからこそ、ヒグマもヒトも緊張度が増し、ちょっとした何かで切迫し、行動を迫られてしまうのだ。
 したがって、あるヒグマに対して、仮に私が森林内で普通にやりとりできる距離が40mだとすれば、その同じヒグマと開けた牧草地のど真ん中で同じようにやりとりを行おうとすれば、その距離は2〜3倍程度に伸びてしまう。もしヒグマがこちらに突進してきたとき、盾として使う樹一本ないというのも、距離を伸ばす原因だ。
 実際、山塊で私がまあまあ心地よくヒグマとやりとりを行える距離は、少しマージンをとってだいたい40mくらいだろう。この距離は、前もって決めているわけではなく、その時々の状況によって自然に変わる。だが、50mより長いと「遠いなあ。もう少し詰めようかな」という気になるし、30mではついクマスプレーのトリガーに指をかけたくなる。たかだか10mの差だが、これが結構、心理的には雲泥の差なのだ。もちろん、沢のヒグマを見下ろす位置ではもう少し短く、相手を見上げるような場合は長い。
 ある優れたクマ撃ちは、クマを撃つ理想の距離は30mだと話してくれた。私は、この距離を聞いただけで、彼を羨望のまなざしで見た。この距離で、彼は冷静にヒグマを観察し、静まりかえった気持ちで寸分の狂いもなく銃を撃てるということだ。恐らく、彼にとってこの30mという距離もマージンを含めた距離だろう。実際、かつて彼はヒグマの移動ルートを数十メートル読み損ない、待ち構えた射座のほんの数メートル先の藪から姿を現したヒグマの延髄を冷静に撃ち抜いて仕留めたことがある。不随になったヒグマが彼の射座に倒れ込んだというから、かなりきわどい状況だったと思う。

 基本的に、お互いに不測のいわゆる「バッタリ遭遇」でヒグマとの「やりとり」「コントロール」を行うときは、自分がどう感じているかではなく、ヒグマ側が何をどう感じているかをまず基準に考える。ヒグマ側が有利でヒグマの心理として余裕がある方向に傾いている状況では、ヒグマには多くの戦略が残されていて、通常のバッタリ遭遇ならむしろ危険度は低い。ヒグマの咄嗟の攻撃開始などの危険度が高いのは、ヒグマの選択肢が限られているときだ。その場合、まずはできるだけ多くヒグマ側に選択肢を与え、つまり、ヒグマ側に選択を委ねる形で対応するのが最も安全な方法だ。
 では、非積雪期、概してヒグマに有利になっている北海道の地形・植生が、ヒトにとって有利か不利か?というと、ヒグマの事をある程度理解し正しく対応できる山菜採りや釣り人にとっては有利、ヒグマを撃とうとするハンターにとっては不利、という正反対の結果になる。もちろん、クルマで道をブラブラと流しているだけのハンターは論外だ。ヒグマとの悶着を避けたいヒトには有利、悶着を起こしたいヒトには不利ということになるが、ヒグマが切迫しないという状況が、ヒトにもヒグマにも有利というところは意味深な部分かも知れない。

 ヒグマに対するフリーズ&ストークは、シカ相手の待ち伏せと違って酔狂でやっているのではない。いろいろ目的があるからだ。
 一つは、一定距離でそのヒグマが私に気がついたとき、どのような反応を示すかを引き出すテスト。これは、上述の「追い払い」のテスト要素と同じで、そのヒグマのヒトに対する経験や性質を量るためだ。いったんフリーズ&ストークに持ち込んだら、最終的にヒグマがケツを見せて逃げるまで私は引き下がらないので、結果的に「駆除要素」「教育要素」も満たすことになる。

 二つめは、いわばヒグマの視力検査。
 基本的に、私が動いて忍び寄るのは、ヒグマがこちらを見ていないときだけだ。ヒグマが顔を上げてあたりをうかがっているときは、私は完全に静止している。
 実例では、牧草上150mほどからフリーズ&ストークでヒグマに徐々に近づき、85mの距離で、ヒグマが完全にこちらを向いて様子をうかがったときに、牧草地の真ん中に立った暗めのアースカラーの衣服を着た私をまったく認識できなかったケースがある。このことから、私はヒグマの視力を「0.1以下」と、およそ推定することができた。
 その後、同じ距離から一眼レフで連写したところ、ヒグマはそのシャッター音に気がついてこちらをしきりに警戒した。仕方ないので私は大きく腕を振って「ほい、ほおーい!」と声をかけた。そのオスは、ようやくここにヒトの私が立っていることに気がつき、しばらくこちらを凝視し確認したあと、ばつが悪そうにゆるゆるとむこうの藪まで歩いてゆくと、ひょいと跳んでササ藪に入りそのまま遠ざかった。
―――合格だ。
 このヒグマは推定200s前後の真っ黒なオスだったが、視力が衰えるほどの老齢ではなく、一応平均的なヒグマの視力を持っていると、私は概ね考えた。
 ヒグマの視力がヒトに比べてかなり悪いのは過去の経験から何となくわかっていたが、それがどれくらい悪く、ヒグマの見る風景がどんなふうかはなかなか想像できなかった。それで、フリーズ&ストークを用いてテストしたというあらましもある。

 三つめの目的は、私自身の訓練なのでヒグマ側にあまり関係ないが、この距離だと顔の筋肉や眼球の微妙な動きは判らないので、およそヒグマのボディーランゲージでそのクマの次の行動を瞬時に予測する訓練ができる。だから、距離は80m離れていても、かなり神経を集中した「やりとり」となるのが普通だ。
 これは、私が過去に何度かミスを犯してややこしいことになった経験があるからだ。
 調査やパトロールでは、だいたい暗くなる前にクルマに戻るよう心がけているが、つい遠出をしたり何かに熱中したりして帰りを急ぐときがある。そして、ササがまばらなトドマツ林などをショートカットして歩いて帰る途中に、その林の中で若グマと出くわすことが何度かあった。無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマ相手の調査に出ているのだから、多少こちらの存在をアピールしたところで、こういうことは往々にして起こりうる。たぶん、尾根筋に出ればまだまだ明るい時刻なのだが、谷周りのトドマツ林の中というのは、思いのほか暗いのだ。この状況では、仮に40mの距離にじっとしているヒグマでも、ほとんどシルエットとしてしか見えない。なんとなくこちらを向いているだろうとは判っても、目も口も視認できず表情が読めない。まるで影絵のクマの行動を読むような状態を強いられるのだ。シルエットの動きと音、そしてそのクマが無知で無邪気な若グマであるという推測が、私の持つ材料だが、その都度、何とか誤魔化してクルマまで戻った。
 遇ったヒグマは「狙った若グマ」かも知れないが、「狙った場所」「狙ったシチュエーション」からともに外れているので、これはあくまでミステイクだ。暮れゆくトドマツ林で若グマのガチンコ教育など、正直あまりしたくない。
 かねてよりこの「影絵のヒグマ」対応の訓練をしたかったのだが、明るい場所で遇ってしまうと、どうしても私の神経はヒグマの表情と手に集中してしまい、なかなか輪郭を見ない。それで思いついたのが、上のようなフリーズ&ストークの状況での、より安全な訓練法だった。
 この訓練を始めてから、なぜか「影絵グマ」に出くわした試しがないが、たぶん、少しは訓練が生きているとは思う。調査帰りの不注意でなくとも、月夜の晩のヒグマなら、その輪郭で何とか「やりとり」を行える―――かも知れない。
 なお、この手のテストには100mでの誤差が1m前後のレンジファインダー(デジタル測距計)を用いて距離を測っている。当然、デジ一眼を併用すれば、そのヒグマの体高・頭胴長くらいははじき出せる。

追記:上の牧草地で極めて良好な反応をヒトに対して示したヒグマは、ちょうどこのテストから一週間後、この尾根近くの山道から見える斜面にいるところを偶然通りかかったシカ駆除のハンターに目撃され、やはり観察も判断もなく即ライフルで射殺された。190sのオス。罪状なし。ばかな……

補足)ヒトを怖がらないクマ
 昨今の道内では、特に若い個体が人里あるいは住宅地・市街地まで出てくるケースが多くなっている。ハンターがらみで一般的によくいわれる論は、いわゆるクマ撃ちが減少して、クマが山でヒトに追いかけまわされる経験をしなくなったという説。これは、もちろんあると思う。クマ撃ちのように、特定のヒグマを追って山を歩き回る狩猟者は、残念なことに現代ではほとんどいない。だいたいが、クルマで徘徊し偶然見つけたクマに発砲するだけの話。三日三晩、怪しいヒトが自分をつけ狙って淡々と追ってくるなんていう経験を持つクマは、少なくとも私の地域には存在しない。クマ撃ちがヒグマをスコープに入れてトリガーを引いて射殺するその瞬間までと同じ作業が、私のおこなってきたクマへのストーカー行為ということにもなる。ただし、銃器は持たず,、ヒグマとの距離ははるかに短いが。
 よく誤解する人がいて、「春グマ駆除」でクマを獲らなくなったからだ、なんてもっともらしく言うが、別にクマが増えようが減ろうが、ヒトを十分警戒していれば、そう簡単にヒトの活動する場所にフラフラ近づいたりはしない。問題は、春グマ駆除の廃止で、ヒトに追われるクマが減ったということだ。

 もう一つの、原因は、クマ撃ち不在の地域では特に、有害駆除で銃よりも箱罠に依存する傾向が圧倒的に増したことだ。箱罠のメリットは夜間出没型のクマが捕獲できるという点と、その作業の難易度が低く、ヒグマへの知識が相当稚拙でも不注意なクマ、特に若い個体なら、小学生の夏休みの自由研究でもできる程度のものだ。何しろエサでおびき寄せるので、だいたいそれらしいところに置けば、クマのほうから寄ってくる。ただ、偶然寄ってきたクマのうち特に経験が浅く不注意な個体を捕獲することはできても、狙った特定の個体を捕獲することは、少なくとも小学生にはほとんどできないとは思う。
 箱罠というのは、ほとんどヒトや人里への警戒心をクマに植えつけることができず、「罠さえ注意すればぜんぜん平気」と生き残ったクマたちは捉えるようになってしまう。そういうクマにとっては、罠は何の障害にもならず、平然と箱罠の横を通り過ぎて、目的のデントコーン農地に向かったりする。
 ところがハンターや行政・住民は、クマが獲れると何か重要な作業をしているような錯覚に陥り、ひたすら罠でアトランダムなクマの捕獲に走ったりする。「今年はもう10頭とったぞ!」と勇ましく言うが、その多くが被害に関係のないクマで、単に箱罠の中に仕込んだエサに引き寄せられて捕まった若い個体だ。このあたりの理解が欠けたまま捕獲数だけなんとなく多くなるが、その影で、「罠さえ注意すればヒトも人里も危険ではない」そう多うクマがどんどん増えているような気がする。

 『渡島半島ヒグマ保護管理計画』において、『春期の人材育成捕獲』という取り組みがある。そこで浮上した問題が、銃器の性能だ。ヒグマの視力による感知能力と銃器の性能があまりに違いすぎて、銃で狙われてることにも気がつかないうちに射殺される例が相次いでいると、報告データからは読める。例えば、報告での射殺距離が400m内外という例がときどき見られるが、ヒグマは100m先に静止したヒトを見分けることができないレベルの視力しか持っていない。積雪期に400mなら、風下から普通に近づけば、ほとんど気がつかれず近づける。こちらにまったく気がつかないクマは、恐らく休憩したりユルユルと歩いたり、とにかく的としてはイージーな状態だと思う。そしてこちらは、ほとんど反撃を受ける可能性がないため、平常心で撃つこともできるだろう。つまり、クマにしてみれば、突然どこかから銃弾が飛んできて、何が起こったかさえわからないうちに、その場に倒れて死ぬことになる。先述したように、静的射撃で400mというのは、風さえなければそんなに難しいことではない。
 もちろん、雪が融けて薮が復活してしまえば、こんな射撃は不可能だから、人材育成と言っても、大して役に立つ技術を得られるわけではない。ハンターにとって最も有利な時期・条件で、高性能ライフルでこのような射撃をいくらしたところで、実践ではほとんど役に立たないということだ。
 私の人材育成の方法論のひとつに、ショットガンを使用するということがある。とはいえ、今どきのショットガンはスラッグで100m先の獲物ならまず外すことはないほど出来が良いので、クマ猟には十分な性能を持っている。このショットガンで、50m内外の距離で仕留めるようにすれば、ハンターにもそれなりの実力が身につき、なおかつ、ヒトに追われる経験を持つクマも増えるだろう。
 箱罠もライフルも便利な道具ではあるが、それゆえに、対ヒグマの技術で最も重要ないろいろを退化させてきた。その退化とともに幾つもの問題が吹き出てきつつあると思う。ヒトをなめたクマが溢れること。そして、どうしても獲らなければならない危険グマをピンポイントで確実かつ速やかに獲れなくなること。どちらも、人身被害の危険性の点で重大な問題と思われる。

 丸瀬布では、北海道の指針・指導を無視して山へ入り「駆除」という名目でクマを射殺する人間がいまだに何人かいる。早いときには朝の3時台、暗いうちから山に入ってクルマで林道を徘徊し、見かけたクマに手当たり次第発砲しているが、そのおかげで手負いグマも人知れず生じ、たまに手負いにしたことが偶然バレたりする。そのスタンスで私がショットガンを持てば年間に最低10頭はヒグマを射殺できるだろうが、もちろん、現代はそういう時代ではない。彼らは見かけたクマのうち警戒心の乏しい若グマを撃ち殺す。この方法では、ほとんど先につながらない。私は、威嚇して追い払う。結果、クマたちはハンターを恐れず、私とベアドッグをむしろ恐れているような気配さえある。人里からクマを遠ざけるコツは、撃ち殺すことではなく、生かして教えることだ。


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ぼやき:本当のところ───0.1度の可能性

 白滝のヒグマ管理センターでレクチャーを終え、エコ・ツーリズムのミニバンは武利線から「氷穴」を過ぎ、ゲートを開けて太平へゆっくり向かう。ミニバンには乗客6名とヒグマ調査員兼ガイド2名。エコガイドをしながら調査ルートを進む。ガイドの内容は、ヒグマの痕跡を見ながらのヒグマレクチャーに加え、安全確保ができると判断された場所では、「やっほーい!ほいほーい、ほい!」と山の歩き方を実践で学ぶ。
 ミニバンの他、調査用(エコツアー客2名まで乗車可能)が二台とシカ回収用ピックアップが一台用意されているが、それらの位置はGPSデータが無線で随時センターに送られ、白滝のヒグマ管理センターの職員によって地図上で把握されている。
 ミニバンのゆく沢は、現在一頭の若グマの活動が盛んで至るところに痕跡が残る。その痕跡を乗客に説明しながら進むと、沢を挟んだ斜面に若グマを発見。無線機に手を伸ばしセンターに連絡。
(無線)≪こちら一号車。荒川線・馬の背の下1200m。R1、フキ食、レベル1。二号車はゲートにて待機願います≫ 
 この無線で現認されたヒグマの「場所」「コードネーム」「行動」「緊迫度」などがセンターに送られる。デジタルカメラで撮られた写真は、個体データとしてセンターにストックされる。
「今日は幸運だ。あそこにフキを食べる若いヒグマが見えますね」
「えっ? どこ?」
「ほら、あそこの楡の木のふもと」
「あっ!いた!」
「大丈夫。逃げたりしないから、静かに眺めてください」
───云々

 彼方未来の出来事かも知れないが、これが私の描く北大雪のクマと来訪客のひとつの形だ。 

 現在私が取り組んでいる「追い払い」「若グマの人間忌避教育」は、いろいろな現状を見て半ば仕方なく過度にやっている作業だ。これは、ひとまず無知な若グマが観光客を怪我させたりしないようにする目的からだが、その現在の短期的目標とは異なるイメージが私の中にはある。
 人里近辺にキツネやタヌキやウサギやシカやヒメネズミがいるだろう。鳥類では、大きい方からオオワシ、オジロワシ、クマタカ、フクロウ、カラス、クマゲラ、カケス云々ときて最後にコガラ。これらは、特に人からエサを与えられなくても、人里近隣の空き農地や林道や林を結構普通に歩き、この地域の空を滑空したり樹上に止まって我々ヒトを見下ろしたりしている。偶然でも人に見かけられて「出没事件発生!」そして「猟友会招集!」「駆除せよ!」となるのは、およそヒグマだけだ。

 町の鳥獣行政はじめ、その過敏で神経質なまでの対応の多くに誤認・錯誤があることは述べてきた。
 錯誤でないひとつの事実は「ともするとヒグマは非常に危険である」あるいは「人の行為によって危険な存在に変わる」という部分だが、「ともすると」「人の行為によって」という部分を解決すれば、ヒグマが近隣の山に生息すること自体の危険性は極めて小さくできる。そしてもしかすると、どこまでいってもネガティブな「害獣」から「財産」「資源」「希望」「宝」へと180度その存在価値を転換することさえ可能だ。
 
 先日、下の集落の若者が興奮気味に私のもとへ来て言った。
「岩井さん!僕、このまえ留辺蘂の方で、生まれてはじめてクマを見たんですよ!」
「ほう!近くでかい?」
「50mくらい! すごく大きくて、立ったら2m以上ありそうな大きなクマでした!クマって、すごいよなあ!」 
 なるほど、この気持はなんとなく分かる。いや、すごくよく解る。
 芸能界へでも行ったら売れっ子になるような二枚目の口が、クマのことでこんなふうに無邪気に動くことの方が私にはちょっと不思議だったが、整った顔はともかく、童心の口調は非常によろしい。
「そりゃあよかった!幸運でめでたいことだ。忘れないように今晩夢を見たらいいさ!」
「忘れたくても忘れませんよ、あれは!」
 こう言って、若者の目は私ではないどこか遠くの彼方を見る目になった。メラメラとではなく、ゆらゆらトロトロと焚き火の炎が揺れている眼光だった。昔、多くの友人にこの眼を見たことがある。そして恐らくその友人たちは、私の眼に同じ光を見ていたのだろう。

 クマに喜ぶ若者を喜ぶ私だったが、ひとつ引っかかった───「留辺蘂のほうで」という部分だ。残念か落胆か腹立ちか解らないが、とにかく執拗に引っかかり、それがなんとなくシャクだった。
 私は、彼の帰り際にこうつけ加えた。
「でもなあ。この辺にもいろんなヒグマが沢山いるんだぞ」
 若者は、分かったような分からないような変な顔をしていたが、いつか分かるだろう。
 実際、私の調査で彼の借家から500m以内に毎年何頭ものヒグマの痕跡が発見されるし、私はその範囲で今年も二頭、現物と対面している。できうるならば、「留辺蘂のほう」なんかじゃなく、彼の自宅の裏山のクマに合ってもらいたかった、というのが私の正直なところである。仮にそのヒグマが、立って1.5mしかない小さなクマだったとしても、留辺蘂のクマの何倍も心が動かされるはずだ。
 因みに、クマに関わるのに二枚目は必要ない。何故か縁もない。こう言うとまた要らぬところでヒグマ界からにらまれるが、アラン・ドロンやロバート・レッドフォードらしき顔は浮かんでこない。だいたいチャールズ・ブロンソンやらスタローンやらトラボルタやら、コナキジジイやら河童の三平やら狼男やら。最近北大雪のクマの虜になった男は、クマよりクマに似ている風体を持つ。この男が前世クマだったといえば、私は従順にそれを信じてしまう。むかし、熊犬(クマを追い立て射程内にとどめる犬)を育てる秋田の猟師が、「こいつは顔が三船敏郎みたいだろう。いい犬になる」と言っていた。加山雄三じゃダメだそうだ。クマを扱う者は、もしかしたら熊犬の素質を持たねばならないのかも知れない。
 ブロンソンやら河童の三平にただひとつ共通するのは、先ほどのゆらゆらトロトロの炎が彼らの眼にあることだ。そして時に、そのゆらゆらがメラメラと高温で燃えさかる。

 さて。
 若者に告げたことはすべて私の本心だったが、このやりとりで私の心は憂鬱になった。
 深くため息をついて思った。例のアレだ。
───違うんだよなあ

 ここの町と一部ハンターはかたっぱしから殺そうとし、私は私でかたっぱしから追い払い忌避教育を行う。もちろん、ハンターはシカ駆除の時に偶然見つけた若グマや子グマを撃ち殺すだけだから、毎年殺せるクマの数など、突発的な何かがなければ罠を駆使してもせいぜい10頭止まりだろう。この数はどれだけ巧妙にやっても変わらない。そして、現在のように人為物を食べまくって元気いっぱいのメス熊だらけなら、そのメスたちは極めて順調に仔熊を生産し続けるだろうから、恐らく、当面人里周辺でヒグマの数が増えることはあっても減ることはない。ただし、私はその10頭であっても無闇無分別な捕殺は阻止にかかる。
 何よりの問題は彼らが殺すクマの種類だ。彼らが安易に撃ち殺しているヒグマは、例の「無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマ」のうち、特に呑気で警戒心のない個体だ。そのバカで間抜けで何の害もない若グマが撃ち頃の山の斜面で呑気にフキやシャクを食べ続けるとき、あるいは近づいたシカ駆除のハンターをただ確かめようと立ち上がって興味津々で見ているとき、容赦なく高速の弾丸が撃ち込まれる。つまり、警戒心が強く、狡猾で人目に付くこともなく農地へ降り、罠も見切ったようなヒグマだけがこの人里周辺に生き残ってゆくことになる。

 私は私で、この数年林道や山上農地周辺で、無邪気なバカ熊にヒトへの警戒心と遠ざかる戦略を植え付けてきた。若グマによっては徹底の上に徹底的に、今どきの教師なら暴力教師と指さされる方法でそれを教え込んだ。ときどき体罰のダメージが心配になって眠れなくなった。
 初対面で、ゴロリと横になってお茶でもすすりながらニヤニヤ眺めていられたほどの若グマが、結果、私だけでなく他の誰かが接近しても逃げ去るようになってしまった。バカ熊が少しは利口に目覚めた。それが目的だったのだから、忌避教育は大成功だ。しかし。
───違うんだよなあ
 これが本音である。

 この地域を訪れる観光客は、基本的に都会や町にない自然を求めてやってくる。山に風景だったり、清い渓流の流れだったり、同じく毒気を含まない空気だったり、鳥のさえずりだったり、ひっそり生えるキノコだったり、お茶目に動き回るエゾリスだったり、ネズミと大して変わらないナキウサギだったり、ひらひら飛ぶ珍しい蝶だったり、どこかの島の怪鳥のように飛ぶオオワシだったり、つぶらな眼で意外と図太い神経のエゾシカだったり、威厳がありそうでなさそうなヒグマだったり───まあ、いろいろだ。
 だから例えば、エゾシカの群れが道から見えるだけで車が何台か止まって見物人が出る。キツネがキャンプ場やホテル近くをうろつけば、孫に誕生日プレゼントを手渡すようなありさまで何人ものお客がお菓子を与える。そして、その光景を連れの誰かがカメラで撮ってご満悦になったりする。大勢で空を見上げて感嘆していると思えば、エゾシカの死骸の上に弧を描くオジロワシだ。マウレ山荘には立派な野鳥用エサ台があり、そこでエサをついばむ小鳥たちは宝塚のヒロインような喝采と扱いを受ける。
 キツネにエサをやるのはもう少し考えなきゃいかんが、まあ、ここでは素通りする。とにもかくにも、ここを訪れる観光客は、地元からすればとるに足らない無駄な生きものや音や香りが無性に嬉しく、それを求めてやまないのだ。とるに足らないくらい普通にそういうものがあるから、観光客はわざわざこのような辺鄙な山間部へやって来るのである。
 だから。ヒグマなどをほんのチラリとでも見ようものなら、ほとんど卒倒するのではないかとこちらが心配になるくらい身体を震わせ興奮し、喜び勇む。こちらが喋るチャンスも与えず「北海道まで来た甲斐があった!」「生きているうちにヒグマが見られるとは思わなかった!」「これでもう明日死んでもいい」などと人生の大殊勲のように感激する。
 いや、待てよ。よくよく考えてみたら、この地元でさえクマを見たことのない人だらけだ。もしかしたら本当に大殊勲なのかも知れない。
 そう考えつくと、ますます私の溜め息は深くなる。

 私自身がはじめてヒグマに対面したときのことを思いだしてみよ。
 私のヒグマ初体験は大学に入ってしばらくした頃、北海道でのこと、ブッシュの茂る至近距離遭遇だったが、恐ろしいとか嬉しいとか、焦るとか頑張るとか、そんな陳腐なものではなかった。鮮烈と静寂と炸裂と、得体の知れない時空への飛躍。それらの一切合切が同時に私を呑み込み、そこでいったい何が起きたか、何に直面したか、その黒い塊を見た瞬間私は「何だこれは?!」と咄嗟に思うだけで、身体の機能を落として脳だけをフル回転させたがその状況を正確に理解するのに二秒ほどは時間を要した。そして、私は神と悪魔、仏と鬼を包括した圧倒的な何かに打ちのめされた気分になった。だから、幸運とも不運とも思わなかった。
 もちろん北海道のヒグマの存在は、映像や活字や人の話で知っていた。しかし、その動物がふと見たすぐそこに存在する現実を、青二才の私は俄に信じることができなかった。未熟なる経験と稚拙なる知識でその場をいつの間にか半ば偶然やり過ごし、ズンズン地面を踏んで林道まで出て、やっとこさ地球上に帰還したような気分になった。
 私の場合は、アニメチックで快活な興奮や喜び・恐怖とはならなかったが、感情のさらに奥の方へじわじわと染み込んで着床する潜在意識としてヒグマは私に棲みついた。その出来事で、私の山や河への意識が変わった。ヒトへの意識も少し変わった。そして人生がその時たぶん0.1度ほど方向を変えた。0.1度はその場では微少で目測誤差かも知れないが、その微少が20年経ったとき随分異なる場所へ私を導いている。

 私は、若かりし頃、馬鹿丸出しで命懸けのように恋をさせてくれた同級の女生徒と同じほど、鮮烈と静寂と炸裂と飛躍をもって私の前に現れたヒグマを人生の国宝級に懐に持っている。その宝は、ジメジメと陰鬱に暗く温存されるのではなく、むしろ晴れ渡って明ける朝の空のようなすがすがしさを持っている。
 「人には二種類ある。恋をした人としなかった人」こんなフレーズをどこかで聞いたことがあるが、それに倣って言えば「人には二種類ある。ヒグマに遇った人と遇わない人」ともなる。
 つまり、どちらも人の人生を0.1度ほど変えうるが、その微少な0.1度で、その人の人生は豊潤であでやかでディテールとコントラストを繊細に持ったものとなる。つまり、嬉しくて悲しくて、厳しくて優しい、おもしろい人生となる。
 「青年よ、大志を抱け!」と吐いた偉い先生の像が学内にあったが、「青年よ、大志を抱く前に大恋をしなさい!」と言いたいくらいである。
 「芸術は爆発だ!」と傍若無人に言い放った人もいるな。当時、私はそのフレーズと太郎さんのキャラクターをただ愉快に思っていたが、大人になってからときどきそのフレーズが脳裏をふと真顔で横切る。この真顔が結構つらい。腐って湿った枝のように、グズグズブスブスとくすぶって燃焼しきれない時に限って太郎さんは横切る。恋も大志もヒグマ遭遇も、もしかしたら人生そのものも一種の爆発かも知れない。
 もっと大昔には「もののあわれ」などと些かおしとやかに言った人もいる。
 そのどれもが、のっぺりとぺんぺん草くらいしか生えない人の人生の大地に、深い谷をつくりそこには怒濤の如く清冽な水が流れ、孤高なる山岳を頂きながら、雨が降ったり風が吹いたり、ほのぼのと暖かだったり凍て付いたり、雷がやけくそのように落ちたり、それでときどき火の手が上がってあたり一面が真っ黒に焼け尽くしたり、シカが走ったりクマが寝ころんだり、名も知らぬ鳥がケンケン、ピーヨピーヨとさえずってみたり───そういう野生の森のような大地に変貌させる「0.1度の可能性」なのだ。その森の人生は、豊潤にて厳格、喜びに満ちあふれつつ悲哀、恍惚にて切実。つまり、ひっくるめて言えば「おもしろい」のである。
 「0.1度の可能性」は、それに触れた人にとっては「無限の可能性」でもある。
 だから、ヒグマに遭って「もう死んでもいい」などとは誇張でも言ってはダメだ。不親切な形で言えば、生きるために遭うのだ。生きるために感じるのだ。

 ヒグマと合うチャンスをもともと持った多くの人たち。ハンターは彼らの喜びや希望や「0.1度の可能性」を無下に奪っている。私は私で彼らからそれを遠ざけている。
───どれもこれも、違うんだよなあ

 猟友会の殺戮はともかく、私の忌避教育に対しては、じつは「0.1度の可能性」を具象化する公算がある。誰でもお手軽にヒグマを見られる環境は作れないが、恐らく、世界で最も自然な形のヒグマ遭遇の場、観察の場、感じ取る場を提供できる。その可能性が北海道の北大雪にはある。

 私がよく言う「ヒグマ生息地!注意!&御期待!」の看板は、必ずしも冗談ではない。絵空事でもない。ヒトとヒグマのコントロールが精度高く達成できれば、十分信憑性を持つ看板だ。
 「かたっぱしから殺す」も「かたっぱしから忌避教育を施す」もなくして、距離と安全性を最低限にコントロールしながら「そっとしておく」「おおらかに眺めてやる」にシフトする時代はいつか、来るだろうか───



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共存共栄?―――ヒトとクマのギブ・アンド・テイク


 私は、一頭一頭の若グマに対して忌避教育を試みてきた。しかし、それが最も合理的手法だと思えなくなっている。もっとシステマチックに、ヒグマ一頭一頭ではなくヒグマの社会全体をコントロールする手法が合理的だと考えるようになった。力学力学と力学教のようなことを言うのは、そういう理由がある。「追い払いのスペシャリスト」(オス成獣)とか「初等教育の教育者」(母グマ)がヒグマの中にいるわけだから、それを巧みに利用して、できるだけヒトが労力をかけずにヒグマのことはヒグマ同士である程度やってもらう。それが巧く機能するようにヒトはアシストする。そういう発想に変化してきた。ハンターもボランティアもヒグマ保護管理官も研究者も北海道の予算も、どれも唸るほど潤沢にあれば別にこんなややこしいことを考えなくても済むのかも知れないが。今後、従来の方法が通用しないことだけは確かだ。
 じつは、メス熊・若グマが人里近隣に増えるもう一つの力学として、メス熊の意図があるかも知れない。この説は、2006年よりアラスカのKatmaiNationalParkの所長として活躍されるラルフ・ムーア氏からの伝聞だが、信憑性があると私は思う。つまり、先述したようにオス成獣の精神的成熟というのは「警戒心」と「孤立性」なわけだが、このため総じてオス成獣はヒトや人里を避けて暮らす。結果、人里から離れたエリアを主要活動域とする傾向が強く、そのことを知っているメス熊はヒトの活動域に接近して暮らすことにより、オス成獣から身を守っている、というものだ。メス熊はオス成獣を遠ざけるために「ヒトを利用している」と表現することもできる。
 もしこれが事実だとすれば、「ヒトがヒグマを利用してヒグマをコントロールする」という手法も、むしろ自然な発想だと思えてくる。考えると愉快な気持ちになる。メスはヒトを利用し我が身と仔熊を守り、ヒトはメス熊を利用ししっかり仔熊を教育してもらい、問題のない若グマを送り出す―――やはり、愉快だ。

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仮説)山の豊作の翌年、成獣オスの捕獲数が増える?

 着床遅延のシステムによって、食物が豊富にあって十分栄養を蓄えられる年の冬、メス熊は順調に着床・妊娠・出産をおこなうことができるので、産子数が増えることは容易に想像できる。顕著な豊作の翌年、一種のベビーラッシュが起こり、その年、親子連れのメスが増え、さらに翌年にかけて多くの若グマが親離れすることが考えられる。これが豊作における、その後のメス熊に関わる経緯だ。
 ところが、オス成獣にも豊作の影響が翌年に現れる可能性がある。
 アラスカなどの沿海ではサーモンを中心とした非常に効率的な食物が無尽蔵にあるため、食い溜めのマージンを十分取れる。それで、冬眠明け直後のヒグマでも数pの皮下脂肪を持っていたりするが、その手のクマは冬眠明け直後からリハビリの摂食をがむしゃらにする必要はない。ひと月もの間、水だけ飲んで暮らすヒグマもあるという。北海道における食い溜めの時期は概ね8月以降だろう。それまでの時期(特に4月〜6月)は、冬眠開けのリハビリ要素が強い。ところが、前年が顕著な豊作で食い溜めのマージンをとったヒグマは、例年に比べ摂食に専念する必要がない。
 ここで絡んでくるのが交尾期だ。北海道の場合、必ずしも交尾期までに十分なリハビリができるかどうかも疑わしいが、通常は、冬眠開けのリハビリを早く終えたオス成獣が繁殖には有利になる。一言で言えば食欲と性欲のバランスということになるが、摂食に余裕があり、十分栄養を温存しているオス熊は、例年より交尾意欲を旺盛に持ち、食べるよりメスを探し回って交尾を達成しようとする。交尾期のオスに行動がおかしな個体はよくあることだ。
 積雪期の山ならいざ知らず、盛期の人里周りでヒグマを銃殺できるパターンは限られ、概ね三つ。一つは、警戒心の薄い若グマ。それに次いで、数は若グマに比べれば少ないだろうが、交尾期で本来の警戒心を十分発揮できずにおかしな行動となるオス成獣、そして、最後にやんちゃな仔熊を連れ行動が制御されている母グマだ。これに加えて、ごくごく希に餌付けから行動のエスカレートを起こし警戒心を欠いた異常グマがある。母グマ以外は警戒心の欠如または希薄だが、若グマは若いほど希薄だし、他の二つもそれぞれに希薄になる原因を持っている。
 ここでの問題はオス成獣だが、豊作の翌年、例年旺盛な食欲が性欲にすり替わり、各地で通常では考えられない無警戒な行動パターンとなることが考えられる。結果、人里の考えられない場所に出没したり、林道脇で無防備に目撃されたり、あるいはそれらのことから捕獲対象となり、通常ではあり得ない容易さで捕獲される可能性がある。

 また、この原理から、被害の加害性が浮かび上がる。つまり、ヒグマの経済被害(そのほとんどは食物の被害で往々にして餌付けにあたる)が顕著に発生しているエリアでは、山の実の豊凶にかかわらずヒグマの食い溜めが十分にできることになり、メスの産子数・繁殖率が高く、また、交尾期のオスの行動パタンも通常と異なるものとなる。
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銃声とヒグマ

 これまでの記述で銃器の発達・普及とヒグマの動向変化ということについて触れた。それはそれで事実で、非常に理解しやすいことでもあるが、もう一方で別の現象が起きている。
 2007年4月。遠軽町でヒグマのフォーラムがあり夕刻まで私はここを不在にした。常日頃、私が同伴して指導していた羆塾の若手は、その日、仕方なく単独でシカ駆除に周り、夕暮れの迫る時間帯にトドマツの林で一頭の大きなメスを仕留めた。射撃距離は100m前後。シカは即倒したためその距離を林道まで運ばなくてはならないが、この時期なら雪が十分残っているので、通常、ソリに乗せその上を引っ張ってクルマまで運搬し、そのままソリごとクルマに乗せる。
 ところが、その現場は、シカの倒れた場所までの地形が起伏に富み、おまけに数年前の風倒木が重なるように乱雑に倒れていた。仕留めたシカ自体が大きいこともあり、いつもの方法が簡単に使えないことに彼女は気がついた。
 「彼女」というからには女性だ。銃の免許を取り、初めての猟期を終えたばかりの新人だった。とはいえ、腕はいい。ブローニングのボルトアクション・ショットガンで、150m先の動かないシカなら、まず仕留め損なうことはないレベルまで鍛えてあった。これは、ほとんど12ゲージ・ショットガンの精度の限界だと思う。
 彼女は仕方なく刻一刻と暗さを増すトドマツ林の中でシカの解体を始めたが、内蔵を取りだし左脚をはずそうとナイフを股関節に入れたとき、異変に気がついた。
「パキッ……」
 その乾いた音は、さほど遠くないトドマツ林の中から響いたが、手を止めて振り向いた彼女は動揺した。距離40〜50m。そこには、雪の上にシルエットとなった一頭にヒグマが歩いていたのだ。
 私は、シカ撃ちに際しても塾生には常にカウンターアソールトを持たせいて、つまり、突発的なヒグマとの遭遇では不用意に発砲することを禁則とし、とにかく相手のヒグマを観察・判断し、おかしなクマでない限り銃なしで対峙し「やりとり」を行うよう指導していた。私自身のヒグマとの近距離遭遇の経験からはもちろん、何千何万という歴代各国の事例はその方法を支持するだろう。
 彼女は動転しかけた意識で辛うじてヒグマの様子を観察し、一つの判断をした。気丈に冷静さを保ったが、口元が萎縮してどうしても声を立てられなかった。そこでナイフを手に持ったまま、凍りかけた雪の上でソリをバタバタとさせて音を立ててから大袈裟にガラガラと引き、ヒグマを無視しした形で雪を踏んでそのまま普通にクルマまで歩いて戻った。私のヒグマ調査に同行し、毎年何度か至近距離のヒグマを観察してきた経験も功を奏したようだ。
 
 私が苦手なフォーラムから帰ると、彼女がいつもにない深刻な表情で待っていた。
「シカは獲れたのか?」
「獲れたけど……ちょっと、たいへんなことになっています」
 なんとなくイヤな予感がしたが、私は黙って一通り事情を聞き、一言だけ言った。
「トリガーを引く状況判断はもっと慎重に」
 もちろん、私がこんな一言を言わずとも、彼女自身が自分の過失を十分反省していたと思う。だから、ついでのように一言、付け加えた。「クマのほうは、まあまあ合格」 どうも私は誉め下手らしい。

 私は、そのエリアの地形やヒグマの活動などから幾つかの可能性を考えたが、いかんせん夜間にはどうにもできないので、WEBで当時刻の気圧配置だけ確認し、シングルモルトを口に含んでさっさと仮眠をとって翌早朝の作業に備えた。現場はこの時期のシカ駆除のメッカで、釣り人なども近くを歩く。一歩間違えると塾生の残したシカに付いたヒグマが他の駆除ハンターなどと事故を起こす可能性もあった。だから、解体途中の死骸の状態を確認し、可能な限りしっかり回収しなくてはならない。仮に回収不可能な状況でも、また別の安全確保を考えねばならない。
 翌朝、ハンターが動き回る前に現場に着いた私たちは、前日塾生の停めた同じ位置にクルマを置き、少し歩いてトドマツ林を覗いたが、やはりシカ死骸までは遠く起伏や風倒木でシカの死骸がどこに横たわっているかも確認できなかった。次に、前夜の報告からヒグマの接近経路を特定し、遠巻きに足跡を確認してみた。この時期の雪面は昼夜の気温差で変化に富み、残された足跡から時刻までもおよそ推定することができる。じつは、もしかしたら疑心暗鬼のクマではないかと疑いが微妙にあったが、塾生の言うとおりくっきりとヒグマの足跡が残っており、その疑いはこの時点で完全に晴れた。前掌幅15〜16pのオスの若グマ。年齢は5歳前後と推定。
 新たな情報を加えて私はさらに推理し直し可能性を絞ったが、さて、ここからの作業は大変だ。視界の悪いトドマツ林の中で、もしかしたらそこに付いたヒグマを注意しながらシカの死骸の状況を確認しなければならない。アイヌの教えにも「ヒグマが少しでも口をつけたシカ死骸には絶対に手を出してはいけない」というのが確かある。それはヒグマを言い当てているが、このケースではその禁則を破らざるを得ないと思われた。
 私は、彼女を常に私の後方50mに待機させ、持ち慣れた若グマ教育セットを腰に巻き、注意深く時間をかけてトドマツの林を踏みしめ解体現場の方へ回り込んで歩いた。教えたのは私だから、彼女の射撃の精度は私が一番よく知っていた。50mなら3pを違えることはない。その精度を出せる精神的技術に関しては若干不安が残ったが、いろいろな条件を天秤に乗せて私なりに判断した。このケースでしくじるようなら、クマ撃ちなどやめた方がいい。
 シカ死骸に近づいてわかったことは、結果だけ言えば、カラス一匹ついばまない前日残したままの状態であったこと。私は周辺をざっとチェックし、「ほーい!ほい!!」と山にこだまさせてから彼女を呼び、中途半端にバラバラにされたシカを速やかにソリに乗せて林道まで引っ張った。

 これだけ材料が揃えば、前日夕刻の出来事の可能性がさらに絞れる。この出来事には幾つかの偶然と幾つかの必然が絡んでいる。つまり。このエリアは、この時期のシカ駆除メッカである。シカの血はあちこちに流れ、回収されず近隣に転がったままのシカ死骸も存在しただろう。当然ながら、周辺のヒグマ、特に警戒心の薄い若い個体はこのエリアに寄って活動するようになる。現に、この事件の直前、最低三頭のヒグマがこの狭いエリアに活動していることが、私の調査からも判っていた。
 問題は銃声だ。普通に考えれば、銃声によってヒグマはその方向から遠ざかる方へ逃げると考えるだろう。しかし、このエリアでは、ヒグマは銃声に反応して動き、むしろ銃声の方向に移動する。その一頭が、塾生の遭遇した若グマということになる。したがって、この若グマはシカの匂いを追ってここに来たのではない。銃声の方向にファジーに歩いてきただけだったのだ。
 さらに説明すると、若グマとしては、まさか夕暮れの暗いトドマツ林の中にヒトがいるなど、かつて一度も経験したことがなく、思いもよらず歩いていただろう。恐らく、かなり無警戒な状態で、とにかく銃声方向に歩いていた。解体現場と若グマが最も接近した距離は、彼女の説明通り40mほどだったが、そこまで来ても若グマはヒトの存在に気づかなかった。それほど黙々と彼女がシカの解体をしていた証拠だ。この若グマがヒトの存在に気がついたのは、彼女が意図的に出したソリの音によってだった。若グマは彼女以上にびっくり仰天しただろう。そして、その不気味なヒトがそこで何をしていたかも確認せず、一目散に逃げ去り、この不穏な場所には戻らなかった。風向きは、必然的に若グマから彼女方向へ。若グマは概ね向かい風で逃げたに違いない。この風向きは前夜に調べた気圧配置とも概ね合致する。そして、この若グマは、今後銃声に近づくとしても、これまでのように無警戒には近づかないだろう。
―――私のできる推理はこんなところだったが、この夕刻の事例からは幾つかの反省点と注意点が浮かびあがる。彼女はクマ撃ち志望だが、こうして現場でいろいろを切り抜け、反省と失敗を繰り返しながら徐々にいいクマ撃ちになってゆくしか道はない。

 さて、この事例は非常に示唆に富んでいると思うが、中でも重要なのは、ヒグマが学習によって常識とは正反対にまで変化しうるということと、特に春先にはシカの射殺駆除が特定のエリアにヒグマを引き寄せるという事実。行政は、シカとハンターが集まる場所を少しは把握し、顕著なエリアでは注意喚起を行ったほうがいいように感ずる。また逆に、連休以降、猟期が始まるまでシカ駆除は、一定のエリア制限を加えるべきだろう。
 2年前の7月だったか、家族でこの山を訪れていた若い夫婦とひょんなことから知り合って、奥さん手製のお弁当を河原でいただいた。こういう場合、私は結構無防備に遠慮なくおにぎりを口に運んだりするので、向こうも屈託なく話しやすい。その時、何かの拍子にシカ駆除の話になったのだが、どうしてもハンターのいないところで子供を遊ばせたいという。言われてみれば当然のことだ。「どこへ行けばいいですか?」と問われたので、私は、ちょっと考えたあと、「この町を出るしかないですね」と少し冗談めいて答えた。9割くらいは冗談ではないのだが、とにかく私は、シカが少なくハンターが発砲しにくい場所とともに、誤射に遇わないためのクルマの駐め方や行動の仕方を伝授して送り出した。
 現在のように山全域を駆除エリアとするのではなく、特に丸瀬布のようにアウトドアレジャー基地を擁する地域では、せめて観光客・釣り人・山菜採りが山に多く入る時期には、その動向を加味して時期に応じたゾーニングを施すべきではないだろうか。駆除に際する銃弾とシカ死骸を、その他に活動する人たちと、ある程度分けるべきのように感ずる。先年、シカ駆除のために単独で銃器を積んでクルマで徘徊しているハンターが、偶然山の斜面にヒグマを見つけ発砲し、そこに観光客が通りかかって危険な状態に陥ったこともある。従来通りのエリアに加え、「ここは銃器の発砲はありませんよ」という安全エリアを設定し、それを観光客類に知らせるべきと思う。前述の夫婦のような場合はそこへ行くというように。現状としては、山奥となく人里となく、鳥獣保護区を除く全域に駆除ハンターが徘徊しシカ駆除を行っている事実を、多くの来訪者は知らない。

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クマとシカと私


 私の小屋は尾根をひとつ巻いた沢から水をもらっているが、その尾根にはトドマツの林があって、そこにエゾシカが毎年冬になるとちょっとした休憩所として使う。羆塾ではそこで獲るシカを一頭と決めている。誰が言い出したわけでもなく、なんとなく、いつの間にかそう決まっている。塾生が撃たなくても他の誰かが撃つかも知れないが、それでもそう決まっている。
 雪が山を覆う時期、私は夏に集めた煩雑なデータの整理や執筆文章との格闘で、私らしからぬデスクワークの毎日を送ることが多い。確かかの開高がひどいバックペインに悩まされていたが、縦横無尽に野外を駆け回っていても執筆・データ整理という作業が入ると、結局、不健康で萎縮したような身体になってしまうのだろう。私は背中を伸ばしながら、恨めしそうに小屋の窓からその尾根を見る。そして運がよければ、シカの影がトドマツ林に出入りするのが見えたりする。
 そのシカが、春先に例の調子で「キャン、キャン!」と短くそして執拗に警戒音を出して鳴くことがある。小屋にいる私は、その騒ぎようでちょっとした近隣の異変を感じることができるのだ。シカがそれほどキャンキャン鳴くのは、ヒトかクマに対してだけだ。キツネやタヌキはむしろ敏感に生きたシカからは遠ざかり、上空を舞うオジロワシやクマタカは、シカにはほとんど相手にされない。
 口実を見つけた私は、シカの騒動からしばらく時間を置いて小屋を出て、スノーシューで雪を踏んでその尾根方面に歩いてゆく。すると、ほんの200mも行かない春先の締まった雪面にヒグマの足跡の列がくっきり残っていたりする。そこには、真性の羆道には程遠いが季節の変わり目などで何頭かのヒグマが移動する曖昧なルートが二本ほどある。周辺の地形からしても、見るからにヒグマが通りそうな場所なのだ。本来は、その場所から河岸段丘を下流に向けて私の小屋に向かうルートだったが、私がここに割り込み小屋を建てて居座ったので、今のルートは小屋を回避して林道を渡り、渓流も渡って対岸の斜面に続いている。
 一頭はもともと小屋の場所を好い場としていた、この地域では私より先住のベテラングマ。前掌幅が20pもあるので、痕跡さえ見つかれば行動パターンも判別しやすい。数年前、二年連続でこの谷筋に冬眠穴を構えたことがあるが、その後、このクマが小屋近隣に現れることは非常に少なくなった。
 もう一頭は、去年一本下の沢から活動範囲を広げこの小屋周辺にときどき姿を見せる若グマ。三年間ほどかなり張り付いて調査し、いろいろやりとりを行ったクマだが、もし間違っていなければ今年6歳になるオスだ。こいつは平地を歩くと少しびっこを引く癖がある。ひときわ無邪気で好奇心の塊のような若グマだったが、何とか撃たれることもなくここまで生き延びているようだ。裏山の尾根向こうで何度か威嚇し追い払ったにもかかわらず、何故か私の小屋を行動圏に含んで遠巻きに歩きまわる。もうそろそろ若グマと呼ぶには立派すぎるオス熊だ。
 それ以外は、比較的アトランダムに、単に偶然小屋の辺りを通りかかり、ちょっと興味を持って小屋方面を眺めたりはするが、気まぐれな若グマが多く、問題行動の前兆が見られるかリピーターでない限りどのクマもあまり一生懸命個体識別をしようと試みたこともない。
 2008年4月に入って間もない時期に、このパターンで現れたのは若グマの方だ。この年は少積雪でササが立ち上がるのが早く視界が悪いため、小屋から200m以内の範囲だけ雪上のトラックを追ったが、私の小屋には悔しいほどまったく頓着しておらず、沢から一定リズムで足を運び、そのまま北の斜面を登っていた。このようなことが起こると、尾根のシカは姿を消す。そして、ヒグマがどこかへ移動してしまうと、再びトドマツの尾根に戻ってくる。
 若グマの方は、仮に私の推測が正しければ、恐らくさらに雪解けが進んだ2週間ほど後、彼が生まれ育った裏山の尾根付近で小屋の背後で見たのと同じ足跡を私は確認し、そして幸運に恵まれれば、バカ熊から見事に成長した一頭の金毛のオス熊を目撃できるだろう。

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二人の先生───スカンクとオオカミ(StripedSkunk&GrayWolf)

───「テリトリーを誇示するにはウルフになり、襲われればスカンクになる!」───

野生の共存
 北米には数種類スカンクが生息するが、私に馴染みのあるスカンクは、北はカナダまで最も普通にみられるStripedSkunk(縞スカンク?)。これを単に「スカンク」と表現しているのであしからず。
 スカンクの分泌液というのは非常に強力だ。カウンターアソールト(CA)の直撃同様、5mの距離でこの液体物質を受けると、まず卒倒するほどやられる。もしスカンクの風下にいれば、嗅覚の極めて鈍いヒトでさえ1q離れた場所から分泌液を噴射したスカンクの存在を知ることができるほどだ。これだけ強力な分泌液なので、高々アライグマ程度の大きさのスカンクに出くわした巨大なグリズリーが思わずサッと飛び退いて道を譲る。bluff chargeなどかける余地も、このスカンクに対してはない。ただ道をあけ、スカンクを刺激しないようそっと見送るしかグリズリーには術はないのだ。我々のカウンターアソールトがこの分泌液ほど強力かどうかは微妙だが、ヒグマを撃退する原理・コンセプトは同じだ。撃退物質でありながら、すべてのスカンクが常用することで、一種ヒグマの「忌避物質」になりうる。
 スカンクとCAには、その他にもいろいろ共通点がある。射程距離が4〜5m前後。噴射が目を直撃するとしばらく目が見えないほど強烈。刺激臭がヒグマ生息地では独特。スカンクの分泌液の主成分はブチルメルカプタン(C4H9SH)という物質らしい。
 また、スカンクには相手に対する独特の警告姿勢がある。逆立ちをして尾を裏返し分泌液を噴射する肛門付近(肛門腺)を高々と相手に向ける行動だ。私自身は、若グマに対してサイドワインダーと呼んでいる警告行動をおこなっている。噴射の前に、シャカシャカとCAボトルを大袈裟に振る動作だが、このように相手に分かりやすい特徴的な動作でまず警告を発し、その警告を無視して接近する相手にCAなり分泌液なりを噴射する。一度その攻撃を受けたヒグマは、二度目からはその警告行為で十分効果的に遠ざけることができる可能性があるわけだ。

 じつは、もう一方の「臭いのフェンス」というやり方はアラスカのティンバーウルフ(GrayWolf)に教わった方法だ。ウルフというのはグループでもの凄い広さのテリトリーを持つが、その広大なテリトリーを管理するうえで彼らは音(ハウリング)の他に臭い(マーキング)を用いる。
 かつてデナリの南でテントがウルフの群れに遠巻きに囲まれたことがある。緊張しながら嬉しいやら不安やら、あれこれ想像しつつ結局眠ってしまうわけだが、翌朝あたりの散策に出かけると、独特の臭いがつけられた跡が幾つか確認できた。私のテントを襲うつもりまではなかったがテリトリーを誇示しようとした、と私は勝手にオオカミのお言葉を解釈している。
 カナダのユーコンテリトリーとあらすかの国境付近でブラックベアに大事な鍋がやられたとき、私があたりに小便やグリースを塗って歩いたのはウルフに倣ったやり方だ。グリースというのはアラスカの原野では主に銃器に使われる。ショットガンにしろライフルにしろ表面を覆うグリース、オイルが切れると通常銃器はあっという間に錆びるので、ハンターらはしょっちゅうグリースアップ、オイルアップを銃器に施すわけだが、一言で言うと、銃器の臭いは鉄の臭いではなくグリース、オイルの臭いなのだ。つまり、私は、私の小便とショットガンを関連付けてブラックベアに示したかったわけだ。もちろん、ガンオイルが効果を持つのはオイルとと銃器が比較的強く関連付けられた北米の森だからだ。これを日本でやっても恐らく効果は薄いばかりか、逆効果の場合もあるだろう。
 これらの臭いは、ヒグマの行動に作用する「関連付け物質」にあたる。

 
「テリトリーを誇示するにはウルフになり、襲われればスカンクになる」───奇異に聞こえるかも知れないが、自然に学ぶ、自然の摂理・やり方を取り入れるという私のスタンスは、簡単に言うとこういうことだ。「自然の合理性」ということを言ったが、その最も信頼できる合理性の中で「オオカミとヒグマは長年共生している」と捉えることもでき、ヒトとヒグマが共生してゆくためにヒトがオオカミの手法を取り入れるのは、じつは極めて理に適った方法ということにもなる。オオカミもヒグマもスカンクも科学を持ってはいないが、非常に科学的で合理的な方法で共生を果たし、長年共に生き続けてきている動物と言える。

 オオカミはテリトリー管理ツールとして「ハウリング」と「マーキング」を用いている───この意味は非常に重要かと思われる。「ハウリング」は音で聴覚に訴え、「マーキング」は臭いで嗅覚に訴える方法であるが、このように複数の方法で誇示をおこなう点は、我々ヒトも学ぶところが大きい。我々ヒトがヒグマに何かを関連付けて学習させるとき、複数の方法で関連付けをするのが理想的であると示唆している。
 最近、人間界では「ヒグマの保護管理」という言い方がなされる。オオカミに他の野生動物やオオカミを保護をしようという意識はもちろんないが、これらのツールを用いて自らのテリトリーの誇示をすることによって、結果的にお互いがお互いの保護管理をしているという言い方もできるわけだ。これも私の言う「自然の合理性」である。人間のテリトリーは、概ね私の規定した人里までである。したがって、我々は人里の管理に幾つかの確かなツール・媒介を持たなくてはならない。
 人間の場合オオカミのようにマーキングというわけにはいかないので、それに代わる何らかの効果的な物質なり現象・行為なりを用いるということになる。なおかつ、その物質がスカンク効果をもってヒグマに忌避心理を抱かせられれば言うことないだろう。カプサイシンはこの一石二鳥を狙った有力な候補のひとつである。


ヒトの行う「保護管理」
 野生動物の「保護管理」といってしまうと非常に硬い感じで、何やら傲慢な感じを受ける人も中にはいるだろう。確かにある意味傲慢なわけだが、その傲慢にはそれなりの実力の裏付けがある。文明・科学による人類の実力だが、つまるところ「人類は地球上で力を持ちすぎた」わけだ。
 ところが、その実力は「真の合理性」からすると、かなり中途半端なものと言わざるを得ない。「真の合理性」とは、言ってしまえば「宇宙の合理性」と、それを踏襲する地球の「自然の合理性」のこと。人類は、恐らく三日以内に地球の生物層を壊滅に追い込む実力を有しているが、本当に合理的な方法で生き延びる実力までは持ち得ていない───私はヒトの持つ実力をそう解釈している。
 これまでは「征服することが人類を繁栄させることだ」と思われてきた。野生動物も森林も河川も海洋も、科学技術で征服し屈服させさえすれば人類の未来は明るいと、そんなふうに思われていたところがある。その方向性が人類の持つ唯一の戦略であるとまで漠然と思われていた。その結果が、地球レベルの環境や人間の精神にしわ寄せとなって吹き出ているのではないか。先にも何度か触れた、エコシステム崩壊、温暖化、そして自殺などの、本当に多岐に渡る諸問題がそれだ。そういう実力を持ったのも人類であり、それを行ってきてしまったのも人類である。その自覚から一方で反省を込められ「保護管理」という些か高飛車で傲慢な言葉で表現されていると解釈していいと思う。
 では、実質「保護管理」とは何なのかというと、じつは、上述の「オオカミのテリトリー管理」に通ずるところが非常に大なわけだ。オオカミとオオカミ、オオカミとヒグマ、オオカミとあらゆる野生動物、もっといえばオオカミとタイガの森、オオカミと河───これらはおよそ「共に安定的に存在してゆく・生き延びる」ようそれぞれの生存戦略、ひいてはエコシステムという機能系が出来上がっている。オオカミは自分の戦略で生存を図りテリトリーの管理をしながら結果的にあらゆる自然物を保護してきた、つまり人間流にいえば「保護管理」を行ってきたとも表現できる。要するに、究極の保護管理というのは自然界の共生のことなのだ。
 現在行われているヒグマの保護管理というのは、現状の人類の突出したエゴをかなり満足させる「共存」「共生」の方法のことである。どれくらい人類のエゴ、欲求、欲望が突出しているかといえば、オオカミとスカンクとヒグマとサーモンとアリとトドマツの欲求(?)を合わせたよりもはるかに膨大なエゴ、強欲を有していると言えるだろう。人間一人一人は大した実力など持ち合わせていない。実力を持っているのは科学文明・科学技術という人類の曖昧な共有物でしかない。それにも関わらず、人間一人一人は、自分自身がほとんど直接関与も寄与もしたことのないその共有物に依存し、欲求・欲望だけを無制御に、ストップレスに延々膨らませてきたわけだ。善し悪しはさておき、そういう性質を人間は一面で持っていると理解して進むしかない。
 じつは、ヒトの持つ最も能力が高く永続的に実効力のあるスキルは、次々に浮かぶヒトの欲求を満足させる科学技術ではなくて欲求をコントロールする精神的技術だと、人類の有する技術段階がそういう時代にさしかかっていると、私は思っている。私個人が実践し試しているのも、いってしまえばそういう種類のことだ。私などは、恐らく通常のヒトと比べても欲求・願望が突出していると言えるかも知れないが、問題なのは欲求の量・数ではなく方向だと思う。
 「ヒグマの問題はヒトの問題だよ」───ある研究者の呟いたこの言葉。彼らの苦悩を深く感じる。高飛車で傲慢なのは、「保護管理」と苦悩を伴い表現しヒグマや自然との共生・共存に向かう彼らではなく、彼らに「保護管理」という表現を持ち出させている他のヒト全体だと私には思える。将来のいつか、「ヒグマ保護管理計画」が「ヒグマ共生計画」とスタンスと共に名を変える時が来るのを、私は希望する。
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100億円・100%助成の電気柵の行方は?

 2011年、全国で100億円という巨大な助成金が野生動物の防除などのために農水省枠で降ろされた。これまで電気柵の設置を渋って駆除一辺倒だった一部の農家も「タダでくれるなら」とばかりに手をあげて被害を訴え、「クマとシカの防除のため」という名目で助成金の申請をし、多くの農家は数百万の資材を手に入れた。私は「これで人里の危険性が解消へ向かうぞ」と密かに期待していたが、いざ電気柵が張られてみてガッカリした。というより、頭に来た。クマ用の電気柵はメンテがめんどくさいという理由で無視され、シカのみに効く電気柵の設置方法になっていたからだ。これで、また今年も人里内でヒトとクマのバッタリ遭遇が幾度も起きることが必至となった。「これじゃあ助成金騙し取りのサギじゃないのか?」と思ったが、文句を言っている暇もなく、クマの動向調査と追い払い作業に追われて8月を迎えた。そろそろクマたちが農地のデントコーンの様子見に降りる時期だ。シカ用でもいいからとにかくメンテさえしてくれれば、一部のクマは不注意に電気柵に触れて忌避を抱くようになるだろう。予想通りのタイミングで何頭かのクマが降りてきて、キャンプ場まわりを移動ルートに選んだ。私はそのルートをベアドッグとともに押し返してキャンプ場から遠ざけつつ電気柵のメンテナンスを待ったが、待てど暮らせどそれはされず、とうとう9月に入った。その時点での前掌幅はおよそ10種類。最低でもその数のクマが降りてきて、歩き回っていることになる。恐らく、メンテもされないシカ用の電気柵の下を掘り返してデントコーン畑に侵入している個体がほとんどだろう。草が伸び放題の電気柵では、ほとんど用は足さない。単なるひ弱なヒモでしかない。天を仰いだが、もうどうにもならなかった。今年、何頭のクマが電気柵下の掘り返しを学習してしまったことか・・・・
 これが、血税で手に入れた電気柵でなければ、私が文句言うところまでのことではないのだろう。しかし、この場合、申請通りにクマをも防ぐ柵の設置方法を採用する義務が農家にはある。そして、資材は血税かも知れないが、メンテナンスくらいは農家自身がきっちりおこなう義務がある。ずさんな農水省だって、そういう大前提で電気柵を援助しているのだろう。消費税を値上げしようと議論しているさなか、こんなことは誰が考えてもわかることだ。それが実行されない現実。そしてその現実を容認する行政。そしてこの社会。暗澹たる気持ちになった。
 私は、この手の農家の被害防止のために働くのはバカらしくなった。ここまで過保護に税金を使って何でもやってもらって、最後のメンテナンスさえもまったくやる気のない農家など、勝手にすればいい。それで当然の如くクマが入ったって、「被害だ!被害だ!」とわめくな。世の中には、クマもシカも防いで自分の農業をしっかり成立させようと一生懸命努力している農家だってある。私は、その人たちの力になるべきだと、そう痛感した。
 恐らく、この農水省の100億のせいで、クマ問題は泥沼化する。電気柵が効かないクマをわざわざ効果的につくり、もし仮にクマ用の電気柵を張ったとしても、利かない個体が掘り返して侵入する事例が続出するだろう。道南で築き上げてきた「電気柵のヒグマに対する防除率100%」は夢物語か伝説となるだろう。これは農水省の無知と怠慢が引き起こす人災要素が強いことがらだ。
       
 この電気柵は今年はじめて張られたものだが、3段柵ではない。右写真では辛うじて見えるが、草むらの中に最下段の一本が草に絡みつかれるように隠れている。当然、漏電は著しく、ほとんど単なるヒモと化している。高さ120pの最上段にまで草が触れているのも珍しいが、ほとんど、いや、まったくやる気のない証拠だ。そして、この農地のまわりには以前通りクマが歩き回り、観光客や住民とのバッタリ遭遇や目撃が生じている。100億円全部じゃないだろうが、農水省はこんなもののためにカネをばらまく余裕があるのか? そして消費税増税論議の本人らは、この現実を知っているのか?

―――というのが私のみならず現場の本音だが、さてどうしたものか・・・・これが私にはわからない。
 農水省だけではなく、農協もまた自らの無知を無知と思わず暴走するクセがどうもある。野生動物対策でその動物のことを知らない素人が気分や因習であれこれやっても効果は知れているし、ヒグマの場合は悪化につながることがほとんどだ。そしてその悪化とは、人里内での人身被害の危険性増大を含む。人里の安全性が脅かされるのだ。それが、残念ながら、現在の北海道が蒙昧に進んでいる経路だ。この流れは、どうやって変えたらいいのだろう・・・・・?


 暗澹とした気分で書いた上述を自ら眺めて、さらに暗澹としていたところ、あるところからこの問題に関して意見を求められ、通常通り冷然と執筆する機会を得たので、そちらを載せておこうと思う。たまには、こういうのもいい・・・・・


「100億円・100%」の助成金電気柵の顛末

 現在、電気柵の有効性は日本各地・他種の野生動物に対して立証され、すでに電気柵を抜きにした野生動物対策というのは考えられないところにある。ただし、この電気柵が「心理柵」と呼ばれるように、単純な物理柵(ネットフェンスなど)に比べ、野生動物に対するかなり高度な心理的・教育的要素を持っている点は極めて重要だ。このことは、各種の動物に対して、それぞれの動物の特性に則した設置方法があり、それを違えると効果が無いばかりか、学習能力の高い動物に対しては顕著なマイナス効果が現れることを意味する。
 その筆頭格がヒグマだろう。ヒグマの知能はイヌと霊長類の間とされ、学習能力が非常に高い。一度学習した事への常習性・継続性も高く、さらに、ヒグマの生息年数20年〜30年というのも、ヒグマに何を学習させるかを重要なファクターにしている。
 ヒグマの場合、マイナス効果は農業等の経済被害解消の困難化に加え、往々にして人里及び周辺での人身被害の危険性の増大と慢性化を含む。
 電気柵導入の必須事項は、その動物に対して最適な設置方法で、確実に電気柵を忌避するように心理的に野生動物をコントロールすることである。特にヒグマに関しては、はじめて遭遇した電気柵で強烈な電撃を与え、完全に電気柵を忌避するように心理的に持っていくことが重要となる。これが正常に実現できた場合、そのヒグマは電気柵を飛び越えようとか、突進して突破しようとか、下を掘り返そうとかを思う余地はなく、場合によっては、行く手を阻まれても電気柵の数メートル以内に近寄らない。電気柵は防除フェンスだが「教育ツール」としての色合いが濃く、ここに焦点を置かない電気柵の安易な設置は、むしろ弊害をもたらす可能性が高い。

 ヒグマは、偶蹄目(ひづめの動物)と異なり人間同様の裸足で歩くため通電性がはるかに高く、かつ、嗅覚の動物であるため、はじめて遭遇した厄介な障壁に対して通常鼻で確かめにいく。結果、高圧電流が鼻から素足に流れることになる。こういう、身体特性・行動特性がヒグマに対しての非常に高い電気柵の防除率をもたらしている。渡島半島におけるヒグマ用電気柵の防除率は100%(北海道・サージミヤワキ・~)。その他の地域でも初手からヒグマに適した設置方法でメンテナンスをおこなった場合、同様の防除率が現れている。
 これまでに電気柵代理店、農家、行政、研究者などがつきとめてきたヒグマに十分効果のある電気柵(ヒグマ用電気柵)のスタンダードは、電気柵ワイヤーが下段から20ー40ー60pのいわゆる「1重3段」の電気柵で、最上段を10p上げても十分に機能することが最近わかってきている(丸瀬布「いこいの森」事例など)。
 設置方法の必須条件は最下段にあり、これが地面から20p以上離れると、柵下の掘り返しが起こり、なおかつその学習は「電気柵→掘り返して入る」というもののため、その個体は、どこのどんな電気柵によって学習したかによらず、別の場所でも、電気柵に遭遇すると「掘り返し」をおこなってくることがほとんどだろう。これは、特定のヒグマに関する性質ではなく、ヒグマ全体に現れる傾向だ。

 運用段階の必須条件は、メンテナンスだ。電気柵のメンテナンスとは、「漏電を防ぎ電圧を維持する」ということに集約できるが、具体的には、柵下の草刈り等になる。最低でも電圧は5000Vを必要とし、風による小枝の落下その他の事態にも破綻しないよう、平常時で7000〜9000Vの電圧を維持するのが望ましい。
 一方、道内で普及しつつある「シカ用電気柵」の基本形は地面から30〜40p間隔で3〜5本のワイヤーを張るタイプのもので、これに関しては、メンテナンスを十分におこなっていてもヒグマに対しては十分には機能しない。遅かれ早かれヒグマによる「掘り返し」が起き、それをおこなうヒグマの数も年々増加傾向をたどるのが普通だろう。メンテナンスが不十分なシカ用電気柵が、じつはヒグマに対して最も効果的に「掘り返し」を学習させる悪い教育ツールとなる。
 最下段が地面から30〜40p離れた柵では、多くのヒグマは自然に頭を下げてくぐろうとする。首から背中にかけて電気ワイヤーが触れて電気が流れるが、それでは十分な忌避まで持っていけない。メンテ不十分ならなおさらだ。そのクマは軽い電気の刺激を回避して電気柵を越えようとし、彼らにとって最も得意な「掘り返す」という方法で対応してくることが多い。ヒグマが「何とかしてこの柵を越えよう」と企てた段階で、じつは電気柵の防除は失敗している。
 また、ヒグマが侵入している農地の「シカ用電気柵」のメンテナンスを、農家ができるか?という現実的な問題も無視できない。ヒグマの多くはデントコーンならば侵入したまま中に居座ったり、農地脇の薮に身を潜めたりして日中を過ごす。デントコーン裏の調査で農地の中からヒグマが飛び出て来たり、脇のササ薮から慌てて逃げたりは、年間に何度かは経験する。つまり、シカ用電気柵を視界の悪いデントコーン畑に設置する条件として、クマ用を併用した形にすることが必要となる。ダブル防除の基本形は、20ー40ー70ー100ー130pの「1重5段」柵。同じ5段のシカ用電気柵からの変更なら、経費的な追加は一切必要ない。
 渡島半島での「防除率100%」に関して、誇張・作為はないと思われる。しかし実際、北海道の多くの地域では、渡島と異なり「シカとクマのダブル防除」が要求されている地域が多い。特に酪農の飼料であるデントコーンは従来よりクマとヒトの間に高い軋轢をもたらしてきたが、バイオエタノール由来の価格上昇の影響を受け、農水省の自家生産支援の政策も後押しをして道内各地で被害率が増加させながら、作付面積を増やしている状況にある。
 北海道では、電気柵の原理や誤運用のもたらす恒常的状況悪化、さらにはヒグマに関しての性質についての普及・啓蒙が十分なされてこなかったため、各地で経済被害額が増加しがちなシカの防除に偏重し、ヒグマの防除がないがしろにされる傾向が強まっている。
 シカ用電気柵の設置をした場合のヒグマに対する悪影響は、上述「掘り返し」の蔓延にある。一度ヒグマにそれを学習させると、20〜30年にわたりそのクマが掘り返しをおこなってくることに加え、母系伝承によるその行動パタンの拡大、あるいは、掘り返し現場に遭遇したヒグマの新たなる掘り返し学習などが手伝い、いわばそのエリアのヒグマの文化と呼べるような蔓延の仕方を示す可能性がある。「ヒグマの文化」などと言えば眉唾めくが、実際に農作物被害に関してのヒグマの嗜好性・執着は地域性が強く、例えば道南では稲、遠軽では小麦が被害に遭い、名寄ではそのどちらも山際に作付けしても一切ヒグマの被害に遭わない。また、遠軽でヒグマにまったく見向きもされないビートは、斜里では被害が深刻化している。つまり、食性に関してでさえ、ヒグマには強い学習効果・慣化が作用していることになり、これは一種の文化的な地域性と表現できる。

 2011年、農水省枠で「100億・100%」とも言われる野生動物対策用の助成金が全国に降ろされた。これは、現代にあって英断と評価できる助成金だと思うが、2012年9月までに実際の設置と運用を確認し、残念ながら、その助成額が巨大だったがゆえに、ヒグマの経済被害・人身被害観点では、決して小さくない悪化を招いているとも評価できる。
 私の調査エリア(遠軽町)でも相当数の電気柵がこの助成金によって設置されたが、問題点は二つある。一つは、申請段階で「クマとシカの防除のため」として申請されているにもかかわらず、メンテナンスの下草刈りが面倒という理由で、設置段階でクマ防除が反故にされている点。二点目は、そのシカ用電気柵も、ほとんどメンテナンスが放棄され、電圧が下がりきって単なるヒモに近くなっている点。
 結果、ヒグマの降農地は前年2011年と変化なく、ほとんどのヒグマが助成金電気柵のデントコーン畑に侵入し、経済被害はともかく、その農地周辺での観光客・住民と降農地ヒグマとのバッタリ遭遇や目撃が起きている。この事実は、助成金の電気柵設置によってヒグマの側に「状況に変化なし」を示すものではなく、多くのヒグマが効果的に「掘り返し」を学習していることを示し、この地域における電気柵によるヒグマの防除を困難化していると評価せざるを得ない。
写真左:2012年9月5日撮影。助成金の行方。30p間隔のシカ用電気柵だが、3段ではない。草むらの中に最下段一本が草に絡まれるように存在している。当然ながら漏電が起きて電圧が下がり、ほとんど電気柵として機能していない。草の伸び方を見る限り、メンテを怠っているというよりは、はじめからやる気がないようにさえ見える。調査からは、この農地の柵で、8月以降約1ヵ月で、仔熊も含め10頭前後のクマが「掘り返し」「くぐり抜け」を学習したと考えられる。
写真右:同年9月6日撮影。電気柵下の掘り返し。この写真は農地から出るための掘り返しだが、シカ用電気柵では、このような習慣が遅かれ早かれ起き始め、シカ用電気柵の普及によって、場合によっては急速に数を増やしていく。大型のオス成獣がこれをおこなった場合、シカの群れがその場所を利用して多数で農地に侵入するケースも生じる。

 農水省が、こういう前提・想定で助成金を降ろしたわけでは決してなかろう。まず、助成金申請段階の目的に関して履行を義務づけるのは、むしろ昨今の日本の国政状況をふまえれば、当然かとも思われる。そしてまた、せめて血税で揃えた電気柵のメンテナンスくらいは農家自身の義務として明確に位置づけ、実効力のある形で指導してもらわねば、このまま「掘り返し」グマの数は増加し、経済被害の解消どころか、人里の危険性の高止まりを阻止することができない状況に陥るのは必至と予測される。

 電気柵の問題は、箱罠などの捕獲対策にも関連する。特に現在の北海道の意識状況では、防除困難は安易なヒグマ捕獲に結びつきがちだろう。ところが、学習能力の高いヒグマには箱罠にかからなくなる性質もあり、また、無闇なヒグマの捕獲がその周辺におけるヒグマの社会構造を変え、局所的な「数の増加」と「若返り」をもたらす事実も浮上してきている。捕獲によって被害が増え、なおかつ軽率な若グマへの入れ替わりが起きるため、人身被害の危険性を増しつつ、市街地出没をはじめとするこれまでに見られなかったクマの行動がにわかに人里周りに多発することにつながる。箱罠導入後、道内各地でそのような現象が起きていると思われるが、正しく導入すれば電気柵のヒグマに対する防除性能は高いので、そこがすべての問題解決の糸口になっていることは確かだ。猟友会の高齢化・空洞化・減少も歯止めのめどが立たない現状から、早急課題と思われる。
 今世紀の農業として、ヒグマも含めた環境にインパクトを与えず、農業被害・軋轢が小さく、なおかつ人里の安全性に配慮した農業をめざされるべきだし、それが現在は技術的に十分可能な段階にあると思う。  

              2012/09/07 ヒグマの会会員/羆塾(ひぐまじゅく)・塾生代表 岩井 基樹
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2011札幌クマ騒動の分析と意見


 この文章は2011年秋以降、道庁によっておこなわれた「ヒグマ捕獲技術研修」において講師をした際に来訪者に配布してもらったもので、比較的急いで書いたためラフな部分がることを了承していただき、読んでいただけたら幸いである。
原文:「2011年度前半の市街地出没と秋の札幌近郊クマ騒動について」(2011〜2012年ヒグマ捕獲技術研修配布)

 昨年秋に入ってからメディアを賑わしていた札幌近郊のヒグマ騒動については、皆さんのほうが詳しいかも知れない。問い合わせというほど大袈裟でなくとも、この件について説明を求められる機会が増えているが、札幌のみならず、2011年は上半期から道内で市街地出没が起きた。私自身、各現地で綿密な調査をおこなったわけではなく、また入ってくる情報があまりに乏しく推論を重ねざるを得ない。特に個々の事例に関してはっきりしたことは言えないが、2004年から8年間継続してきた北大雪山塊(北見山地)のヒグマ調査結果から、一定の考察をおこなわなくてはいけないと思う。
 ヒグマの場合は地域性が大きく、その土地の植生・地形などに加え、そこに暮らすヒトのヒグマへの意識や対応によっても状況が大きく変わってくる。センセーショナルになった札幌の事例を読み解きながら、無闇に不安に思うことなく、自らの地域性に応じて適切な対策をとっていけることを願う。

「ドングリ不作説」の信頼性は?
 まず、札幌という北海道で突出した大都市郊外へのヒグマの多出没で道庁見解に採用されている「ドングリの不作説」だが、確かに、本州のツキノワグマ、道南・渡島半島のヒグマに関しては、「ブナの実」というのがヒグマの動向変化をもたらす強い原因になりうる。ところが、いわゆる「ドングリ」(ミズナラ・コナラ等)は、ある山塊でさえいっせいに不作となることがほとんどない。あるエリアで不作なら少し標高を変えると豊作だったり、南斜面と北斜面、あるいは斜度によってもバラツキを見せる。つまり、よほど平坦で一定の日照・気温・風などがあるのっぺりとした地形以外で「ドングリの豊凶」を云々する場合には、サンプリングポイント(指標となる樹の地点)に十分なヴァリエーションを持たせて調べる必要がある。
 ちなみに、2011年、北大雪・標高300m〜600mエリアでは、コケモモ以外さしたる不作・凶作傾向は確認できない。これは私の調査のみならず、ハンター、昆虫の専門家の共通した見解だ。
 また、ヒグマの食性調査(糞の採取・分析)をおこなってきた結果からは、北大雪山塊のヒグマが一つの実に依存している傾向は小さく、ドングリの豊凶にかかわらず、木の実としてはむしろ秋の主食はマタタビ・コクワ・ヤマブドウに偏る。そしてまた、その主食のうちどれかが不作・凶作であっても、ヒグマはほかの食物で補って十分な「食い溜め」をおこなっていると考えられる。
 札幌市周辺には適用できないだろうが、いわゆる中山間地域などで防除が遅れヒグマによる農作物被害が恒常的に生じているエリアでは、8月中旬〜刈り取り(デントコーンなら通常9月、遅い農地では10月中旬)まで、ヒグマの多くが「食い溜め」をそれらの農作物で一定レベルまでできるため、山の木の実の豊凶は、さらに影響しにくい。
 これらの理由で、私は、ヒグマの出没と「ドングリ」を強い因果関係で結びつけるのは、若干危険だと思う。
 もちろん、道庁がドングリの不作のみを指標としてヒグマの大量出没を予想したわけではないだろうが、上述は注意を要する。

補足)ヒグマの食物の量的問題は、ヒトの食物自給率同様、廃棄率・残存率を含めて考えなくては正しい考察ができない。つまり、生態的なヒグマの環境収容力と実際のヒグマの生息数、そして木の実がなるコクワ・マタタビ・ヤマブドウ・コナラ・ミズナラ・オニグルミなどの樹の数と、最終的にその豊凶。それらを全部考え合わせていろいろが判断できるように思う。

根本的な原因は?
 仮に札幌などのクマ騒動とドングリの豊凶の相関が薄いとすれば、どういう要因が上述の出没を同時多発的に誘発したか? そこが問題だが、これは札幌圏のみならず、道内各地の中山間地域などに一足早く見られている現象ではないかと推察できる。つまり、今日触れた「若グマの局所的増加」だが、札幌西側の山塊では数年前の突発的な大量捕獲云々ではなく、90年までの春グマ駆除期以来、絶滅危惧の状態から徐々に回復をしてきたと考えられ、その90年時に生き残り、再生の核となった個体群生息域から次第に周辺部へ拡散してきてそろそろ札幌周辺まで浸透しつつあるという推論は、ラフではあるが成り立つ。ただ、それに要した期間が春グマ駆除廃止から20年というのは、いささか長すぎるように感じる。厳密なところは、札幌から定山渓・朝里方面に至る山塊のヒグマの年齢別行動圏配置などを調べてみないとはっきりしたことは言えない。
 仮に若グマ増加が関与しているとするとして、近年の猟友会の状況を加味して考えると、それに「新世代ベアーズ化」が重なっている可能性もある。ヒグマの生息密度が低いエリアで、オス成獣が巡ってくることはあっても急に増えるという道理もなければ、現象も起きない。増えるのはまず若グマ。そして数年後からメス熊。概ねそういう順序だが、札幌近郊の山がどの段階にあるのかは、調査してみないとわからない。新世代ベアーズは知床などの観光地に現れやすいヒトに対して無警戒・無関心なヒグマの総称だが、90年の春グマ駆除廃止あるいはその後加速した猟友会の高齢化・空洞化・減少からすると、若グマの新世代化は大なり小なり各地で起きていることと推察できる。これは、奥山の特にオス成獣の大型化などと整合性を持つ。道内では近年500s越えのヒグマが捕獲されているが、シカの生息数拡大・増加に加え、いわゆる「クマ撃ち」の減少が関与していると受け取れる。クマを追って山を歩き回り仕留める手法がほとんどなくなり、ただ林道をクルマで徘徊する「流し猟」に変化したのも理由として大きいかも知れない。90年に3歳だった若グマは、生き残っているとすれば今年24歳。生き残る可能性は昔よりある。
 奥山で、人知れず成長し大型化した個体と同時に、近年の若グマは人里周辺に暮らしても、昔に比べればヒトからのストレスを感じずに生きていられる。観光客がわんさか訪れる知床ほどでないにしろ、傾向として新世代化、つまりヒトや人里への警戒心の減少は起きて当たり前とも言える。捕獲のうち、もっともヒグマがストレスを感じ警戒心を植え付けられるのは、ショットガンによる「追いの猟」。ついで、多少遠距離射撃になりがちなライフルによる猟。駆除で多用されている箱罠による捕獲は、「捕まる個体はあっけなく捕まるが、かからない個体は延々捕まらない」という特性を持ち、実際、ヒグマにとっては「罠さえ注意すれば大丈夫」と、ヒトや人里を舐めてかかっている傾向が強く見られる。もし仮に、都市部周辺で同様のヒグマが増えていれば、そのうち特に「無知で無邪気で好奇心旺盛な」若グマは、好適な移動ルートさえ存在すれば不用意にフラフラと市街地・住宅地に降りてしまうのが、むしろ自然なことかも知れない。

補足)警戒心の希薄なクマ三種
 若グマと新世代ベアーズは、前者が無知で無経験なために無警戒であるのに対して、後者はヒトを「無害である」と学習しきって無警戒になったクマだ。咄嗟の見分けがなかなか難しいが、「好奇心」という視点で見ると違いが浮き出てくる場合もある。ただ、ヒトとの間に生ずる問題群は、ほとんど差がない。原則的には、単なる若グマの無警戒のほうが、忌避教育(追い払いなど)によって行動改善は容易いだろう。同じく警戒心を欠いたヒグマに、餌付けされ行動がおかしくなった「異常グマ」「危険グマ」があるが、これに関しては、危険度が突出している。そして、忌避教育などという正攻法で対することのできるレベルではない。


情報の収集と開示
 札幌近郊の例では、今年、周辺のヒグマの動向が十分把握できていなかったと思われるが、過去数年間に起きた出没に関しても、痕跡等の調査がおこわなわれず、把握を十分にできていなかったのではないか。あるいは把握していたとしても情報開示をはじめとする対策をしっかりとれていたか。その点が疑問だ。
 もし仮に、周辺ヒグマの生息状況・動向を把握していたとして、また、若グマの習性を知っていれば、今回のような出没は当然予測できるし、予測していれば、この手の若グマの出没は未然に止めることが十分できただろう。住民への啓蒙・地域のリスクマネジメントももう少し進んでいたに違いない。つまり、今年の出没は派手に目撃情報を生んだのでセンセーショナルになったが、実際は、少なくともここ数年間、同様の出没が水面下で起きていた可能性があると、乏しい情報からでも読める。
 無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマからすれば自明だが、仮に数が顕著に増加しなくても、何かの拍子で刹那的に里へ降りてくることは十分考えられ、もし降りた先で家庭菜園・コンポスト・ゴミステーション・ポイ捨てのゴミなどに出合い、それを食べて人為物を学習してしまうと、大なり小なり常習性が現れる可能性もある。執拗な波状出没型のクマなら、もしかしたらそういう経緯をたどっているかも知れない。

札幌という町
 私が学生の頃か、札幌市の人口が150万に達し京都を抜いたどうのと自慢した覚えがあるが、札幌は今や一極集中も加勢して200万都市に迫ろうという勢いだ。この成長率は現代の日本にあってはかなりのもの。この北の町の特徴はヒグマの生息地と背中合わせにあり、そこから続くヒグマ生息地が実質的にかなり広いことだ。こんな大都市の隣にヒグマが普通に生息するような場所は世界的に見ても存在しないが、これはある意味北海道の人が世界に誇れる事実だと思う。(正確にいえば、まだ胸を張っては誇れないが、もしこの西側山塊のクマと折り合いを付け「共生」「隣存」を実現できれば、名実ともに札幌は世界の環境先進都市となるだろう)
 さて、札幌西側には北から手稲山麓、大倉山、盤渓、藻岩山と札幌市民のなじみ深いスキー場が散在し、この周辺の山を訪れる人も多い。しかし、例えば手稲山をクルマで上ってハイランドまで行き、そこからさらに少し登って頂上から西側を眺めた人は、驚きをもって険しい山岳の気配を感じるだろう。それは、盤渓からでも同じである。沢を行こうが尾根に登ろうが、山を歩いて人知れず定山渓ダムまで到達することができる。定山渓と朝里を結ぶ道道1号(定山渓レイクライン)は、スキーと紅葉のシーズンにはそこそこ交通量があるが、夏休みでも夜間は閑散とし、この夜間交通量ではヒグマの横断にまったく支障とならない。この道道をサクッと渡り、定山渓ダムを泳いで渡ろうがインレットをへ迂回しようが、ここを越えれば再び山に入り中山峠からの尾根を越えて京極の双葉ダムあたりまで、クマならストレスなく行くだろう。それほど広い山並みの裾が札幌の西側に落ちているわけだ。この山塊で登山をしたことがある方はわかると思う。私の歩き回った学生当時は、もしかしたらヒグマの生息数が極端に少ない山だったかも知れないが、そのポテンシャルは北大雪に引けをとらない。十分多くのヒグマを養っていける山なのだ。
 また、定山渓周辺はもちろん、簾舞周辺でもかなり前からヒグマの出没が南北両方からあった。南側は支笏湖につながっている。問題は北側からの出没個体だが、簾舞から円山まで直線距離なら10qない。このエリアの山が険しいとしても、ヒグマの足なら一日で踏破してしまう距離だ。
 つまり、現代、札幌が大都市だからヒグマは無関係な遠い存在だという感覚自体、じつは錯覚だ。

 通常、中山間地域でヒグマとヒトの悶着・軋轢あるいはヒグマの出没がこじれるのは、過疎化・高齢化など様々な理由によって従来人里が持っていた活性・エネルギーが落ち、手入れのされない林や薮化した空き農地などが増えて、山や自然が押し寄せてくるイメージだ。場合によっては、人里が断片化する場合もある。ところが、同じヒグマ出没でも、発展途上の都市部郊外では、逆に住宅地などが拡大傾向にあり、また「緑豊かな○×タウン」などを売りにした造成が進められる傾向が強い。緑が豊かなのは都会人にとって心の宝のようなものだが、その豊かな緑が野性動物との距離を縮めている現実も否めない。特にヒグマの場合、ストレスなく移動できる緑(薮や林)が、人知れず市街地・住宅地の至近距離まで若グマを導いてしまう(=バッドコリドー/悪い回廊)。今回の出没グマが20歳の成獣だったりすると、また異なった原因が浮上するが、出没パタンを聞いた限りでは、十中八九5歳未満の若グマだろう。とすると、バッドコリドーを何となく歩いていたら行き止まりになり、ふと前方を見たら街が広がっていた、という経緯で出没に至ったのではないだろうか。袋小路の回廊ということだ。田舎だろうが都会だろうが、中山間地域であろうが札幌であろうが、ヒグマが十分安心して移動できるコリドーが存在すれば、若グマはいつ降りてもおかしくない。そして、無警戒な市町村では、往々にしてそのコリドーとなっている藪や林の中をヒグマは人知れず移動するので、「突然クマが出た」と騒ぎになる。多くの場合、それは突然ではない。予兆があり、注意の目を向け調査さえしっかりしていれば、ほとんど引っかかってくるものだ。

出没防止の手法は?
 まず何よりも、一体全体周辺の山で何が起きているのかを知ること。様々な方法でヒグマの調査をし、どのようなヒグマがどれくらいどういうふうにどこで活動しているか、それをできるだけ正しく知ること。その知り得た事実から、ヒグマに対していろいろなストレスを加えて累積させ、移動ルートを変えたり、部分的に遮断したりは、何かに餌付き、執着し常習化しているヒグマに対しても一定レベルで可能だ。無目的で気分で歩き回っている若グマなら、なおさら。ただし、すべてのヒグマコントロールは、ヒグマを知ること、状況を知ること、とにかく知らずには合理的におこなえず、無知のままおこなった場合、往々にして、逆に悪い状況を生むことにつながってしまう。
 何かヒグマの問題が感知あるいは予測できたとき、慌てて対策を講ずるのは、緊急性が高じているケースを除き、お勧めしない。できる限り足を使って調査調査調査。とにかく知りうることを可能な限り知る。事実関係を洗い出す。その個体の前掌幅・大きさ・移動ルートはもとより性別・移動時間帯・性格・癖・食物・体調などなど、可能な限り。対策には電気柵・バッファスペースの設置から捕獲までカードがあるが、どのカードをどのポイントでどうやって切るか、それを判断しきってピンポイントでおこなうのが最良だと思う。

 ヒグマの人里・市街地出没には大きく二つあり、一つは上述の「若グマ型」。ヒトや人里に対する経験がまだ浅く、いろいろを学習している最中のクマだ。これに対しては、餌付けを避けながら、忌避を教え込むことでおよそ消すことができる。
 もう一つは、エサ絡みのクマで、人里内の食物を学習し、そのエサ場をめざして降りてくるタイプ。これは「餌付け型」と呼んでいいだろう。その食物が人為物(生ゴミ、コンポスト、肥料、ペット・家畜のエサ、農作物など)の場合、比較的常習性が現れやすい。このクマに対しては、ゴミ類ならば撤去、農作物・コンポストなど必要なものなら防除をする以外に、解消していく方法がないだろう。仮に出没している個体を1頭捕獲しても、遅かれ早かれまた同様の個体が現れる。(箱罠については別述)
 ヒグマの捕獲判断は、その個体の単純な問題性ではなく、異常性に注目するといい結果が出せる。

A.降りないための戦略
■出没ルートを消す(間接的なクマ側への関与)

 まず出没のツールとなるバッドコリドーを遮断すること。遮断には、巧妙にバッファスペースを配置しつつ、対ヒグマの電気柵を(必要なら二段構え・2箇所に)設置する。移動ルート(バッドコリドー)を効果的に遮断すれば、まず軽率な若グマの出没は消せるが、気象条件などによって、にわかにヒグマの動向が変わる場合がある。例えば北大雪の今年(2011)であれば、台風崩れの温帯低気圧が居座ることにより河川の大増水が続き、渡れないクマたちが河川に沿って右往左往したが、こういう変化が起きると、通常の移動ルートから別のルートへ変更するクマも出てくる。私のエリアでは、ヒグマの動向変化が感知できた段階で、急遽、要所のバッファスペースを60mほど拡大し、なおかつクルマに泊まり込んで接近したヒグマの追い払いをおこなって凌いだ。つまり、通常なら十分機能する電気柵をしっかり設置しても、残念ながら100%大丈夫ということは言えない。かといって、物理柵(ネットフェンス)を大規模に張ってトリップワイヤー(補助的電気柵)で掘り返しとよじ登りを防ぐだけの資金はなかなか得られないだろう。
 電気柵周辺・移動ルート山側の要所にはデジタルセンサーカメラ等を設置し、定期的に確認すると、恒常的なクマの活動確認になり、またちょっとした変化・前兆を見逃しにくくなる。
 要所という言葉を用いたが、この要所を見出すためにも、経験値と目が必要だ。

補足)同じルート上に2箇所というのは、はじめて電気柵に出合うヒグマのごく一部は、触れた衝撃にビックリしその電気柵を突破してしまう場合があるからだ。これを「ビックリ突進」などと単刀直入に呼ぶが、最初の電気柵で仮にビックリ突進を起こしたクマは、十分強烈に電気柵を学習し忌避心理を抱いているので、二個目の電気柵は決して突破しようとは思わない。電気柵の電撃自体が、その個体に漠然と人里への警戒心を擦り込むので、可能性としてはその個体は二度とその周辺には近づかない。この原理があるため、一個目の電気柵はむしろ学習用。二個目の電気柵がヒグマを止めるための電気柵だ。なので、当然、一個目はルート上に短く張って、迂回しやすいように設置する。その個体が通るルートを既に完全に固定化し常用しているポイントならば、柵の長さは5mでも十分だろう。二個目は逆に迂回して侵入できない長さ・形状にしておくのが無難だ。なお、ヒグマは電気柵の高圧電流が誘導する磁場を感知している可能性があるため(確認不十分)、電圧の落ちた電気柵あるいはフェイクの電気柵は、いずれの箇所にも用いるべきではない。

■若グマの忌避教育(直接的なクマ側への関与)
 若グマへの継続的な忌避教育。これは技術的に行政ができることではないので、もしクマ撃ちやヒグマの専門家がいれば、その人材を活用する。後述、クマ撃ちの隆盛は現実的に今後困難なため、若グマをどう殺すかという状況に持ち込まず、どう生かすか、つまりどういう学習をどのようにさせて近隣の山に生かすかに、意識改革を必要とする。積極的手法は、ベアスプレー、轟音玉、ベアドッグ、クマ撃ちによる威嚇弾などだが、基本的に、文明をまとったごく普通のヒトの活動がヒトへの脅威をヒグマに類推させる。
 ヒトへの忌避、人里への忌避は、とにかく合わせ技で、ヒグマの心理に累積させ固定化させるのがコツだ。

■住民・来訪者へのヒグマ教育(ヒト側への関与)
 都会の住民でも山裾に暮らしていれば、ヒグマを意識しいろいろ注意した暮らしが必要。そのスキルに関して、住民・小学生などを対象とした「ヒグマを正しく知るための教育」をそれぞれおこなっていく。後述するヒグマ対策協議会を核に、火災訓練・地震避難訓練同様、ヒグマ出没訓練をたまにおこなってもいいだろう。

B.降りたときのための戦略
■ヒグマ対策協議会

 防除策を施しても出没の可能性があるわけだから、その事態を想定し、注意喚起・立ち入り制限・パトロール・追い払いなどのほか緊急事態におけるハンターの発砲に関してまで取り決める住民(町内会)・行政・警察・消防・ハンターからなる協議会的な組織を作っておくことも重要。協議会として意志決定をし、協議会として対策に動く。例えば、緊急時には市街地でも銃器を使用できる文言を入れ、誰の権限でそれが運用されうるか決めておく。組織的に動いて無駄なく速やかに対応するためには、権限者を明確にしておくことと、その権限者が不在の時のナンバー2、ナンバー3くらいまで必要。この組織には、必ずヒグマの専門家を含めておき、専門知識や経験を十分生かしてもらう。

■誘因物管理
 不用意なヒグマのエサ(コンポストやゴミ)などをできるだけしっかり管理して、万が一ヒグマが降りてきても味をしめないように工夫する。ヒグマを誘引するのは、住宅地にせよ商業地にせよ仕方ない。夕飯を食べないわけにはいかないだろう。万が一、そのにおいで誘引されたヒグマがいても、誘引だけでは執着や常習性は現れず、問題はこじれない。ところが、一度でも食べさせてしまうと、ヒグマの行動は波状出没となり、執着・常習性そして悪くすれば行動のエスカレートを起こす可能性がある。ヒトへの警戒心を完全に欠如させてしまうのだ。そこまでヒグマを悪く変化させてしまったら、それこそ住民を避難させた上で警察にも協力を得て、狙撃隊による射殺駆除しかないのではないだろうか。

■ハンターの育成
 当然ながら、最後の切り札としてのハンターの捕獲能力アップが望まれるが、これは一朝一夕に実現するものではない。また、先手先手で予測・先回りして問題が起こらないようにするのが、ヒグマの生息地に入るときも生息地と隣接して暮らすときも、ヒグマ対策の鉄則で、これを怠って問題が起きてしまうと解決難易度・労力・経費そして危険性ともすべて跳ね上がるので、まずはそういう状況に陥らないための方策を念入りに施すのが先決だろう。できる限りのことをやって、それでも起きてしまう問題に対して、最後の切り札は大切に用いるべきものだ。

 ざっと主要どころを記したつもりだが、細かい方策は他にもあるかも知れない。


まとめ
 札幌のクマ騒動をメディアで見聞きして漠然と不安にかられている人がいる一方、冷ややかに見、あるいは笑い飛ばしている人も私のエリアにはある。ヒグマの目撃を含め、足跡は糞・爪痕などがあった場合、「ヒグマの出没認知」という表現を使うが、私のエリアでは、山も人里もヒグマの歩かない場所を見つけるのが難しいほどあちこちに出る。例えば、夜、何かの会合で自治会館で集まる。すると、そこに来た人が「おい!今そこの橋でクマがいたぞ」と言い、それに対して「クマかあ!やっぱ出てきてるんだなあ」「そこの畑、結構大きいのが付いてるんだよね」と、それで会話が終わりになって、平然と予定の議題に入ったりする。特に主農業である酪農で栽培されるデントコーンに対ヒグマの防除が皆無なので、8月〜9月は混沌とヒトとヒグマが人里内で辛うじて棲み分けをして活動しているような状況だ。その中で、様々な手法でヒグマにストレスをかけヒトとクマの危険な遭遇が起きないよう、また起きても事故に至らないよう制御を試みているが、実際は紙一重のような部分もあるかも知れない。私のエリアの人達はヒグマの経済被害を重くは見、害獣の色合いが濃いが、人身被害の危険性を軽視あるいは無視している部分がある。逆に、札幌の人は、この動物を得体の知れないモンスターの如く無闇に恐がって騒ぎ過ぎのようにも思える。どちらの状態もいいとは思わないが、今年のようなクマ出没を派手に取り上げ騒動とするだけではなく、そろそろこの動物に正対し、冷静に知って本気で折り合いを付けていく時期が来ているのかも知れない。
 札幌オリンピックで「街ができる、美しい町が」というフレーズがあったが、その設計思想に今世紀に掲げられた自然との「共生」とか「共存」というのは含まれていなかった。当時の美意識は町並みの美学だった。札幌のみならず北海道では、農地帯なり町なりを作っていくときの設計思想・設計理念から改革を余儀なくされているように思う。当然ながら、周辺の山にはヒグマという強獣が生息しているという前提で、町をつくり、拡大し、ときに改修していかねばならないだろう。現代の「美しい町」は、経済合理性だけを追求し害獣戦争を繰り広げる町ではないはずだ。
 
2011年10月18日 岩井 基樹
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2012年・秋田のクマ牧場事故に寄せて

 あるフォーラムで質疑応答タイムを作ったら、ある環境保護団体というか、まあ動物愛護団体の方が、私の活動に関していろいろと評論めいたことを並べたことがあって、そのときばかりはカチンと来て、「あなたの御託でクマ問題が解決するの?するならやってみて。私はいつでも譲るよ」と言ったら、黙り込んだっていうことがある。私もちょっとストレートに言いすぎたし、この人自体悪い人ではないのだろうが、非現場型の環境保護・動物愛護の人は、どうもこの手の錯誤に陥りやすいようだ。
 広島のツキノワグマ研究所のウェブサイトには「私たちは動物愛護団体ではありません」と初っぱなに明記してあるが、その意味がよくわかった気がした。どこかで読んだ情報や知った言葉を並べて意見を言うことは、そんなに難しくない。「野生動物を保護しろ。自然を守れ!」これを言うのは、まあ、やろうと思えば誰でもできるだろう。しかし、実際に現場でクマとヒトの間で立ち回って何かをやることは、そう簡単なことではないし、責任がつきまとう。ストレスもかかりゃ、労力も気概も覚悟も要る。都市部に住んで「クマを守れ」ならいいだろうが、害獣戦争の最前線の現場でやれば言った瞬間に袋叩きに遇う可能性だってある。けれども、野生動物対応あるいは保護管理というのは、ヴァーチャルなゲームや空論になってはいけない。あくまで現場での実践が要だ。

 奇しくも札幌でクマ騒動の記憶も新しい今年、秋田のクマ牧場でヒグマによる人身事故が起きたが、幾つかの保護団体がどこからか飛んできて、言いたいことだけ言って去っていったらしい。ヒグマの調査ひとつした経験もなく専門家一人持たない団体が、ヒグマの問題に対して何を指摘し何を提案したのかは定かでないが、現場はそんなに単純でも軽薄でもないと思う。※この段落に関して、私の事実誤認があったため訂正をおこないました(後述)
 この事故の直後、私は秋田県のある人から相談を受けたが、陰鬱な気持ちで苦い顔を作りながら即座に「せめて確実な殺処分の方法論をすぐさま議論してください」と答えた。つまり、安楽死だ。人を積極的に襲って食害してしまうほど精神をおかしくしたヒグマを、これ以上同じような環境で生かしておくべきではないと思ったし、そういうヒグマをまとめて数十頭も飼育する難しさも、野生のヒグマを見てきた私からでも容易に想像できた。ヒグマの寿命は20〜30年。恐らく、引き取ってきちんと飼育しますと言い出す人も、そう簡単には出てこないだろう。すると、遅かれ早かれ、少なくとも大半のクマは殺すしかない。そうせざるを得なくなる。ならば、この不幸なクマたちに、できるだけ不安や恐怖心、ストレスと苦痛を与えず殺して欲しいというのが、私の答えた言葉の意味だった。数十頭のヒグマをこのような状況に追い込み、人が二人亡くなり、さらに残った数十頭のヒグマを殺さねばならないだろう現実に対して、単に「殺すな」「守れ」の論調は、あまりに軽薄のように思われる。
 クマの処分方向以上に重要なことは、この事故から私たちが何を感じ、何を考え、何を学ぶかだ。亡くなられた二人の飼育員の方に、私は敬意を表する。そんな境遇のクマたちのために毎日を過ごしてくれて、感謝のような気持ちさえ湧く。そして、彼女らの死を決して無駄にしてはいけないと思う。ならば、何をすればいいか。

 この事例は、単に飼われていたクマの問題に矮小化してしまってはいけないのではないか。クマという野生動物の問題として、同時に飼養動物としての犬猫まで含めた問題として、一体全体ヒトのどういうこころがこの事故を導いてしまったかに焦点を当てなくてはいけないように感じられる。一方で野生動物に対して尊厳をどれほど守っているか、一方で、簡単に放棄され殺処分を受けるイヌやネコは。イヌという動物なんてもともと存在しない。オオカミをヒトが餌付け、家畜化してイヌと呼ぶようになっただけで、生物学的には現在もすべてのイヌはオオカミの単なる一亜種である。そうやってヒトがヒトのために野生動物を飼ったり改良したりして利用すること、そして迷惑な害獣として排斥すること。この二つは、表裏一体のことのような気がしてならない。オオカミは本州でも北海道でもすでにヒトが絶滅させてしまったが、残された日本在来の野生動物らとどうやって折り合いをつけてヒトが存続するかは、この共生の世紀における中核ともなるように感じられる。
 私が暮らし、ヒグマの調査とともに被害防止活動をしている町では、恐らくこの事故絡みで今年中に殺されるヒグマと同じほどのヒグマが毎年殺され続けている。それも、かなりヒトのエゴに偏った理不尽な形で。秋田県でも、県内の推定生息数に対して、絶滅政策と疑えるようなあまりに膨大な数のツキノワグマが有害駆除で捕殺されている現実が、残念ながらある。何がそれらの現実を引き起こしているか、そこに焦点を当てていかなくてはならないのではないだろうか。
 ヒトを守るのが優先だ―――これは有害駆除をおこなう側の一種決まり文句で、私も同意する。が、動物を無闇あるいは軽率に殺して排除することが本当にヒトを守ることになっているのかどうか。ここに、まず疑う余地がある。犬猫も同じ。要らなくなったから捨てる、厄介だから放棄する。はたして、クマを殺しイヌを殺すことで、ヒトは守られているのか。
 70年代から北欧スウェーデンでは、クマの捕獲数と自殺率が反比例の定性的関係を持ち推移した。開拓期後の北米では、野生動物への迫害と人種差別や弾圧(KKKの台頭など)が連動していた可能性が高い。つまり、野生動物の命を軽んじ殺生に走るヒトの攻撃性は、括りの萎縮という意味においてKKK同様であり、自他に対する許容力の減少という意味において自殺率と関連する可能性がある。
 「括り」というのは要するに「自分ら」という同族意識・仲間意識だが、これが萎縮すると、当然ながら人種差別やイジメにつながり、多くの場合、排他性・攻撃性に結びつく。逆に拡張することによって、自然に「折り合いをつける」、つまり共生の感覚・思想につながるだろう。最も小さな括りは「自分」だが、この次元で勝手に動けば自分勝手となる。その次に家族や友人があって、地域があって市町村があって、人間という括りがある。KKKとは逆にさらに括りを広げると、周辺のクマやイヌや森や川や空や何やらと広がって、人間勝手な暮らしから環境全体と調和して継続するヒトの暮らしになっていくのだと思う。それが、少なくとも地球というこの惑星上の共生の神髄ではないだろうか。

訂正)2015/08/14
 当時の状況に関しては秋田の知人からの電話等を通じた情報でした。幾つかの団体の名と動きを聞いた覚えがあるのですが、知人からの一方的な情報で決つけがあったと、今さらながら反省するに至りました。当時、私もやるせない気持におおわれ、この文章にも書きました通り苦々しい気持で、わけのわからない憤りで文章を書くのが粗雑になっていたと思います。最近、秋田へ行ってクマの生存のために奔走したという団体の方と話す機会があり、当時の彼らの思いや努力をお聞きし、少なくともその団体に関しては「言いたいことだけ言って帰っていった」わけでも軽薄なわけでもないことが理解でき、ここに訂正と、お詫びを申し上げたいと思います。情報の公平性に関して、今後は十分気をつけます。
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オオカミの再導入に関する意見   羆塾:岩井基樹る環境保護関係者からの問い合わせに対しての意見書)

 オオカミに限らず、生態を移入する場合には、原則的に次の三点から予測・考察をおこなう必要がある。
    1.移入生物の拡散可能エリアを含め、生態系への影響(効果と副作用)
    2.動向把握・管理と、不測の事態が起きたときの駆逐方法
    3.エリア全体のヒトの受容可能性と被害の補償

そしてさらに、エゾオオカミの場合は、4として、
    4.北海道に生息したエゾオオカミと海外からの移入個体群は同一か?という問題がある。

1については、
 拡散範囲を含めいろいろな予測が成り立つが、信頼できるシミュレーションがなかなか成り立たない。それは、オオカミがヒグマ同様高知能で、学習によってその環境に適応した生活パタンを獲得するからでもある。海外の、北海道と同様の気象・植生・地形の環境下での事例から推定するのでは不十分で、そのエリアに暮らすヒトの暮らしや意識・知識・技術のありようによって、オオカミの動向は変幻自在に変化するだろう。
 したがって、「予測困難」という前提で、2を考える必要がある。

 シカの生息数調整の機能がオオカミ移入の原動力の一つとなっているようだが、これに関しては、信頼に足らない。一見もっともらしい理屈で、その効果がまったくないとも言えないだろうが、効果が乏しいのではないだろうか。シカの数は積雪パタンや植生が制御しうるが、はたしてエゾオオカミはそんなに劇的にシカの数をコントロールしていたのだろうか、そこに多少の疑念がある。例えば、古くから研究が行われている北米・ロイヤルアイランドのオオカミとムース・植生の関係の研究データからすれば、オオカミがシカの生息数をコントロールするのではなく、シカがオオカミの生息数をコントロールするという事実が浮き彫りになっている。(ロルフピーターソン)

 また、オオカミによるシカの生息数調整効果は、「銃器などによるシカ駆除がおこなわれない」という前提でいくらかは効果が期待できるものの、現実的には、シカが現在のように駆除されている北海道では、ほとんど効果が現れないと予測できる。つまり、銃器による捕獲では、必ず一定レベルの回収不能個体が生ずる。手負いで逃げてどこかで倒れるシカや、怪我をしたまま動けないシカなどが、相当数出てしまう。そのエリアのハンター・猟友会の意識・性質にもよるが、あるエリアでは、ベテランハンターがライフルで100発の弾丸を使い20頭のシカを捕獲し、初心者は150発のスラッグを発射し3頭のシカを年間に捕獲した事例がある。この数字から、この二人が何頭のシカのどこに銃弾を撃ち込み、どれほどのダメージを負わせたかは読めないが、ファジーながら相当数のシカが手負い個体となり、人知れずどこかに倒れて斃死したと推察できる。実際にヒグマの調査をしていて、銃弾によって死んだと思われるシカの死骸に遭遇することは多く、現在のところそれらのシカの一部はヒグマが利用しているものの、仮にオオカミを放獣すれば、オオカミがシカ死骸をヒグマと競合する可能性が高いだろう。つまり、銃弾によって負傷もしくは死亡したシカをオオカミは利用する率が、おそらく非常に高くなるため、オオカミによるシカの個体数調整効果はほとんど現れない、というのが私の考えだ。

 また、上の数の調整効果を考える場合には、現在なら死なないはずのシカをオオカミが何頭殺すかというふうに考えなくてはいけないが、ひと冬の積雪が平年並みでも12月に爆弾低気圧なる集中積雪がある年は、春を待たずに手づかみできるようなフラフラのシカが見られ、春先に死ぬシカの数もかなり多くなる。シカの越冬地への移動という現象は、北大雪ではほとんど私には感知できない。


2について、
 
放獣される第一世代のオオカミには、当然ながらGPS発信器が装着されるべきだろうが、もし仮に自然繁殖を前提とすれば、北海道の環境でオオカミの交尾期は2月中旬と考えられ、放獣翌年4月には子オオカミが3〜8頭前後誕生する。子オオカミの成長は著しく、半年で約35s程度に達するだろう。また同時に、オスの場合は完全に成長しきるまでに数年を要する。自然繁殖によって生産された個体に、どの段階でどのように発信器をつけるかが問題だが、巣穴にいる子オオカミというわけにはいかず、また、成長個体の活動場所を特定し、ピンポイントで捕獲することも、オオカミの警戒心・知能そしてテリトリーの広さを考えれば困難と言える。(たかがヒグマ一頭、ピンポイントで捕獲できない状況が北海道では続いている)エアリアルハンティングの手法も、用いることができない地形・植生が北海道には多い。

 以上から、第一世代以降の個体に関して、持続的に動向を把握することが困難になるのは必至だろう。どの範囲に何頭のオオカミがどのように生息しているかわからない状況が生じると思われる。
 したがって、考えられる策は、自然繁殖を回避した放獣ということになるが(オスの去勢またはメスの避妊)、となると、自然死個体の可能性も含め、持続的なオオカミの補給が必要になる。ところが、経費・労力以上の問題として、そういった新規個体が在来のパックに受け入れられるかどうかが疑わしく、単独個体率が高いとなると、大型獣のシカではなく、他の中・小型ほ乳類等への補食圧が高まり、同時に家畜への被害率がカナダやフィンランドより高くなる可能性も十分にある。

 また、仮にパックに馴染んだとしても、従来のオオカミの社会学に沿った行動とはかなりズレが生ずる可能性が高い。オオカミの生活史で、繁殖(交尾・出産・子育て)の要素のウェイトは大きく、それ抜きでオオカミのパックがどのように振る舞うか、対外的にも(パックの)内部的にも十分研究されていないため、さらに予測困難になる。

3に関して、
 特にオオカミのような大型肉食獣の放獣では、農業被害(酪農)、ペット動物への被害に加え、死亡事故も含む人身被害まで想定する必要があるが、近年、ヒグマの有害捕獲数が増加し、また中型イヌ属のキツネやタヌキの駆除も高止まりしている北海道の現状からすると、野生動物との共生の思想が浸透しておらず、オオカミの放獣に対して道内のヒトの受容力は準備段階にも達していないと言わざるを得ない。
 環境保護・調和そして野生動物との共生などには無関心な平均的北海道の人々とは別に、海外の例から事実本意に許容ラインを示唆するとすれば(データは他人の論文を使うが)、次のような視角がある。
 カナダ,アルバータ州では1982-1996年の14年間に1633頭のウシがオオカミの被害にあった(知床博物館研究報告Bulletin of theShiretoko Museum 27: 1..8 (2006)「知床に再導入したオオカミを管理できるか」米田政明)。この116頭/年という数字を北海道に適用するわけにはいかないだろうが、多さという点では十分参考にすべき数字だろう。
 また、オオカミの犬への攻撃性は高く、フィンランド全土に生息する100頭ほどのオオカミが、1996-1999年の4年間に65回イヌを襲ったと報告されている。(犬の被害:14頭/年)すべての犬は、現在オオカミの一亜種とされているが、オオカミのパックのテリトリアルな気質・習性がこの高い犬への攻撃性に結びついているものと考えられる。(そこがヒグマと異なるところだろう)
 さらに、オオカミはヒグマ同様、無闇にヒトを襲う動物ではないが、状況によって攻撃性あるいはじゃれつきに近い行動も現れる場合があると考えられ、人身被害のレベルはヒグマの人身被害と比較しうるレベルにある。カナダでは1969-2000年の32年間に子供が重傷を負った3件を含め,18件のオオカミによる人身事故が起きたことが報告されている(0.56人/年)(米田)。

 その他、自然繁殖を前提とした放獣の場合、簡単に予測できることは、道内各地に存在する野犬との交雑だろう。先述したように、すべてのイヌはオオカミの亜種にあたり、交雑は容易に成立する。いわゆる狼犬となった個体は、総じてオオカミよりもヒトに対しての警戒心が小さく、ヒトとの距離が小さくなる可能性が高い。結果的にその交雑個体あるいはそれを含むパックはヒトを攻撃しやすいと考えられ、むしろ人身被害・ペットへの被害などを増やす方向に傾くことが、比較的高い信頼度で予想できるのではないか。(オオカミは基本的にヒグマ同様ヒトから逃げる。噛むのはイヌのほうだ)

※カナダにおける交雑は深刻化しており、先年「黒いオオカミは過去にイヌと交雑した可能性が高い」という内容の科学論文が発表されたばかりだが、アラスカにおけるオオカミによる人身被害と、交雑の進んだカナダにおけるその数と、私自身は差異があると考えている。データを持ち合わせていないので、チェックしてもらいたいが、仮に上の私の経験に基づく推論が正しければ、純粋なオオカミが生息するアラスカでは、人身被害件数がカナダより低いレベルにあると思う。

4に関して、
 
現在の比較的進んだ認識からすれば、同じ北海道であっても、別エリアの個体群は別に扱うのが普通になっている。(例:イトウ、サクラマスなどの魚類。昆虫類など)その観点で言えば、生物の分類学的なエゾオオカミという種で括って「同じ」とするのは、少々乱暴に思われる。分類学は、ある意味分類のための学問であり、機能系(エコシステム)のパーツとして厳密に等価なものが同種に含まれるわけではないと私は思う。
 ただし、エゾオオカミであろうが北米のオオカミであろうが、アイリッシュウルフハウンド(オオカミ狩り用の犬)であろうが、自然に放せば、それぞれ近似的に従来のエゾオオカミの役割を生態系で果たす、つまり、一定レベルでシカを補食し、一定レベルでウシやイヌやヒトを襲うことになると思う。この近さ(近似性)を最大限に高めたければサハリンか国後あたりのオオカミということになるだろうし、シカに対する効果を最大限に求めれば、おそらく、放獣する動物にも異なる選択がある。この「近似的に」という部分を抜きに「北海道の生態系の復元」というような論調を輝かしく言うのは語弊もしくは作為がある。

 私自身は、海外からのオオカミ移入では、それがどこの地域からでも外来生物という認識をしている。同時に、野生動物や毒昆虫、あるいは雪や雨や重力や河川によってヒトが怪我をしたり希に死亡したりすることを一定レベルで容認すべきと考えている。私自身のバランス感覚からすれば、オオカミによる人身被害率が高いとは決して思えないが、それが人為的に放獣される外来種だとすれば、放獣主体・許可機関に科せられる責任は重大だと思う。

1〜4への私なりの考察をおこなったが、仮にオオカミの放獣によってエゾシカの生息数調整の効果が一定レベルで期待できたとしても、そのほかの点で、少なくとも現在、オオカミ放獣の段階ではないと結論される。


 蛇足なるが、私はオオカミが好きだ。アラスカで暮らして、圧倒的な存在感があったのがヒグマ。オオカミはちょっと親近感が湧く。以前、ヒグマ恐怖症だったから、余計にオオカミにすがるような気持ちも湧いた。だから、恐怖症がなくなった今でも、私の暮らす谷にヒグマと共に生き残ったオオカミのパックがうろついていたらどれだけ嬉しい気持ちになるかとも想像するが、それは、ヒグマの活動やオオカミ放獣とは別の次元の話。私個人のローマン的、空想的、情緒的問題だ。アラスカの原野で何度となくオオカミのパックに遠巻きに囲まれ眠りについたこともあり、その緊張と弛緩の心地よい印象が今でも忘れられないが、その感覚を味わいたければ、またアラスカの原野へ行けばいい。申し訳ないが、オオカミ放獣の議論は、ちょっとしたオオカミフリークが私欲で宣っているようにさえ感じるときがある。特に3に関して、蒙昧な観がある。つまり、もし仮に真剣にオオカミ放獣を狙うのであれば、ヒグマとヒトとの共生を進めることに専念すべきのように思う。ここを解決しなければ、すべては座礁するだろう。それくらい、ヒグマの問題は現場性があり、オオカミの問題はおとぎ話の出来事のように思われる。北海道のヒトのこころ・意識の状態がどういうふうかは、ヒグマとヒトの間に立って現場でたった3年でも活動してみれば、オオカミフリークにも理解できると思う。

 私が狼犬をベアドッグに仕立てたのは、オオカミ好きだからではなく、現在、ヒグマに対抗すべく私が持ちうる犬を考えた場合、狼犬以上に高性能な相棒が見当たらなかったからだ。コントロールさえできれば、この犬ほど知能・運動能力ともに高く、対ヒグマ作業で機能する犬は存在しないと結論づけたからで、これに関してはローマン・情緒ではなく、あくまで冷静な分析と考察・判断からではある。(立証はいまやっているところ)

乱筆乱文失礼
2012/07/15 岩井
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八甲田と山彦の滝

 2018年1月、八甲田山系の樹氷にスプレーで落書きがされた事例が起きた。現場が国立公園に指定されていたため自然公園法の観点からも問題視されたが、そもそもこの自然の造形に対する行為の是非がどうなのか、そこを議論する余地がある。
 八甲田の樹氷に蛍光ピンクで書かれた文字の意味は解らないが、アートの観点からするとそのビビッドな色づかいといい悪くない。人によってはこの落書きを芸術的で価値のあるものとして評価するかも知れない。逆に、趣味が悪いと気分を害する人もいるだろう。もちろん、これは個人の好みやセンスの問題で、それをもってこの落書きを肯定する根拠にも否定する根拠にもならない。
 スプレーによる落書きと言えばニューヨークの地下鉄や東京都心部の高架下などが思い浮かぶが、これらが問題なのは、落書き自体ではなく、もちろんその落書きの芸術的意義でもなく、そのキャンバスとなった地下鉄や壁に所有者がいるところだ。他人のものに勝手に絵を描いたりしていいのか?という問題になる。当然、それは認められる事はどの国であってもあり得ない。
 では八甲田山の事例ではどうなのか? じつはここには「無主物」という概念が絡んでくる。そのまま訳せば「持ち主のいないもの」となるが、その捉え方ではまだ甘い。そうではなく「誰のものでもある」という国民全体の共有物という捉え方が必要だ。それは、空気や河川・海の水などと同様で、個人や企業が勝手に汚したり壊したりする権利は原則認められていない。つまり、八甲田の樹氷も、ほんの少しは私のものである。あなたのものでもある。だから、誰であっても落書きをしてはいけないという原則通りの理屈になる。
 自然と呼ばれているものは、河も海も空気も風も太陽光も、そのほとんどが無主物で、じつは国民の共有財産であるが、さらにそこには民族的・文化的な信仰・宗教の問題が絡んでくる。日本にももともと山岳信仰があって霊山・霊峰が存在し山全体が信仰の対象となっていたが、アイヌ民族などはもっと生活に密着した自然物・自然現象に対する深い信仰の概念を持っていた。八甲田山にどういう信仰があっかがわからないし、どこの誰がどんな思いでその樹氷群を見てきたかがわからないが、単に所有云々というのとは異なる次元でヒトのこころに憤りや反駁を与えたことが考えうる。
 では、破壊やスプレーの落書きではなく、例えば富士山に強力なレーザーで絵やロゴを写し出す行為はどうだろう?レーザーのスイッチ一つでカラフルな絵やロゴは消えもとの神々しい富士山に戻るが。では、七色に変化するカラフルなライトアップは? こう考えていくと、要するに、自然物・共有物・無主物の本来の姿を損なうような破壊・落書き・映写・ライトアップなどは、原則的におこなってはならない行為ということに気づく。
 丸瀬布では八甲田の落書き的な手法を行政が率先しておこなっている。実際、山彦の滝のライトアップは、自然公園法に抵触するか否かを除いて、八甲田の樹氷への落書きと何ら変わらない。それを綺麗だと思う人もいれば、おぞましいと思う人もいると思うが、もともとの自然の滝のありようをひどく損なう行為であることだけは確かだ。本当の山彦の滝を知らない行政担当者が机上の空論で強引にやるからこんなことになる。凛と冷えた夜、月夜に照らし出され怪しく光る幽玄なたたずまいの山彦の滝。これが厳冬期の本来の姿だが、ツアーで訪れた人は皆、過剰な脚色でカラフルにライトアップされただけの氷のかたまりを山彦の滝だと思い込み、本当の山彦の滝を感じる事はないだろう。まるでそのへんのヒグマを拉致してきて白黒にパンダふうにペイントし観光客を呼び寄せているようなものだが、自然を感じたい人は白黒に塗られたヒグマが見たいわけじゃない。
 町が冬期の観光誘導でどうしても雪や氷をカラフルにライトアップして人為的に幻想的な雰囲気を作りたければ、どこかの広場や公園に人工的に氷のつららや像をつくり、それをお好きなようにライトアップするのが筋だろう。 支笏湖氷濤まつり、層雲峡氷瀑まつり、札幌雪まつりをはじめ北海道各地の雪や氷をフィーチャーしたイベント類はその節度・スタンスでおこなわれ、それぞれの持ち味で冬の観光となっている。
 山彦の滝の場合は、行政の労力・経費の関係上限られた日しか滝のライトアップはされていないため、本来の山彦の滝ファンはその日を避けて訪れればいいし、現段階では、冬のイベントに困った町の苦肉の策程度と容認してもいいと思うが、もともとその滝に関わってきたアイスクライマー、地域の人、さらには古くから信仰とともにこの地に暮らしてきたアイヌ民族への配慮を少しは持つべきと思う。
 ちなみに、ヒグマもれっきとした無主物で、ほんの少しはあなたのものでもあり、何かを言う権利がある。国民の財産でもある。また、捕獲一本槍が蔓延する現在の北海道の状況は、アイヌ民族にとってみれば、自らの最も崇高な神を無闇に害獣として殺しまくっているふうにしか映らない。




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