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Stage1



 この項のはじめに

 私自身、若い頃ヒグマ恐怖症でした―――こう言っても、今は誰も信じてくれないが、10代から20代にかけて実際にそうだった。世田谷に住んでいた中学生の私がどうしてそんな恐怖症に陥ったたかというと、とあるモンスターパニック映画を見たくもないのに偶然の成り行きで観てしまったせいだ。その後、進学で何故かヒグマが暮らす島・北海道に渡り、よせばいいのに吉村昭の『羆嵐』は真冬の三毛別の復元跡で、ろうそくの灯りで独り読みふけったりもした。恐怖症など軽くねじ伏せるつもりだったが、逆にねじ伏せられ、克服どころか重篤化した。北大時代はそのモンスターへの恐怖心とともに北海道各地の川や山を歩き回った。ただ、ヒグマという山のモンスターを怖れるあまり、核心部に踏み込んでいけない不自由をいつもひしひしと感じていた。

 ある年、探検部の悪友と北米の大河ユーコンを流されながら旅をしたとき、銃器を携え3カ月程度ヒグマの大生息地を行くことになったが、素晴らしい旅程であったにもかかわらず、この経験は恐怖症に対してはさして有益ではなかった。銃器という高性能な武器では、恐怖症の解消に何の役にも立たず、ヒグマへの本質的な理解を深めることにもつながらないと悟った。
 その後、ユーコンの河旅の延長で、ちょっとした理由もあって舞台をアラスカに移し、デナリの山麓の森でいろいろな取り組みをおこなったが、その森にはヒトが暮らさない代わりにクズリやオオカミやヒグマが暮らし、お隣さんとして関わらねばならなかった。この森では家畜化された都会のお坊ちゃんの理屈や感覚は通用しない。ある部分で野生を取り戻し、その森と調和するしかなかった。自己責任の名において、生存のための殺生をおこない、生存のためのリスクマネジメントをマスターするしかなかったわけだ。

 10年以上続いた性悪な恐怖症に異変が起きたのは、ひょんなことからだった。
 ある年、気まぐれで行った北極海に向かうデンプスターハイウェイの旅で、斜陽に照らされた大きなグリズリーに出くわし、「怖い」と思う間もなく、迂闊にも「美しい」と思い見入ってしまったことがきっかけで、私の中の恐怖のモンスターは瓦解していったと思う。ヒグマもようやく正真正銘のお隣さんになり、そこからは、小説や映画や新聞から脳裏に植え付けらたヒグマの幻影を拭い去るのは、そんなに難しくはなかった。とにもかくにも暮らしの中で神経を常に敏感に維持し、この動物のことをよく感じよく見る。そしてニュートラルな感情で、ある意味科学的な思考で理解を進めればいいだけだ。

 アラスカの森における調和は自然な形で徐々に達成されていったと思うが、それとともに、自分の中にそれまでなかった感情が脈打つようになったことを自覚した。「自由と喜び」がそれだ。同じ森や河を、銃器を肩にさげずそれまでより数倍自由で数十倍嬉しい気持ちで歩くことができるようになった。自然の享受というのはきっとこういうことなのだろうと思った。
 恐らく、今でも私は最もヒグマを怖れている人間だろう。怖れるから知ろうとするし、怖れるから謙虚にも自由にもなる。怖れるべきことを怖れ、敬うべきを敬い、謙虚な気持で森を歩くのは掛け値なしに楽しい。そのアラスカ以来、結局、40年近くもヒグマの生息地のど真ん中で暮らし、ヒトとクマの間で立ち回ってしまったじゃないか・・・


 さて。昔話が長くなったが、「自然の享受」というのは搾取とは別物で、人から教わることではなく、自然が教えてくれることだ。しかし、そこに到るまでに、自己責任で自然に関わっていかなければならない。そして、自己責任をきっちり発揮するためには、いろいろややこしい知識や技術も必要になってくる。
 この項には、豊かな北海道の自然を自由な気持で楽しむためのノウハウとして、ヒグマの知識・技術やエッセンスが書かれているが、できるだけマニュアルにならず理解を促せるよう努力をした。そして、現場のヒグマ専門家をめざす若者にも十分対応できる現場最前線の実践的なエッセンスも随所に織り込んだ。



Stage1:北海道の強獣ヒグマ―――トラブル回避のカギは?

 以前、最もよく受ける質問は「もしクマに遇ったらどうすればいいか?」という類のものだった。私は一応答えるのだけれど、内心、「いやあ・・・そういう質問している意識が一番マズイんだよなあ」と思っていた。ヒグマというのは、ただ裏山に暮らしているだけならデカいタヌキと大差ないし、遠くで見かけたってそれほど危険な生き物じゃないが、悪いシチュエーションで遇ってしまうと、確実に安全を確保するマニュアルというのが存在しない。知能が高く感受性も豊かなヒグマという動物は、個体差が大きく気分によって行動も大きく変わってくる。「もしクマに遇ったら」という質問は、「もし高速道路でスピンしたら」という質問に似ているわけだ。

 例えば、「走って逃げてはいけない」とマニュアル的にわかっていても、いざクマを目の当たりにしたとたんに忘れて、咄嗟に走って逃げてしまう人が多いこと多いこと。その人は「走って逃げたら運良く逃げ切れた!」と声高に流布するので、そう思い込んでしまう人も増える。クマというのは人間が走って逃げ切れるような相手ではないし、流布している本人がパニックに陥って逃げているので、追って来ているクマを確認する余裕があろうはずもない。つまり、そういうケースのほとんどが、遭遇と同時にクマとヒトがともに走って逃げたというのが真相で、走って逃げて大丈夫なクマは歩いて逃げようが、そこに立ち尽くそうがまず大丈夫なケースなのだ。

 理解を欠いたマニュアルの暗記は、役に立たないことも多く、ときに錯誤をまねいてマイナスに働くこともある。ベアカントリーに踏み入る場合、マニュアルはマニュアルでいいが、何よりも「ヒグマを正しく知る・理解する」というところに意識を持っていって欲しい。「科学的に」というと堅くて敷居が高い感じになるが、要するに「道理に沿って体系的に」という意味だ。ここを欠くと、錯誤と矛盾のオンパレードになって、混沌としたまま頭の中の山のモンスターや害獣ヒグマは呆れるほど居座って進歩しない。

 ヒグマの場合、高知能で学習能力が高いという性質が絡んで「知る」という階層が三つくらいある。
 第一に、ヒグマという種として知るということ。第二に、北海道という地域のヒグマの特性を知るということ。第三に、遭遇したヒグマがどんな奴なのかという意味での知る。「ヒグマとはこういう生きものだ」「知床のクマはこういうふうだ」「このクマはこういうヤツだ」と、理解しなくてはならない。

 この項では、第一~第二あたりの「知る」について書いていきたいが、三つだけ注意点がある。 

 まず、知識や理解はベアスプレー同様、現場で逐一生かせる形で保持しておくこと。話を聞くとよくわかっている人が、現場でまったく異なるちぐはぐな動きをすることがよくあるが、知識と現場を乖離させてはマズい。

 第二に、現場で常にいろいろを観察し、考え、持っている知識や理解を進化させて欲しいということ。行動原理としては、「観察→分析→判断→行動→結果」という経路のループを踏んでいくだけなのだが、慣れないとその整理が難しいかも知れない。
 

 三つめは、科学的事実に依存しすぎないということ。ヒグマのあれこれは時間をかけて熟考すべきことも多いが、ベアカントリーの現場では、何かが感知された時点から対応までを悠長にやっている暇がない場合も多く、科学的に証明された事実だけから対応しようというのが、どだい無理なのだ。ベアカントリーのエキスパートは感知能力が優れ、分析・判断が極めて速く正確で、ほとんど淀みなく自宅のドアを開けるようなさりげなさでこなす。そこには一般のマニュアルにない直感的なことも含まれる。これは一般には難しいことなので、現場に出たら何かのたびにシミュレーションをおこなってみるのがとても効果的だ。
 
 
さて。現代のヒグマに関して、最も問題となりそうな要素をピックアップしていこう。


1.ヒグマは「食べもの」で動く―――ヒグマは食いしん坊

 
 「ヒグマのベーシック」で述べように、冬眠戦略を持つヒグマは半年近い絶食期間のために夏期に「食い溜め」を効果的におこなう必要があり、また、着床遅延がらみで、十分に食い溜めをおこなえなかった母グマは12月の段階で仔熊を流産してしまうとも解釈もできる可能性がある。また、成長期の若グマの成長率は高く食欲は旺盛だし、逆に成長しきった大型オス成獣は体重が重いうえに移動範囲も広いためその活動のための必要エネルギー量が大きく、とにかく活動している間は沢山食べなくてはならない。

 実際、どのヒグマを考えてもそれぞれの理由で大量の食物を必要としているとしか結論が出て来ないが、さらにサーモンが遡上を下流部で止められ山間部から欠落し、近年の過剰な山林伐採も加わるので、なりふり構わず食べなければならない切羽詰まった状況もうかがえる。特に子を持った母グマにとっては、単に自らが生きること以上の意味があることかも知れない。
 ヒグマの行動の多くが「食」によって左右され、クマとヒトとの悶着・軋轢のほとんどはこの「食物」が原因で起きる。したがって、我々はまず「クマは食いしん坊で仕方ない」と、この動物を認めてやり、そのもとで「ヒト側の戦略」を考えてゆく必要がある。
 
 ヒグマの食物と年周期に関しては、本気で説明しようと思うと本が一冊書けるくらい膨大なので、概略図として「ヒグマのベーシック」で用いたヒグマの年周期の図を再度載せておく。
     

 この図中の「ヒグマの食物と活動」と「ヒトの活動」をよく見比べてもらうと、だいたいどの時期にどんな場所でヒトとヒグマが遭遇しやすいかということは自ずと見えてくる。これは、北大雪山塊の標高250~700m前後の数年間の調査から描いた図だが、渡島半島・知床など特殊な植生・地形・気象を持ったエリアを除き、概ね北海道各地に適用できるように思う。ただし、サーモンの遡上状況、シカ死骸の放置状況に関しては地域差がかなりある。

1.山菜採りシーズン(5月前後)
 まず第一の遭遇パタンは、4月~5月連休あたりの山菜採りシーズンにある。この時期はまだ薮や草が鬱蒼としておらず見通しが比較的いい場所が多い。それでついついヒトは油断して自分本位に気ままに動く。が、こういう時期や場所はヒグマが隠れる場所も限られ、逆に、ヒトの接近で見通しの悪い「狭い場所」にヒグマが潜むことも多くなる。もちろん、ヒトを襲おうとして潜んでいるのではないが、そこに山菜採りに夢中になったヒトが不用意に近づけば、ヒグマは身を隠して逃げるルートを失いあっと言う間に切迫するだろう。

 この時期の注意の仕方は、まず原則「ヒトの存在のアピール」だが、クルマを停めた場所でしばらく大声で話したり騒がしくして「人間が来ましたよ」と周囲のクマに広く知らせてやるのがいい。クルマを降りて歩き始めたら常にクマの痕跡のあるなし・新旧ををよく見ておくことだが、広範囲を見渡し薮や岩陰や風倒木など周辺のブラインドとなっている場所を遠目で確認し、クマが隠れているかも知れないと目星をつける。目星をつけた場所に問答無用で近づくことを避け、想定したそこに隠れているクマに自分の存在をアピールしながら、できるだけそのクマが安全に逃げられる選択肢を残すように動いてやる。「どう近づいてもクマの逃げ道がないなあ」と思えば近づかない選択肢もある。

 原則通り複数で行動するのがいいが、その場合、クルマを停めた場所から我先にといっせいに山に散るのではなく、クマ対応のできる熟練者がブラインドをひとつひとつ潰す形でクマがいないことを確認しながら先に進み、その後を初心者が続きながらお目当ての山菜・新芽を採るという活動スタイルになる。もちろん、湯気が出ている新しい糞とかが見つかった場合は、速やかに引き返し別の山菜ポイントへ向かうのが賢明だ。ベアスプレーくらいは各自一本持ったほうがいいと思う。

2.フキ採り(6~7月)
 6~7月のほとんどのヒグマの主食は間違いなくフキだろう。個体によってはフキばかりをがむしゃらに食べる。私自身、北海道でヒグマとの「想定外の危険な遭遇」というのはほとんどないのだが、用心を怠って一歩間違えばそうなっただろうという事例は、フキ群生地とデントコーン畑近くで起きている。
 ご存じの通り北海道のフキはヒグマの身体を隠すのに十分な高さを持っていて、フキ群生地に隠れたヒグマはなかなか感知できない。フキの群生は少し陽当たりの良い渓流沿いや林道沿いに帯状にできることも多いが、そのポイントに慣れた人ほど無造作にガサガサと奥へ移動する傾向も強いため、やはり潜み隠れたヒグマにこちらから接近してしまうことが多いだろう。ただ、ヒトがどんどん近づいた場合、この環境のクマは、フキのシェードも使って一目散に逃げる傾向が強いように思う。

 林道沿いや林道に沿った渓流のフキ群生地では、そこそこ林道をクルマが行き交うため、その周辺のヒグマは「フキの中に隠れていれば大丈夫、クルマはすぐ走り去る」と学習していて、クルマの音が遠くから近づいたとき、食べ途中のフキ群生の中に伏せ隠れてじっとクルマが行ってしまうのを待っていることも多い。ところが、ヒグマが好むフキとヒトが好むフキが同じなので、ヒグマが隠れたフキ群生の前でクルマがにわかに停まる率も高く、そのヒグマとしては焦るわけだ。フキ群生の前でクルマを停めたとき、そういう状況が起きているかも知れないと思って用心深く少し時間をかけて対応して欲しい。
 フキはとにかく葉が大きくこれが視界不良をまねいているので、姿勢を低くし、葉の下からフキ群生をのぞき込むとヒグマの存在が感知できることもある。

3.デントコーン畑周り(8~9月)
 8月上旬あたりからヒグマたちはデントコーンの実のつき具合・甘さなどの様子見に来る。気の早い個体は7月後半からデントコーン畑周辺に寄ってくる。多くの場合、お盆過ぎから本食いに入り、最も多くのクマがデントコーン畑に通うのは9月上旬からデントコーンが刈り取られる9月末あたりまでだろう。

 多くのヒグマはピーク時には毎日のようにデントコーン畑に入って食べるため、その直近は一年の中でも最もヒグマに遭遇しやすい場所となる。デントコーン畑の特殊性は、作物の背丈が高く、飼料用として高密度に植えられるために視界がほとんど利かないところだろう。その周辺の林や薮もほとんど整備されず鬱蒼としていることが多い。春先の山菜採りのときのように「目星をつける」といっても、辺り一面がクマの隠れているかも知れない場所になるので、デントコーン畑周辺でヒグマに出合わず行動するというのはほとんど不可能に近い。
 実際に、デントコーン周りのパトロールでは、毎年何度かデントコーン畑の中や周辺の薮から飛び出るヒグマに遭遇するし、その一部は逆ギレ的にbluff chargeをかけてきたりもする。とにもかくにもクマ用の電気柵を設置し、きっちりメンテナンスしていないデントコーン畑は半ば自動的にヒグマの好適なエサ場と化していることが多く、条件が揃えば一枚の農地に相当数のヒグマが出入りしている。

 本食いに入ってデントコーンに依存したヒグマの暮らしはだいたい三つに大別でき、デントコーン畑の中に居座り昼夜かまわずコーンの実を食べるタイプ、近隣の薮に退避して日中を過ごし夜になると農地に侵入するタイプ、そして、警戒心の強い大型個体などは1㎞内外離れた山にいちいち戻って通学するような感じで定期的にデントコーン畑に通う。
 ちなみに2017年のあるデントコーン畑に隣接する林に仕掛けた一台のトレイルカメラには、8月下旬からの10日足らずで十数頭のヒグマ(仔熊含む)が動画に捉えられた。十数回ではなく十数頭だ。こういうケースでは、ある一頭のオス成獣がデントコーン畑に入っている時間帯には、親子連れなどオスに関わりたくないヒグマは隣接する林で「順番待ち」をするようにもなり、結果的に、昼夜を問わず周辺の林や藪はヒグマの存在率が高くなる。結果、順番待ちを強いられる親子連れのヒグマが、ピーカンの真っ昼間にデントコーンの中に入っているケースも起きやすくなる。
 
 ただ、範囲を少し広げデントコーン畑の1㎞以内とした場合、用心していてもヒグマに遇いやすいのはじつは「様子見の時期」で、固定化された移動ルートではなくブラブラとあちこちのデントコーン畑を物色しながらそれぞれのヒグマが歩き回るので、予想していない場所で半ば偶然ヒグマに出合うケースが多くなる。それに対して、「本食いの時期」には、だいたいどの個体も比較的安定した移動ルートや時間帯で行動するため、意図的に遇うことも遇わないことも、その気になればやりやすい。

 また、クマ用の電気柵によって防除がきちんとされていないデントコーン畑周辺にはシカの死骸が仕込まれたクマ捕獲用の「箱罠(はこわな)」が置かれることも多く、ますますその周辺の危険度が増す。(後述:「6.シカ死骸」参照)
 中間山間地域では特に、デントコーン畑は河川に沿った河岸段丘にできるため、釣りをする場合は特別要注意だ。

4.サーモンの遡上河川周辺(8~12月)
 8月以降、この北海道でも地域によってはカラフトマス・シロザケのサーモン類が海から遡上する河川があるが、その場合、周辺の山からヒグマが河川周りに降りている傾向も比較的強い。この傾向は、サーモンの遡上が終わった冬の前まで続き、産卵を終えて浅瀬に打ち上げられたサーモンの死骸もヒグマは食べる。またさらに、冬眠明けのヒグマが曖昧な期待を持って通い慣れたサーモンの河にブラブラと歩くことも比較的多い。

 例えば、オホーツク海側のカラフトマス遡上時期にその川に沿って周辺を歩き回ると、河からかなり離れた山の斜面などに食べ残しのカラフトマスの死骸が散乱していることがある。河でサーモンを獲ってその場で食べるほか、ヒグマの事情か気分かでそれを山側へ持ち去ってそこで食べることも多いわけだが、一帯にサーモンの死骸が散乱することでさらに周辺のヒグマを引き寄せる効果があるとも推察できる。実際はキツネやエゾクロテンなどのほ乳類ほか、大型の猛禽類やカケス・コガラなどもそれを食べに集まるため、非常に賑やかな林になるため、鳥類の動きに敏感になっていれば、ヒグマの動向がある程度想像できる場合も多い。

 食物としてサーモン類を利用しているのが確認された河川としては、知床半島のルシャ・テッパンベツ・幌別川、忠類川、猿骨川、浜益川、厚田川、天塩川本支流あたりだが、私が知らない例は道内でいくらでもあるだろう。
 一方、春から遡上を開始するサーモン・サクラマスを常習的に食物として利用しているヒグマの例を私はまだ確認していないが、これも晩夏・晩秋あたりに少ないながらあるように思われる。

 クマがいるからサーモンの河には近づくなと言うつもりは私にはさらさらない。が、空間は共有しても、時間的な棲み分けをめざすほうがいいとは思う。ヒトに対して警戒心が特に乏しい若グマを忌避教育(追い払い等)で事前に消しておき、ヒトは陽が高い時間帯にそこを訪れるようにする。夕方から夜間・早朝まではクマのための時間ということで。


左写真)川底が見えないほどのピンクサーモン(カラフトマス)の遡上(北海道・オホーツク海側河川)
右写真)レッドサーモン。こうしてヒグマのエサ場で釣りをするのがアラスカでは普通だ(アラスカ州・キーナイ川支流)


5。木の実の多い斜面(10月前後)
 10月がヒグマが木の実を食べるピークだが、この時期のヒグマは「ハシゴする」状態で各種木の実を食べる。その木の実の種類は本当に多彩で、定番のヤマブドウ・コクワ(サルナシ)・マタタビ・ドングリ類に加え、私がちょっと見ただけではわからない木の実・草の実も食べる。
 普通、ヒグマを探すときは地面にいるクマを探すものだが、この時期に限って、視線を樹上に上げて歩くとヒグマが見つかることが意外と多い。マタタビ・サルナシ・ヤマブドウが多い斜面では、「ある樹に登って食べあさり、隣の樹に移動してまた登り」を繰り返すので、80~90%ほどの時間を樹上で過ごしているように思う。

 この時期の特徴として、仔熊と母グマが比較的離れた位置に居ることが多く、母グマを単独個体と見誤ったり、知らぬ間に親子の間に割り込んでしまわぬように注意する必要はある。

 私が若グマと意図的遭遇を起こしベアプロファイリングや追い払いをおこなうため、あえてアピールせず忍び歩くふうなので多少バイアスがかかっているとは思うが、この時期には、その態度に違和感を持つヒグマに遭遇することがときどきある。簡単に言ってしまえば「逃げられるのに逃げない」ヒグマで、サイズ的にはオス成獣よりは小さい。私にはその個体一頭しか見えていないので、お目当ての単独行動の若グマと錯誤しがちだが、じつは、このヒグマが仔熊を連れた母グマであることが多く、見合った時点で、すでに私が親子の間に割り込んでしまっている可能性が高い。
 それに気付く糸口は、目の前の小さなクマの視線の動きだ。躊躇し困っているようなそのクマの視線を注意深く追っていると、仔熊の存在と位置はだいたい把握できるが、そのほとんどが私の背後とかの樹上だ。気まずい思いになるが、この場合はできるだけ仔熊を無視して、仔熊と母グマを結ぶラインからどくような動きを考える。正攻法で後ずさりすると仔熊のほうに近づいている形になるため、余計に母グマを切迫させる可能性のほうが高い。このケースに対しては、「目をにらむ」「怒鳴りつける」などの威嚇的態度は逆効果だ。あくまで、刺激せず、腕はさげたまま、ゆっくりと。もし声を出すとしても、穏やかに「自分も不注意だった」と謝る気持ちを込めて。

ちょっと休憩:大型オスの「秋の縦走」―――素晴らしきオスと素晴らしき糞

 夏から秋にかけての降農地の時期はヒグマはほとんど農地周辺から移動せず、農地に「付く」と表現できる状態だが、それが終わって秋の木の実の時期に入ると、「食べ歩き」の様相を強め、移動は速く、ときにトリッキーなものになる。前掌幅20㎝のある大型オスのケースでは、スーパー林道を縫うように各種木の実を食べ歩き、二日間ほどで峠を越えて道のり40㎞ほどを移動していた。このオス成獣の大規模な移動を「秋の縦走」と呼んでいる。若干負け惜しみになるが、足跡その他が特徴的で、追いやすいルートを一部追うことはできても、こういうオス成獣の秋の縦走全体の移動を知ることはGPS発信器でもつけて観察しなければ困難と思う。

 左写真は、武利の集落付近からある大型オス成獣の秋の縦走を追って朝日峠を留辺蘂側に越えて少し下ったあたりで見つけた糞で、大きさといい多彩さといい見事の一言。十数種類の木の実が綺麗に分かれて含まれており、定説ともなっている「ヒグマの一度にする糞は2㎏まで」という数値を軽く越えていた。この糞こそが「秋の縦走」のヒグマの暮らしを物語るもので、もしかしたらヒグマの尊厳を雄弁に語るものかも知れない。
 デントコーンの単調な糞をいくら眺めてもこちらの好奇心は萎える一方でいささか気が滅入るが、秋の縦走をクマについて歩く時の心地は本当に気持ちのいいものだ。

 これらの木の実は留辺蘂側のものではなく武利川流域のものだが、こうして何千ものタネがクマに運ばれて一気に峠を越えて分布域を広げたりもするのも素直に理解できた。

 この糞ポイントから、追っていたオスは武利岳方面に急斜を登ったようだが、そこで私はあっさりついて行けなくなった。その後、このオスがどこをどう歩いたかはわからないが、再び丸瀬布側の湯ノ沢の谷で確認できたのは約2ヵ月経った冬の入口だった。


6.シカの死骸(通年)
 近年の北海道では、シカが増えている地域と減っている地域があるが、原則的に、シカの生息数に比例するようにシカの死骸というのは生じうる。詳細を見ていくとシカの死骸が転がりやすい場所・条件というのはあるが、一般には、どこにでもシカ死骸はあり得ると考えてリスクマネジメントを進めよう。
 また、シカの生息密度が上がることによって、ヒグマがシカを食べる機会、積極的に捕食する率も高くなり、シカの影響が大きくなる。

 ヒグマがシカ死骸を食べるケースについて整理してみよう。

a)自然死したシカ
 自然死によるシカ死骸が山に多く転がるのは積雪量が多い冬の終わりから春先にかけてだ。単純な積雪量より、その冬の積雪パタンが大きく影響しているようだが、近年流行の爆弾低気圧が初冬に来襲し一気に積雪を増やした年などは、シカが最もダメージを受けやすく、春先の調査で沢沿いの林道に沿うだけでも10程度のシカ死骸が確認できる。科学的な推計をトライしたことはないが、多い年には、この北大雪山塊だけで何千ものシカが衰弱死・餓死しているのではないか。
 この時期のシカ死骸の感知は、大型猛禽類(オジロワシやオオワシなど)のほかカラスやカケスの動きをよく観察することで比較的おこないやすく、雪が残っていればキツネの動きにも注目しておくとさらにいい。

 本来的に動物食を好むヒグマがシカを食べる機会を得る最も自然な成り行きは、この「春先のシカの自然死」だろう。すでに死亡しているシカにせよ、衰弱し雪に溺れて動けなくなっているシカにせよ、ヒグマは拾い食いの延長で労力をさほどかけず、安全に、容易にシカ死骸を食べることができる。

b)初夏の子鹿
 雪が融け各種新芽が地面から吹くような時期にシカの出産が続々おこなわれるようだが、出産からしばらく、まだ子鹿が十分運動能力を持たない時期に、シカ独特の子鹿を守る戦略がある。子鹿を連れているところにヒトやヒグマなどの外敵が接近した場合、母ジカは派手に跳んで逃げ外敵の注意をそらし、おとりとなって子鹿からヒトやヒグマを遠ざける常套戦略を持っている。その時に、白い座布団のような尻の毛も役に立つ。
 そういうシカを6月前後に見た場合、逃げたシカの方向とは別の周囲を探してみると、フキの葉の下などにコッソリうずくまってじっとしている子鹿を発見できるかも知れない。その時の子鹿は、キスができそうなくらいにヒトが顔を近づけていっても動かない。子鹿は子鹿でそういう本能を与えられているのだろう。
 シカの親子に近づいたのがヒグマだった場合、嗅覚で子鹿を感知しその位置を突きとめることは、さほど難しいことではない。子鹿はあっさりヒグマに捕獲され食べられてしまう。実際にその現場を見たことはないが、ヒグマの糞に子鹿のひづめが封入されていたり、噛み砕かれた子鹿の脚が発見されることはときどきある。

c)駆除・狩猟による残滓・回収されない個体
 人為的な理由でシカ死骸がどこかに放置されるケースは、まず狩猟や駆除でシカの残滓が放置されたり、手負いジカが回収されずに死んだ場合などがある。次いで、交通事故で死んだシカが道路近辺に放置される場合がある。

 シカ死骸に一度口をつけたヒグマは食べきれない死骸に土や草をかけて隠し(土まんじゅう・草まんじゅう)通常近隣に潜むことが多く、そこへヒトが近づけば通常では見られない攻撃的な態度をとってシカ死骸を死守しようとする場合も多い。シカ死骸の直近ではその傾向が非常に強いが、死骸から200m離れていても複数のクマがその周辺に寄って興奮状態のこともあり、放置されるシカ死骸のその周辺ヒグマに対する影響範囲がかなり広範囲であることもわかってきている。
 そういうエリアでヒグマがヒトと遭遇した場合、ふだんとは明らかに異なる反応を示すこともあり、注意が必要だ。

 特に駆除がおこなわれる3~10月は薮・草本も鬱蒼とし、転がっているシカ死骸を遠目で視認することは困難なことが多いだろう。春先同様、鳥類の動きでシカ死骸の存在・位置が推測できる場合も多く、、腐敗がある程度進んだシカ死骸ならばニオイと風で同じ推測ができる。
(右写真)このように、何の変哲もない場所にカラスの群れが集結し、居座ったまま動こうとしない場合、その下方にシカ死骸が横たわり、ヒグマが現に食べている可能性も高い。

 昨今ではシカ・シカ猟・シカ死骸の増加の影響で、冬眠を放棄して真冬に歩き回る個体も出始めている。三毛別事件の曖昧情報の影響だろうが、冬眠しないで歩き回るヒグマを巷では「穴持たず」と呼び風説では特別危険なヒグマとされているが、それは事実とは異なる。北大雪でもそのてのヒグマはときどき確認できるが、そのヒグマが人里・集落に降りて何かやらかしたという事例は一件もない。このタイプの個体が特別危険ということはないが、従来的な知識で「ヒグマは冬に活動していない」と思い込んで対策を怠れば、むしろ不測の対応に苦慮するだろう。もちろん、この時期のベアスプレーは、腰やザックにぶら下げて持つのではなく、スプレー缶の温度が低下しないように懐に入れて持つのが正解だ。

d)ヒグマ捕獲用の「箱罠」に仕込まれるシカ死骸
 現在の北海道では、ヒグマに対して強い誘引力を持ち執着もしがちなシカ死骸が、ヒグマ捕獲用の箱罠の誘因餌に使われる場合も多い。場合によっては、箱罠周辺にシカの一部がばらまかれることもある。当然、複数のヒグマがその場所に誘引され周囲に存在している可能性がある。「立ち入り禁止」の周知看板が十分な形で立てられていればいいが、実際にはそうなっておらず、釣り人や観光客・住民が知らずにその箱罠に近づいて、かなり危険な状況に陥る例も散見される。
 このシカ死骸を仕込んだ箱罠は、デントコーン周りほか、どこともなく仕掛けられているのが現状のため、釣りや山菜採りの前に市町村の鳥獣行政担当に立ち寄り、箱罠の設置場所を尋ねてから山や川に入るくらいしか、安全確保の方法はないかも知れない。

e)ヒグマによる積極的なシカ捕食
 上述a)~d)の経路で、近年のヒグマは総じてシカを食べる機会を多く得ていて、シカを食物として意識する傾向が30年前より強くなっていると考えられる。実際に、春先以外の5~12月に、ヒグマが健常なシカを積極的に捕獲する例が、10㎞四方の私の対策エリアでも例年一定レベルで確認されるようになっており(年間に5~6例)、ヒグマによるシカ捕食事例の実数は、かなり多いのではないかと推察される。

シカ死骸まとめ)
 しつこいようだが、シカを食べているヒグマ、土饅頭にして保存し近隣で見張っているようなヒグマはともすると攻撃的で、ヒトが無造作に接近すると非常に危険だ。そこを十分認識し、シカ死骸に敏感に釣りや山菜採りをおこなう必要が今後いっそうあるだろう。また、「ジョギング・サイクリング」「トレイルランニング」「犬の散歩」などのアクティビティは、シカ死骸についているヒグマとはとても相性が悪く、シカ死骸をきっちり感知して取り除くか、シカ死骸があることを前提にそれらの危険な行動を制御するしかないが、シカが増えた増えたと言いながら無策であり続ける札幌市・旭川市などの対応はちょっといただけない。改善を期待する。


ちょっと寄り道:人身事故の当事者のヒトとクマ
 もし仮にヒトを襲いたいクマがどこかに存在したとする。その場合、そのクマが少し人里や市街地方面に降りればヒトを襲うチャンスはいくらでもある。だが実際、そうしてヒトを攻撃するヒグマは皆無だろう。では、山でヒトに遇いヒトを死傷させたクマはどんなクマだろう?

 じつは、特に臆病だとかヒトを多少舐めているとか攻撃側に傾きやすいとかの性格はそれなりにあるにせよ、ごくごく普通のクマであることがほとんどだ。その時の状況や不運でクマによる死亡事故に至ってしまった場合、そのクマが次の人間を狙って周辺を歩き回っているのではないかと、そんなふうに思うのも人情として仕方ないのだが、実際は、人身事故を起こしたクマはごくごく普通のクマの暮らしに戻って山で草を食べたり何を食べたりして暮らしている。もちろん、その山塊に侵入したヒトを次々に襲って云々という事にはまずならない。

 恐らく、事故に遇った人も特別ダメな人とか悪い性質の人とかではない。ごく普通の人とごく普通のクマが山でバッタリ出遇い、ちょっとした成り行できヒト側ので死亡事故にまで発展してしまう、いわばお互いにとって不幸な事故。ヒト側からもできるだけ防ぐよう努力したい。
 一方、事故を起こしたクマだが、それが異常性を帯びている個体なら確実かつ速やかな捕獲をめざす一手だろうが、そうでない場合、人情に任せて復讐や敵討ちや見せしめで殺してもほとんど意味がないばかりか、先が暗い。ましてや、敵討ちと称して事故に関係のないクマを次々に殺すようなことは厳に慎むべきと私は思う。



2.ヒグマは知能が高い

これは「ヒグマのベーシック」で述べた通りだが、インテリジェンスフローだけ再記しておこう。

 このフロー図の中に、ベアカントリーへ踏み入る際の注意点が幾つか浮き彫りにされている。「経験不足で好奇心ばかり旺盛な若グマの問題」「心理戦略を用いる」「個体差のばらつきが激しく単純なマニュアルがない」など。


3.無知で無邪気で好奇心旺盛な若グマ

 インテリジェンスフローから見える重要な側面は、クマが「学習し変化する生きもの」という点だ。その変化は通常、ヒトにとってもありがたい変化で「成長」と表現できるが、ヒトの油断や無知・考えなしで悪い学習をさせてしまった場合、そのヒグマの変化も悪いほうへのものになる。アイヌの時代からキムンカムイ・ウェンカムイ(いいクマ・悪いクマ)という概念があるが、学習の結果そういう性質の差異が現れるようになることがほとんどで、その多くにヒトが何らかの形で関与している。

 ヒグマは冬眠穴で生まれ、多くは生後1年半~2年半前後で親離れを果たすが、親に連れられたクマを「仔熊」、親離れ後2~3年程度のクマを「若グマ」と私は呼んでいる。生物学で言うと亜成獣、どちらも人間の「若者」同様、きっかりした範囲の定義はない。
 若グマは、まだ経験・学習が乏しく警戒心が希薄だ。もともと持つ「好奇心旺盛」に「無知」「無邪気」が加わることで、ともすると非常に無防備で不注意な行動をとってヒトと問題を起こす場合がある。

 最もわかりやすく、またヒトからすると問題となる若グマの行動は、ヒトへの「好奇心による接近・じゃれつき」だろう。通常、クマによって怪我をした人はいろいろな先入観から自動的に「襲われた」と認識し、メディア等でもそのように画一的に表現されるが、じつは、クマに「襲われた」事例をよく見てみると、ヒグマの本攻撃で死傷した事例はもちろんあるものの、「じゃれつかれた」から始まっている例が浮上してくる。この若グマ特有の行動は、仔犬の「甘噛み」「飛び付き」と似通っているが、これを漫然と許し長引かせてしまうとじゃれつきに熱中し激しくなったり、何かの拍子に本当の攻撃になってヒト側の大怪我にもつながる。もちろん、走って逃げるのはこの若グマに対してもやめた方がいいと思う。

 特に「仔熊」「若グマ」にとっては、すべての「あそび」は、そこで生き抜くための戦略学習に結びつく大切な作業だ。好奇心旺盛に動き回る悪ガキタイプの仔熊・若グマはむしろ学習能力が高くコントロールしやすい傾向にあるが、現在の北海道では、その若グマの好奇心・興味による行動へのを受容力がないため、ちょっと冒険し何かを試した段階で即捕獲されて排除される率も高い。まあ、幼稚園児の悪ガキが興味本位に何かイタズラをしたら即死刑みたいな話だ。
 逆に、「お姫様グマ」と呼んでいる、おっとりしていて感情の起伏も小さく、要するに何を考えているのか読みづらい個体は学習能力が低い傾向があって、同じ働きかけをおこなってもなかなか意識改善・行動改善をおこなってくれないことが多い場合がある。自分の経験からすると、このタイプはメスに多いのでこの呼び名になった。
 どちらの場合も、それぞれの自然環境・人間環境でいろいろを経験し、学び、適応していくのが普通だが、ヒト社会のように統制された法や規範・常識・メディアなどをヒグマ社会は持たないため、最終的に個性・個体差のばらつきはヒト以上に大きくなる傾向も部分的にはある。

 また、「ヒグマの高知能」は「ヒグマの高感受性」につながる。経験によって学習した様々な戦略やクセのほかに、そのときどきの喜怒哀楽・不安や切迫観などの「気分」が加わってヒグマの行動は変幻自在に変化するため、バッタリ遭遇対応などの単純で確実なマニュアルが作れないのだ。

 このことからも、ベアカントリーでの対ヒグマリスクマネジメントは、「遇ったらどうするか?」ではなく「どうやったら(悪いシチュエーションで)遇わないようにできるか?」というところに、まず焦点を持ってこなくてはならない。悪いシチュエーションとは、概ね距離に関してだろう。30m以内だとだいたい状況は良くない。50mでも黄信号だろう。距離以外では、例えば、交尾期(6~7月)のオスとか、親子連れのクマ、手負いグマ、シカ死骸に付いたクマなど、これらの特別な状況だと、仮に距離が50mでも切迫した進み方をする可能性が十分ある。


増えつつある無警戒型のヒグマ
 ここまでに書いた従来的なセオリーとは別に、近年ではヒトへの警戒心が乏しく、特に目的もなくフラフラと人里・市街地にまで降りてきたり、人の前で暢気に振る舞ったりする無警戒型のヒグマが増えつつあり、そのタイプのヒグマについても特別言及せねばならないと思う。知床で「新世代ベアーズ」と呼ばれたこの無警戒型を、ある研究者は「人慣れグマ」と言い、私は「ヒト舐めグマ」などとも表現しているが、微妙な差異はあるものの、まあどれも同じようなタイプのヒグマだ。
 この無警戒タイプのヒグマが増えているため、必ずしも従来的なヒグマ対応のセオリーでは足りなくなってきている。例えば、「ヒトの存在をアピール」というヒト側の第一の戦略は、無警戒型のヒグマに対してはほとんど効果がない場合もある。またあるいは、普通に考えれば銃声によってヒグマは遠ざかると思うだろうが、近年の現実はむしろ逆で、シカを撃ったハンターがその残滓を放置していく風習が漫然と続いた地域では、「銃声=シカ肉にありつける」と学習したヒグマは銃声の方向に移動する傾向が強まっている。高性能な銃器を持ったハンターでさえ、餌付け行為も絡んでヒグマに舐められてしまっているということだ。

 無警戒型のヒグマができあがるメカニズムに関しては丸瀬布の考察からも徐々にわかってきたが、インテリジェンスフローにしたがって、特に成長期のヒグマが「何をどう学んだらそうなるのか?」逆に「何を学ばなければそうなるのか?」について、深く掘り下げて考える必要がある。「ハンターの高齢化・減少・空洞化」などよく言われるヒト側の変化もあるだろうが、根底には現代の特に都市生活者特性や現代人の自己家畜化など、人間側の根深い原因が横たわっているため、残念ながら、なかなか自然な解消は困難だろうし、ヒグマの教育といっても、それは専門家にとってもそう容易いことではない。



痕跡あれこれ

糞と食痕(ふんとしょっこん)
 基本的な糞と食痕については「ヒグマのベーシック/ヒグマの食物と年周期」に書いたのでそこを参照。

 補足的に、アリを食べた跡について載せておく。
 アスファルト道路脇にはびこってきた草が不自然にめくれ上がっていたり、風倒木が移動していたり、切り株がひっくり返されたりしていた場合は、だいたいヒグマがアリの巣を暴いて食べたあとだ。よく見てみるとアスファルト上や移動された木にクマの爪痕が残されていることも多い。林内ではあちらこちらにアリ食の跡が見られるが、唯一アスファルト脇のアリについては、フキ同様人が使う道沿いに帯状にアリの巣ができるため、クルマを運転していてクマを目撃する事例に結びつきやすい。ただアリを食べたくてアスファルト道路まで出てきている若グマが多いが、クルマから降りて変に近づくとbluff chargeもあるため、その若グマが多少暢気にしていても窓をきっちり閉めゆっくり行き過ぎるか、距離があるうちにクルマを停めてクルマの中から静観するしかないだろう。
  

 


ちょっと休憩:らしくないヒグマの痕跡

 ここでは、自分が歩いているその周辺にヒグマが現に活動しているかいないかを判断するための、ちょっと変則的な(応用的な)フキの例を紹介してみようと思う。どんな感覚の使い方でベアカントリーを歩けばいいかの一例として読んでもらえれば幸いである。

 クルマを走らせていたらこんな風景が遠くに見えたとしよう。恐らく、多くの人は見逃して通り過ぎてしまうかも知れないが、私からするとかなり違和感を誘う風景だ。
 問題はもちろん道路上に落ちている新しめのフキなのだが、ヒグマの糞や足跡などは見られないものの、「中途半端に茎をつけたフキがどうしてここにこんな形で落ちている?」と考えると、ヒグマが関与した以外にはちょっと考えにくい。

 クルマを停め、降りる前におこなった直感的な推察はこうだ。つまり、そのクマは右手の斜面上方から降りて道端のフキを噛みちぎり、それを咥えたままこの道を斜めに横断し、ガードロープを越えて左の斜面に降りていった。そのクマが、かなり若いオスだろうというところまで推測をする。クルマを降りる前に頭に浮かんだ光景はそんなところだ。
 「若い」と「オス」は推し過ぎだと指摘されるかも知れないが、それとて単なる憶測やヤマカンというわけではない。

 さて、これで違和感は私自身の中では半ば解決したが、それはあくまで推理・推察で、その確認をしなければならない。まずはフキが落ちている位置まで歩き、そこに立ってそこから辺り一面を眺める。すると、あるヒグマの通ったらしき跡がさらに明瞭に見えてくる。それが二枚目の写真だ。

 明瞭な足跡はやはり見当たらないが、そのクマが斜めに道を渡り、ガードロープを越えて向こうの法面を降りていっているラインがはっきり見える。法面の足跡列から、性別は判らないが小さなクマであることはだいたいわかる。

 この場合、さらに確認の方法があって、ガードロープをくぐるかまたぐかで越えるときにロープに絡んでむしり取られたヒグマの体毛が残っている可能性が高いので、それをチェックする。
 一応、そのクマが法面直下に隠れていないことを確認し、ガードロープに顔を近づけて毛が付着していないかどうかチェックすれば、この件に関しては一応一段落。
 
三枚目がその付着体毛の写真だが、綺麗に朝露に濡れているため、そのヒグマがここを渡ったのが昨夜の出来事だったことも推察できる。



 ヒグマの痕跡には足跡や糞・・爪痕など誰が見てもわかりやすいものも多いが、その何倍も認識しにくい直接的な痕跡があって、さらにその何倍か、五感のセンサーを敏感に研ぎ澄ませていてはじめて違和感レベルで感知できる微妙な痕跡がある。
 五感で何かを捉え、直感的に推察することは大事だが、そのまま推理・推察で終わらせてはいけない。その推理・推察が正しいかどうかを確認する作業をおこない、どちらにせよ確認した事実を突き合わせておくことが重要だ。
 渓流を釣り歩いているときも、林道を移動しているときも、山菜の斜面を登っているときも、いつでもこのようなスタンスで居ることで、ヒグマのあれこれは自然に見えてくるし、痕跡の感知能力も上がる。結果的に、悪いシチュエーションで望まないヒグマとの遭遇を事前に回避する能力が確実にアップする。こういう文章を読むことももちろん役には立つが、ベアカントリーにおけるリスクマネジメントで最も大事なスタンスは、ここに書いたようなことだと思う。
 

足跡(あしあと)
 左写真は、冬眠明け後しばらく経った頃の4歳前後の若いオスの足跡列。まるで一直線にキツネの足跡列のように並んでいるが、大型のオス成獣ではこの足跡列の幅が80㎝近くになる場合もある。足跡列の配置にはそのクマの年齢や身体状況、さらにはその時の気分・心理状況が反映するためひとことでは説明できないが、古傷などにより特徴的な足の運びをする個体もあるため、前掌幅に次いで足跡列が個体識別の材料にもなる。この足跡の個体は追い払い第一期生の荒太郎と名付けた若グマで、いつからか左脚を若干引きずる特徴を持った。
 一番下の足跡のさらに下にうっすらと窪みができているのがわかるだろうか。これを私は「前足のかかと」と呼んでいるが、ヒグマの中心線に対して外側にある。つまり、最下の足跡は「右前足」ということができる。

 下の白い足跡はライムトラップ(石灰まき)によってアスファルト上に押されたヒグマの足跡のスタンプである。この同じクマが泥面や砂地に足跡を残すと、大きさ・形状が若干変わってくるが、だいたいこの石灰の足跡がクマの足跡の基本形と思ってもらっていいと思う。
 

 一般的にヒグマの足跡を探そうとするとき、掌と5本の指の跡がついたこの形を探そうと思うだろう。それがはっきり識別できるケースも確かにあるが、割合からすると私が認知する足跡の数%程度でしかないと思う。私がベアカントリーを歩くとき、ヒグマの足跡を見つけようとしても意識はだいたい足跡の「形状」にはない。意識を向けるのはむしろ「足跡列」と「地面の違和感(微妙な変化・乱れ)」だ。微妙なだけに写真に写せるケースはほとんどないのだが、タイミングよく写せたラッキーな例を挙げてみる。

 左写真はフキ群生が多い林道沿いの調査をおこなっているときに見つけたクマ糞だが、林道上に少し暗い色で残された足跡列がわかるだろうか。この個体はかなりの大型オスで、ゆっくり歩いて林道を渡りながら、糞を落とした。一歩歩くごとに尻の向きが左右に向くので、こんなジクザグの糞の配置になるが、その周期から歩調・歩幅がわかる。この写真では、糞の周期と足跡の周期がほぼ同一であることもわかるだろう。
 ついでに書いておくと、この糞列の消化度(固さ)を見れば、このクマが手前から向こうの薮に向けて横断したことは比較的明白だ。

 この糞の落とし主に関しては、例の忍び歩きで追ってみたらここから200mほど進んだところでまだフキを食べていて、近距離でやりとりをおこなえたので足跡データ以外にもあれこれ得られる情報はあった。

 さて問題は、この糞がなく、少し時間が経って足跡列の色が周辺の地面と変わらなくなってしまったケースだ。ヒグマの足跡の「形状」をいくら探しても、この足跡は発見できないし、よほど目が肥えていないと見過ごしてしまうのだ。

 林道などの場合は、雨が降るたびに無数の雨粒が地面に落ちて細かい砂礫が少し浮いた形で均一に整列する。その整列した上をクマが歩くと砂礫の配置が微妙に乱れて、足跡列になって現れる。それをよく見て捉えるわけだ。

 では、泥面あるいは泥を含んだ地面ではどうだろう?
 この場合も、ヒグマの足跡の「形状」がはっきりわかる例というのは割合としてはかなり少ない。注目するのは「重量物が一定の面積で地面を踏み押した跡」とでもなるか。上述同様、自然に整った均一地面の乱れの一種だろうが、圧力的に前掌が出やすい。重量物がシカならばひづめが地面に刺さり込むし、キツネならその面積からそれとわかる。







 最後に、「草類を踏んだ跡」として足跡が感知できることも多い。
 写真は非常にわかりやすい跡だが、非積雪期の地面には数㎜以下の草の芽が無数に出ていて、それを踏み倒した跡としてもヒグマの足跡は残る。林道の砂礫と同じような原理・見方だが、この方法は普通に歩いていてもわからないので、ある程度「ここをヒグマが通ったはずだ」と勘が働いたときにヒザをついて地面を舐めるように検分してはじめて見える足跡ではある。勘が働き、なおかつその勘がそれなりに実績を持っていないとなかなかヒザをついてとはならないだろうが、2~3㎜の新芽がヒグマに踏まれた跡を発見すると、私もついつい「YES!」という気になる。ヒグマの痕跡探しを遊びや趣味でやってもかなり面白いと思うのだが・・・

《覚え書き》今度、ヒグマが踏んだ2㎜の新芽を写真に撮っておこう・・・






爪痕・樹印(つめあと・きじるし)

 樹につけられたヒグマの爪痕を「縄張りを主張する跡だ」とか昔から定説めいて言われたりするが、ヒグマに「縄張り」というのがないし、樹木の幹につけられたヒグマの爪痕にはそんなたいそうな意味などないと思う。
 では、どんな経緯でヒグマの爪痕がいろんな樹木に残されるのだろうか。これまでにわかってきたケースは以下のようになる。
1.樹に登り降りする際に、樹皮に爪をかけて登り降りをおこなうため
 ヒグマが樹に登る理由は
   a)樹上の木の実を食べる(特にママ旅・サルナシ・ヤマブドウなどのツル科の植物の実)
  b)遊び(特に低年齢層のクマ)
  c)追われたときの退避(同上)

2.遊び・イタズラ
 これは比較的仔熊や親離れ直後の幼い個体に多く、刹那的・無目的な爪痕であることが、トレイルカメラの英夫図からもわかっている。

3.幹への「背こすり」の際のに不可抗力で傷がつく
 「背こすり」というのは、ヒグマが立ち上がり背中を樹の幹にこすりつけるような行動で、その意味に関しては昔から諸説あるが、丸瀬布における各種観察から、「他個体へのアピール」というのがだいたい最有力候補になっている。ヒグマの背こすりは、気分でどの樹にでもおこなうものではなく、決まった樹に毎年おこなう性質のもので、単に1頭のヒグマがおこなう場合から、数頭のヒグマが同じ季節に次々におこなう樹まで、いろいろある。ただ、背こすりの樹は永続的にヒグマが背をこする樹であるわけでもなく、ある年から何頭ものヒグマが背こすりをおこなうようになる樹もあって、流動性も持っている。

 ヒグマの背こすりとか爪痕というのは「縄張りを示すため」なんていう意見も昔からあるが、それはどうも違う。そもそもヒグマにはいわゆる「縄張・テリトリー」りは存在しないし、何頭ものヒグマが背こすりに現れる樹のたもとに親子グマがやって来て、横になって延々そこでくつろいだり、親子でじゃれ合ったりする光景もトレイルカメラには映ってくる。オス成獣が縄張りを主張する背こすりの樹ならば、わざわざそんな場所で暢気にくつろぐ親子グマ自体が、ちょっと変だ。

 何頭ものヒグマがその樹の元にやって来て、立ち上がって背中をこすりつける背こすりというヒグマの行動。じつは背こすりの樹は「ヒグマたちの伝言掲示板」の役目を果たしている。「僕がここに活動しているからね」「私がここに来たよ」的な、ヒグマたちのコミュニケーションの場になっているわけだ。ただ、その目的は「出ていけ!」という排他的なものではなく、あくまで自分の存在をアピールし注意を促したり、単に知らせたりする目的で使われている。交尾期の時期には、オスとメスでもう少し色っぽい会話もされているのかも知れない。

 私の調査エリア内では15本内外、複数のヒグマが毎年よく背こすりをよくおこなう樹が確認できているが、背こすりの樹にはちょっと面白い事実もあって、例えば私がトレイルカメラをある樹の幹に仕掛けたとする。私の手にはオオカミ特性の強いベアドッグのニオイが常時ついているだろうが、そのカメラの前に現れたヒグマの一部は、どうやらトレイルカメラのニオイに反応して寄ってくる。そして、鼻先が触れるほどトレイルカメラのニオイを嗅いだり、ひっかいたりしたあげく、そのトレイルカメラの樹が数年後にはその周辺に現れるヒグマたちの背こすりの樹と化してしまうのだ。

 逆にうちの犬たちは、背こすりの樹の前で立って首をこすりつけて自分のニオイを幹につけるような動作も執拗におこなう。実際、ヒグマのニオイを自分につけているのか、自分のニオイでヒグマの伝言掲示板に傍若無人に落書きをしているのか、そこはちょっとわからないところもあるのだが、どちらも嗅覚の動物なので、人の気も知れず背こすりと首こすりで何かの会話をしているのだろう。とにもかくにも背こすりの樹はヒグマ間だけではなく、ベアドッグとヒグマの間でもコミュニケーションをおこなう場として機能していることは、どうやら確かだ。

 背こすりの樹には、ある特定のヒグマしかほとんど使わない樹がある。その場合、「伝言掲示板」説は成り立たないが、このタイプの背こすりの樹は、どうやら「道しるべ」的な使い方をしているようだ。例えば、ある林道をまっすぐ歩いてくるヒグマがいる。そのヒグマは、あるポイントで毎回右に曲がらねばならないとする。その場合に、それなりに太く目立つトドマツなどに背こすりをして、右折の目印にしているようなのだ。山菜採りの人などが、自分の山菜ポイントへの入り口付近の樹ににピンクテープを巻いてつけ、目印にしているのと同じことを、ヒグマはニオイでやっていることになる。

 また、クレオソートをはじめ一部のオイル系塗料・防腐剤に対してヒグマが反応し、そこに背をこすりつけたり噛んだりすることが比較的昔から知られていることからも、ひとことで「背こすり」といっても、その動機はかなり幅広く、なかなか多種多様な使い方がされているのかも知れない。


 さて、背こすりの補助というのは単純で、樹の幹に背を向けて立ち背中を左右上下にグリグリこすりつけるのは、かなり不安定な状態になるため、背中越しに幹に爪をかけて両腕で身体を安定させるという意味合いだ。ある程度急な斜面上で樹に背こすりをおこなう場合、谷側ではなく山側からおこなうケースが多いが、背こすり最中に背中が幹から外れると大変だ。と、そんなことも私は心配になったりする。
 いずれにしても、先入観的にヒグマが樹に向かって正面から爪痕をつけると決めつけるだけの根拠はなく、実際、樹についた爪痕を見ていても、そのイメージでは腑に落ちないケースが多々ある。

4.特定の樹種に関して、樹皮下のみずみずしい樹液を舐めるのに樹皮を剥いだり傷つけたりするため
 樹種としてはトドマツが多いように思うが、同一と思われるヒグマが何年かにわたって同じトドマツに爪痕を残しつつ、樹皮を剥いで樹液を舐めているような跡が観察されることがある。ところが、その個体がトドマツの樹液が大好きであちこちで同じようにやっているかというと、それがそうでもない。
 上述「背こすり」の樹というのは、、慣れてくるとだいたい遠目でも予測がつくようになっていくのだが、樹皮を剥いで樹液を舐める樹もまた同様で、ある特定の条件が揃った樹におこなわれる傾向が強い。「特定の条件」とは、周りの植生や木々と相対的で、まあ要するに「ある程度の太さがあって(クマ的に)目立つ」というようなことだ。クマ的にというのは、嗅覚を用いて感知しやすいということで、においの強い樹という事にもなるのではないか。
 ひとつの理由としては、自分が行動するための道標・看板なのではないか。私たち人間は、視界の悪い森を歩き回るときピンクテープをところどころに巻いて迷子にならないように工夫する。それと同じことを、自分のにおいでやっていると考えられる。

5.マーキング(?)
 これはあまり確かでないのだが、例のクレオソートへの反応を見る限り「自らの行動圏における異物に対してのにおい付け」をおこなう習性が示唆され、マーキング的な意味合いが可能性がなくはない。
 狼犬であるうちのベアドッグらは、ヒグマの糞や背こすり跡を見つけると、背こすりならぬ「首こすり」を執拗におこなう。おかげで帰りのクルマの中はヒグマの糞のにおいで充満したりするが、この行為が、クマの糞のにおいを自分につけているのか、自分のにおいをクマの場所につけているのか、はたまた別の何かがあるのか、そこが明確にはわかっていない。ただ、その行為の代わりに、もしくは後に尿でマーキングをする点からすると、自分のにおいをつけている線が濃厚になる。私自身、その時の気分でマーキングのほうだけは加勢することがあるが、それがどれだけヒグマに影響を与えているかはわかっていない。


上の三枚の写真は左から、「木登りタイプ・樹液舐めタイプ・背こすりタイプ」。



クマ道と通り跡
 野生動物がよく通る経路を「けもの道」などとというが、それに相当する「クマ道」がヒグマにもある。ただ、クマ道はヒグマが移動に使っている経路のごく一部で、登山道クラスのクマ道は少ない。
 クマが歩くルートを決める要素はそれほど多くはなく「歩きやすい」というのが第一にある。次いで、人里周辺では最も警戒しているヒトから「見られにくい・隠れやすい」という要素が働く。歩き方も、ただ黙々と目的地をめざして歩く場合もあれば、あちこち食べ物を物色しながらブラブラと散策する比較的無目的な移動もある。

 地形的にある程度の起伏があれば、ある方向に向かうときに歩きやすいルートというのはだいたい決まっていて、そこがヒトの林道や登山道になったりするが、整備されたそれらのヒトの道をヒグマは非常によく利用する。使われない登山道はしばらく放置すると薮がはびこって歩きづらくなるが、クマ道はヒグマがそこを踏んで歩くことによって自然に整備されるようなところがあって、クマがよく歩く道は年月とともに整備された状態になって、余計にクマが歩く傾向が強まる。
 私の丸瀬布における調査・パトロールのルーティーンルートも、はじめは細々とシカが歩いただけの辛うじて迷わず歩ける程度のササ藪内のルートだったが、7年間ほどしょっちゅうベアドッグとともに歩いていたらクッキリと登山道のように歩きやすい道となり、今はBeardogTrail(ベアドッグトレイル)と呼んでいる。ときどきヒグマも流用する。釣り人が森林・草地を通って河へ向かう道をFishermansTrail(釣り道)というが、同じようにできたクマがたびたび使う道をBearTrail(クマ道)とだいたい理解してもらっていい。

 それに対して、クマの気分か何かは知らないが、一度だけ歩いたり走ったりした場所のことは「通り跡」と呼んでいる。通り跡は、笹藪や草地でも、よく見ればわかることが多いが、クマ道に比べればとても判別しにくい。ただ、目が肥えてくると、林内のどこもかしこもヒグマの通り跡だらけということもある。


ちょっと寄り道:たかがクマ道、されどクマ道
 ヒグマの移動経路の全体的な形状は、本来の河川の下流部の水の経路と似ていて、地形や植生などによって一本の太い本流からなる区間と、無数のチャネル(分水流)からなる区間と、二つに大別できる。例えば模式的に書いた下図でA地点からB地点にヒグマが移動するとする。その場合、だいたいどのクマも決まってあるルートを使う区間P~Qと、個体によって、あるいはその個体の気分によってあちこちのルートを歩く区間(A~PとQ~B)と、両極端に二つある。二つのタイプの中間もある。また、一度気分で草を食べながら通ってみたが二度と通らないような単なる「通り跡」もある。


 大雑把にB地点に到来するヒグマの数を調べたい場合などには、当然ながら太い本流のクマ道にトレイルカメラを仕掛けて把握する方向だし、逆に、さらに緻密に1頭1頭のヒグマの性質を調べたい場合などには、ヴァリエーションがあるチャネルの幾つかの道を調査する。もちろん、警戒心の強い個体はヒトの活動を避けるルートを選ぶだろう。
 じつは、チャネルは単にクマの気分や好みの差ではなく、一種の有利不利が絡んでいる場合があるため、複数のヒグマがA~B間を頻繁に移動している場合、チャネルではどのルートをどのヒグマが常用しているか?あるいはこの区間を移動するヒグマが1頭増えたり減ったりした場合に、他の個体にどういう変化が起きたかによって、この空間のヒグマ間に働く力学・優位劣位などを解析しヒグマの社会学的な視点に結びつけることもでき、ひいてはその力学をも利用して実際の対策に生かすこともできる。

 また、ヒグマに対するストレスのかけ方を何種類も細かく持っている場合、塩梅を加減することで、すべてのヒグマがあるポイントを通らないようにコントロールすることができ、さらに、それぞれのヒグマの移動ルートを別個に変更させることも一定レベルではできる。ベアドッグを用いた実証試験では、ある観光施設に接近することをストレスがけで止めたケースや、バラバラだった10頭前後のヒグマの道路横断箇所を2カ所に絞り込んで限定したケースがあるが、こういうヒグマの「移動ルートのコントロール」や「出没の解消」は、技術的な洗練によって今後さらに精度を上げうると考えている。
 そういう技術の裏打ちがあれば、バッファスペースは絵に描いた餅にはならない。

 
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